Hot Hot Heatホット・ホット・ヒート

Profile

ホット・ホット・ヒートの出身はヴァンクーヴァー諸島の南端、ブリティッシュコロンビア州のビクトリアである。ビクトリアは、大都市ではないが、独自の文化を持ち、ヴァンクーヴアーとシアトルとほどよく近く、ほどよく遠いため、在住アーティストやミュージシャンは少し距離を置くことができる。そして、このような孤立状態は、時に、奇妙で素晴らしい斬新的発展をもたらすことがあるのだ(ダーウィンの島々での実験を比較してほしい。ヴァンクーヴァー島とガラパゴスはそんなに変わらないはずだ)。ビクトリアで結成された、ホット・ホット・ヒートは現状に飽き足らない若者達で構成され、早い時期から、自然に音楽をかき鳴らしていた。ギターの代わりにシンセサイザーをもった、パンク野郎共である。ところが、それが解放よりも、束縛に近くなってきた時、ホット・ホット・ヒートは変貌を遂げた。シンガーと別れを告げ、ダンテ・デカロをギターに迎え、キーボディストのスティーヴ・ベイズの手にマイクを押しつけたのである。音楽における重点も変わっていった。メロディが前面に押し出され、観客は踊り、そして、何よりもそれが楽しかった。ホット・ホット・ヒートは再生した。彼らの新曲はXTC、クラッシュ、エルヴィス・コステロ&ザ・アトラクションズ(あと、そう、キュアーも。ただ、これにはウンザリ気味)に通ずる、複雑な旋律をもつようになった。jansijansi 2002年の4月に、サブ・ポップはホット・ホット・ヒートの『Knock Knock Knock』をリリースした。これは5曲収録、16分のEPで、Cutie's Chris WallaのDeath Cabが部分的にプロデュースしていた。SPIN誌は、「踊りを覚えようとしている、パンク野郎共のサウンド」と、印象深い言葉で作品を表現した。このEPはパンクのピーナッツ・バターにディスコのチョコレートを絶妙に混ぜ合わせている。そして、バンドはバンドの義務を果たした――つまり、ツアーに出て、Les Savy Fav、The French Kicks、Radio 4、Gogogo Airheat、Pretty Girls Make Graves、Sloan等と一緒に公演したのである。その頃、北米のロック・クラブにはびこっていたのは、腕組みをし、しかめ面をした、控えめで、最もノリの悪いジェネレーションだった。そして、それに涙が出るほど退屈し、ホット・ホット・ヒートのように、現状に満足できなかった若者達は、ダンシング・シューズを履いて、こぞって出てきたのだ。jansijansi 2002年の5月に、ホット・ホット・ヒートはヴァンクーヴァーのマッシュルーム・スタジオに向かい、米北西部のレコーディング界の伝説、ジャック・エンディーノとフル・アルバムをレコーディングした。その結果が『Make up the Breakdown』であり、この作品は、難なくメロディを紡ぎ出す、彼らの才能を披露した。彼らのメロディは単に頭に残るというだけではない。それは、頭の中に入り込み、根を降ろし、家族を育んでいく。若きジョニー・マーを彷彿させる、ダンテのギター・プレイに合わせ、ポールとジャスティンは粘り強くグルーヴを絡め、スティーヴは歌詞とキーボードの旋律を切迫した感じでたたみかける。『Make up the Breakdown』には、バンドのライヴ公演の興奮が再現されているのだ。収録されているのは、複雑で、リズミックな芸術的パンク10曲だ。ほとんどの曲はセックスと/もしくは、'この街'の生活へのフラストレーションを歌っている。だが、それよりも大切なものが実際あるのだろうか?キャッチーな歌で潜在的才能を発揮するニュー・ウェイヴ復興者達よりも、ホット・ホット・ヒートは、無骨なポスト・パンクの苦悶に、ダンサブルなポップを混ぜ合わせる。そして、(ようやく)パンクの興奮剤が足元へと降りてきた、いい一例となったのである。

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