Jimmy Scottジミー・スコット

Profile

本名ジェイムス・ビクター・スコット。1925年7月17日生まれ。2000年7月で75歳になるベテラン・ジャズ・ボーカリスト。 オハイオ州クリーヴランドに生まれ、教会でピアノを弾いていた母の影響で音楽を愛するようになる。 彼の本格ステージ・デビューは1940年代半ばのエステル・カレドニア・ヤングという曲芸師とのツアーであった。 このテント・レビューからは多くの黒人エンターテイナーが巣立っている。当時から小柄で幼く見えたジミーであったが、 その容貌とは裏腹のあまりに声量豊かで、つややかな歌声に観客は大喝采を惜しまなかった。この頃から彼のバラード・シンガーとしての才能は発揮されていた。

彼の転機は1948年にライオネル・ハンプトンの楽団への参加であった。当時同バンドでトランペッターを務めていたクインシー・ジョーンズをも虜にした。 ハンプトンとの5枚のアルバムの中に彼の最初のヒット曲となった「エヴリバディズ・サムバディズ・フール」があった。

そして、彼はソロ・アーティストとしてルースト、サヴォイなど数々のレーベルから作品をリリースする。特にサヴォイでは最高傑作の数々を残しながらも、 同時にキャリアのどん底も味わった。1960年代には彼を賞賛しつづけていたレイ・チャールズの後押しでレイのレーベルに新作を録音。 しかし、まだ契約が残っているというサヴォイの主張により、お蔵入り。その後は20年もの間、クリーヴランドに引きこもり、 その間にリリースされた数作のアルバムも注目を浴びる事はなかった。(この間に『ザ・ソース』と言うアルバムをアトランティックで1969年に残す。 しかし、同レーベルでの2枚目はリリースされずじまいだった。この音源が本作『ロスト&ファウンド』である。)

1980年半ば妻の後押しにより歌の世界に復帰するが、安酒場で歌う日々が続く。 しかし、彼をそんな境遇から救ったのは彼を信奉するアーティスト、R&Bの女王ルース・ブラウン、ドク・ポーマス等であった。 彼らの協力でジミーに対する注目、再評価が高まり、遂にサイアー/WBからの復帰作、『オール・ザ・ウェイ』(92年)が完成された。 WBからはこの後もミッチェル・フルーム・プロデュースの『ドリーム』(94年)、クレイグ・ストリート・プロデュースの『ヘヴン』(96年)をリリース。 異色のプロデューサーとの制作により、ジミーの年齢からは想像できないつややかな歌声は、新しい時代により輝きを増し、さらにカリスマティックに多くのミュージシャン、ファンを魅了している。

1999年には最新アルバム『ホ-ルディング・バック・ジ・イヤーズ』が日本でもヒット。
そして2000年4月には日本全国を回るツアーを敢行(そのツアーの模様は5月末にNHK-BSにて放送された)。 そして6月には最新録音オリジナルアルバムとなる『ムード・インディゴ』がリリースされ、何と一年で2度目となるツアーが11月に決定。
ジミー・スコット・ブームはさらに続くのである。

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