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アトランティック・レコーズの創設者であり会長でもあるアーメット・アーティガンは、本日ニューヨーク・シティで83歳の生涯を閉じました。彼は10月29日、マンハッタンのビーコン・シアターでのローリング・ストーンズの公演バックステージで転倒し頭部を負傷して以来、本日まで入院していました。
ニューヨーク・プリスバイテリアン病院のWeill Cornellメディカル・センターでアーメットの治療を担当していた神経外科医のハワード・A・リーナ医師はこうコメントを寄せています。 「アーティガン氏は10月に転倒した際、脳に重大な損傷を受けました。彼は昏睡状態にありましたが、本日家族に見取られながら息を引き取られました」 アーティガン氏は生まれ故郷のトルコで密葬を行い、彼の地に埋葬されます。また年明けにはニューヨークで追悼式典が執り行われる予定となっています。 「敬愛する創設者と指導者の訃報に、我々アトランティック・レコーズのスタッフ一同は深く悲しんでおります」とアトランティックの会長/CEO、クレイグ・コールマンは語っています。「音楽業界は先駆者、そして象徴を喪い、我々は父を喪いました。アーメットは現代の音楽と文化の道程を変えた人物であり、彼の存在は今後も彼の指導と保護により作り上げられた音楽の中に生き続けるでしょう。彼はミュージシャンに愛されていました、何故なら彼は彼らを心から愛し、彼らの言葉を理解し話していたからです。アーメット・アーティガンその人が、即ちアトランティック・レコーズだったのです。彼の音楽に対する愛情とアーティストへの献身が、創設以来60年間、この会社の心でありインスピレーションの源でした。アーメット・アーティガンの魂は、これからも永遠に我々の導きをなるでしょう。アトランティック・レコーズはこれからも存在する限り、アーメット・アーティガンの会社であり続けます。我々一同、アーメット夫人のミカ、そして彼の家族に対し心からの哀悼を送ります」 「アーメットは休むことなく働き続けていました。なぜならば、彼にとって仕事は仕事でなく、彼の人生そのものだったからです」とはアトランティックの社長、ジュリー・グリーンウォルド。「彼は一ファンの情熱、そして旺盛な独立心と音楽に対する深い理解をもってアトランティックを創立しました。アーメットは、彼自身のクリエイティヴィティ、知性とユーモアに触れたアーティストやプロデューサー、ソングライター等、数え切れない程の多くの人たちの人生に影響を与えました。彼は音楽に変化をもたらし、音楽業界にも変化をもたらしました。彼が築き上げた素晴らしい道に続こうとする若い世代にとって、彼はインスピレーションの源泉となるでしょう。アーメットは、その時代を超えたスタイルと優雅さ、そしてそのユーモアと人間性で、ニューオリーンズのジュークボックス付の安飲食店だろうと、大使館でのパーティであろうと、何処にでも同じように馴染んでいました。彼は類まれなる人格、スタイル、そして人間性の持ち主でした。彼こそ真に偉大なる人です。彼を喪うことは、世界にとっても大きな損失であります」 「ビジネスマンとして、そしてレコード業界の先駆者としてアーメットが持っていた先見の明は、伝説の域に達していました。しかしこれは、音楽に要約された彼の生涯を掛けた真実の追求の結果に他ならないのです。その事が私に最大のインスピレーションを与えてくれました」ワーナー・ミュージック・グループの会長/CEO、エドガー・ブロフマンはそう語っています。「ワーナー・ミュージックで働くもの全員、アーメットと働くことが出来たことを誇りに思っています。情熱と尊厳、寛大さと喜びをもって生きることを彼は示してくれました。我々は彼の不在を大変淋しく思うでしょう」 「アーメット・アーティガンが私の指導者だったと言えることを名誉なことだと思います」とワーナー・ミュージック・グループのUSミュージックの会長/CEOであるリオ・コーエンは語っています。「彼は他の人が真似することの出来ない質とスタイルを作り上げました。彼は彼のアーティスト達が作り上げた音楽を通して何百万人もの人々に影響を与えてきました。彼はまた、アーティストを注意深い視点を持って育ててきました。彼のような人物がいてくれて、我々は幸運だったといえるでしょう。彼以外にアーメット・アーティガンは存在し得ません。彼の人生は、他のどの人間と比較するにも偉大すぎるのですから」 アーメット・M・アーティガンについて 現代の音楽の歴史における最重要人物の1人、アーメット・アーティガンは1923年7月31日にトルコのイスタンブールで生まれました。駐米トルコ大使の息子として生まれたアーメットは、スイス、パリ、ロンドン、そしてワシントンDCで育ち、教育を受けました。音楽の熱心なファンでコレクターであったアーメットは、1947年の秋、歯医者から一万ドルを借りてアトランティック・レコーズを創設。彼はアーティストと契約をし、レコードのプロデュースを手がけ、曲も作り、まだ駆け出しのレーベルのスーパーバイザーを務めました。彼曰く、「私たちがアトランティックを始めたのは、只単純に自分たちの好きな音楽をやっている数人のアーティストと契約し、自分たちが買いたいと思うレコードを作りたかったからだ」。 アーメットの指示の元、アトランティックは革新的なR&B/ジャズのインディー・レーベルから世界有数の音楽企業の一つにまで成長しました。アーメットが発掘したアーティストや彼が広めていった音楽は、R&B、ソウルからロックまで様々なジャンルで革命を起こした他、現代の文化的地図に変化をもたらし ― レイ・チャールズ、ビッグ・ジョー・ターナー、ルース・ブラウン、ラヴァーン・ベイカー、クローヴァーズ、ドリフターズ、ジョン・コルトレーン、ベンEキング、ボビー・ダーリン、ソニー&シェール、アレサ・フランクリン、オーティス・レディング、ソロモン・バーク、ウィルソン・ピケット、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、CS&N、ローリング・ストーンズ、ベット・ミドラー、ロバータ・フラック、フィル・コリンズ等、数多くの重要アーティストを生み出しました。アーメットはまた、「ロックンロールの殿堂(Rock and Roll Hall Of Fame)」の創設者兼会長でもありました。音楽と文化に対する貢献を賞して、彼自身も1987年に殿堂入りを果たし、クリーヴランドにある殿堂博物館にある展示ホールには彼の名がつけられています。1991年にはボストンにあるバークリー音楽院から名誉博士号を贈られ、1993年にはNARAS(全米録音芸術科学院)からTrustees Award(アーティスト以外の音楽産業への貢献者に与えられる賞)を受賞。2000年にはアメリカ合衆国議会図書館から開設200周年を記念して、"Living Legend"(生ける伝説)賞を贈られています。2006年7月には、第40回モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのオープニング・ナイト・コンサートでその栄誉を称えられました。アーメットは引退することなく、60年前に彼が創立したアトランティック・レコーズの創設者会長として最期まで活動していました。 Download Ahmet's full bio here Download Ahmet's abridged bio here Download photo 1 (Credit: Norman Jean Roy) Download photo 2 (Credit: Carol Friedman) Download photo 3 |