ESKIMO CALLBOYエスキモー・コールボーイ

Profile

Sebastian Biesler - セバスチャン・バイスラー(Vo)
Kevin Ratajczak - ケヴィン・ラタイチャック(Syn&Vo)
Daniel Hanis - ダニエル・ハニス(Gt)
Pascal Schillo - パスカル・シロ(Gt)
Daniel Klossek - ダニエル・クロッセック(Ba)
Michael Malitzki - ミカエル・マリッズキ(Dr)
Pug - パグ(?)


デビュー・アルバム『バリー・ミー・イン・ヴェガス』のリリースからたった一年後、ラスベガス「ギャンブラーズ・パラダイス」でソールドアウト目前のライブを行うまでのビッグ・アーティストになるなど、エスキモー・コールボーイのメンバー自身、夢にも思っていなかった。
ドイツのルール地方の奥地に位置するカシュトロップ=ラウクセルで結成されたエスキモー・コールボーイは、2011年にレッドフィールド・レコーズと契約を交わした時、結成してからわずか1年も経っていなかった。その時すでに、セルフタイトルのEPを発売していた彼らは、そのEPを新たなレーベルから再リリース。ほぼ毎週末ライブを行いながら、その生意気なパフォーマンス・スタイルを確立し、成功するための基盤を整えつつ、ケイティ・ペリー「カリフォルニア・ガールズ」のカヴァー曲をYoutubeにアップし、約100万回の再生回数を記録したのもちょうどその頃だった。
大きな話題を集めるまでになった彼らは、2012年3月、シングル「エニワン・アップ」が爆発的なヒット曲となった後、デビュー・アルバム『バリー・ミー・イン・ヴェガス』をリリース。ワイルドなパーティー向けのマニュアルのようなこのアルバムは、ラッド・トーン・ミュージック(日本)、イヤーエイク・レコーズ(アメリカ、イギリス)でもリリースされるほどの話題作となる。その後数ヶ月間、彼らはひたすらコンサートに打ち込み、ドイツのカジェホンやイギリスのアスキング・アレクサンドリアなど、他のバンドらと世界中をツアーで回り、ロシアでは東ヨーロッパのファンが彼らを見て絶叫するのを目の当たりにし、日本では「激ロック・ツアー vol.5」に出演、その後中国に渡りライブを行うなど、輝かしい経験を積むことができた。しかし、彼らに訪れる幸運はそれだけに留まらず、車で寝泊りしながら全米を4週間かけて回る“ファイト・トゥー・ユナイト・ツアー”も決定し、ヨーロッパのカルチャー・テレビ・チャンネルではジェネレーションY(1975年から1989年までに生まれた世代)を代表するアイコンとまで評された。
2013年の夏が終わる頃、『バリー・ミー・イン・ヴェガス』に続く次作を制作するため再びスタジオ入るが、ちょうどこの頃、英音楽誌「メタル・ハマー」が主催する「メタル・ハマー・アワーズ」の「アップ・アンド・カミング賞」にノミネートをされ受賞を果たすという、この数ヶ月の信じられないような働きぶりに報いるに相応しいビッグ・ドリームを手にする。しかし、どんな栄誉を与えられたとしても、彼らは止まることを知らない。2ndアルバム『ウィー・アー・ザ・メス』の制作中も、カジェホンのツアーに同行しながらロシア、ウクライナ、ベラルーシを周り、全ての公演がソールドアウトを記録し、もはやメンバー全員が彼らの道を邪魔するものはないと確信していた。そして原点に帰り、酒を飲み楽しみながら自分たちのスタジオでレコーディングを行い、ジャンルの垣根を超えた作品を作り上げることができたのだ。
2ndアルバム『ウィー・アー・ザ・メス』は、1stシングルのように現代的でダンサブルなギター・ミュジックの継続で、人生最後のパーティーを楽しむような「ファイナル・ダンス」、冴えない気分のなかでのイチャつき・ソング「ブロードウェイズ・ゴナ・キル・アス」、激しいモッシュを引き起こすような「ブードゥ・サーカス」などを収録。これ一枚でジャンプ、ダンス、モッシュが可能で、リスナーをディスコのダンス・フロアから汗まみれのモッシュピットへ、ナイトクラブのバーへ瞬間移動をさせるような作品が完成した。エスキモー・コールボーイはこの2作目で、大きな躍進を遂げたのである。

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