ロック激動のイヤー、1969年にタイムスリップ!私の1969

「1969年あなたはどこにいた?」特集を思いついたのはこの年が歴史的に見ても、音楽の変遷を見ても世界規模で大変重要と考えたからです。多くの既存の価値観が崩れ去り、新しい何かが生まれた瞬間といってもいいと思います。そういうダイナミックな時代を生きたわたしと同世代、または少し先輩の方々からそれは実のところどうだったのかを直接聞いてみたいと思いました。なぜなら多くのジャーナリズムが語ってきた表層的な見方に比べ、その時代の生き証人から、実際の個々の体験を伺ったほうがよりその時代がリアルで、かつスリルに満ちたものとして浮かび上がってくるからです。今回はウッドストック・フェスティヴァルに実際に立会ったシー・ユー・チェンさんの登場です。チェンさんは60年代末期フィンガーズのベーシストとして音楽業界にデビュー、後にアメリカにわたりデザイナーとして世界に知れわたる存在となりました。幸いなことにわたしの長い友人でありライターである佐々木雄三さんのご紹介で記念すべきウッドストック40周年の年にチェンさんに直接インタヴューすることができました。グループ・サウンズからニュー・ロックへ、劇的に変化を遂げようとしている当時の日本の音楽シーンやウッドストック・ファスティヴァルをミュージシャンの視点で大いに語ってもらいました。(宮治淳一)
■ 第1回 植村和紀さん [前編] [後編]
■ 第2回 萩原健太さん [前編] [後編]
■ 第3回 シー・ユー・チェンさん [前編] [後編]
■ 第4回 森川欣信さん [前編] [後編]

実体験者が語る、本当のウッドストック

宮治淳一: まず、ウッドストックに観に行かれたきっかけを教えてください。

シー・ユー・チェン: 1969年8月にバンド(フィンガーズ:ベーシストとして参加)仲間の成毛滋と、アメリカに2、3週間ほど旅に行くことになったんです。僕は彼の通訳兼案内役としてね。で、エリック・クラプトンがスティーヴ・ウィンウッドと結成したブラインド・フェイスを観にいこうっていうのが当初の目的。ロサンゼルス、サンフランシスコ、セントルイス、ニューヨークでやったのかな。だから、ウッドストック・フェスはあくまでもおまけだったんですね。行けたら行きたいねというノリ。

宮治: 資料によると7月31日までフィンガーズとして最後の仕事、都内のジャズ喫茶でのライヴをこなしてその翌日飛ぶように羽田を発ったことになっています。

チェン: そうだったの!若かったんだね。若いからすぐ行動に移せたんですね。

宮治: そもそもウッドストックがあるって情報はどこから入手したんですか?

チェン: なんとなく、色々な方面からすごいコンサートがあるという情報だけは入っていたんです。で、サンフランシスコかセントルイスに行った時、徐々に全貌が見えてきて、ロック好きが口々に「お前どうする?」って雰囲気。だから、そもそも渡米するきっかけは、ブラインド・フェイスをライブで見に行く事だったの。

佐々木雄三: やっぱりお目当てはクラプトンですか。

チェン: クラプトンは、シゲル(成毛滋)が大好きだったからね。心から崇拝してた。だからクラプトンのライヴをどうしても観たかったんだよ。

宮治: 当時出来たばかりのこのグループの人気はどうだったんですか?

チェン: ブラインド・フェイスはすでにかなりの人気でしたよ。あのスティーヴ・ウィンウッドがクラプトンとやるなんて、ものすごいことだと思いましたね。シゲルを筆頭に、皆スーパーグループに憧れていたから。やっぱりクリームが解散してしまって観られないから、もうブラインド・フェイスしかないって。ドラムもジンジャー・ベイカーだったしね。ライヴはほんとにいいものでした。今でも印象に残っている曲は、“Presence of the Lord”です。

佐々木: で、そのあとニューヨークに着いてウッドストックとなるんですね。でもよく準備不足の中会場までたどり着きましたね。

チェン: ニューヨークに行ったとき、フレッドっていう黒人のブティックオーナーと仲良くなって、彼がウッドストックの会場でジーンズやTシャツを売るからおまえらそれを手伝ってくれたら連れて行ってもいいぞ、ということになったんです。

宮治: それはラッキーでしたね。実際、直に体験されたウッドストック・フェスはどうでしたか?

チェン: 昼間はのんびりバイトをして、夜ライヴを観ていましたね。本当に好きなやつだけ、主にロックね。だから、ジョーン・バエズだとか、アーロ・ガスリー(ウディ・ガスリーの息子)とかはパスして、キャンド・ヒートやブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、ジミ・ヘンドリックスあたり。贔屓のバンドや好きなプレイヤーがいるバンドはとりあえず観ておいて、あとは昼間のバイトで当時はやっていたシボリのTシャツを売っていました。

佐々木: 全部観てやるぞ!というよりも、自由気ままな感じで楽しまれたわけですね。

チェン: そう。あと、ウッドストックの会場の地形ってすり鉢状なんだよね。傾斜していて、谷底のほうにステージをセットしてある感じ。で、高台になっている外周がトラックを駐車出来るエリアになっていて、そこにフード用トラックやら、ショップのトラックがあった。僕たちが停車したトラックもそのあたりだったかな。だから、演奏を観に行くにはひたすら延々と丘を下っていくんですよ。雨が降ったらトラックで雨宿りしていました。

佐々木: しかも、膨大な人を掻き分けながら。

チェン: とにかくすごい人だから、上からじゃステージから離れすぎていて、全然観えないんですよ。しかも当時のPAシステムって、今と比べるとどうしても劣るからね。やっぱり、かなり近くまで下りていかないと観えないし、聴こえないのね。だから、ちゃんとライヴを体験出来ていた人は限られているんじゃないのかな。

宮治: 40万人ですもんね。フジロックでさえ3日間で10万人ですから。

シー・ユーチェンさん
シー・ユーチェンさん
クロスビー・スティルス&ナッシュ ジョー・コッカー
ジョー・コッカー 設営中のステージ
設営中のステージ ジミ・ヘンドリクス
ジミ・ヘンドリクス

40万人もの若者が同じ夢のもとに集結

チェン: だから、あれだけの数の若者が集まったという事実はものすごいことなんですよ。先々週ずっとロスにいて、ちょうどニューヨーク・タイムズの日曜版に、アーロ・ガスリーのウッドストック回想録が載ってました。それによると、ガスリーにとって最も印象的だった事も、やはり40万人もの人間が一つの目的の為にあそこに集まって音楽を楽しんだという、そのスケール感。それこそが一番大きかったみたいですね。

雨中の観客雨中の観客

宮治: それほどまでのオーディエンスを集めたコンサートって、前代未聞ですからね。

チェン: あと素晴らしかったのは、みんながとにかくPeaceであり、Groovy(グルーヴィー)だったことね。カッコいいって意味なんだけど、Cool(クール)って言わないで、当時はGroovyが合言葉。PeaceでGroovyな場でした。みんな髪の毛を伸ばしていて、運命共同体的なノリがもちろんあった。ちゃんと秩序もあって、争いもなく、譲り合う気持ちを持っていたんだよね。当時のロック好きの20代ってやっぱり、それが一番重要な事だったんじゃないですか。

宮治: カオティックなイメージが強かったので意外です。

チェン: とにかく印象に残っているのは、40万人が同じ思いを抱けたこと。こんな雨の泥沼のイベントの中で、それを共有できたことが何よりも素晴らかった。そのロックコンサートが希望を感じさせてくれたんだよね。振り返ってみても、その後の人生の中で、あれほど希望に満ちあふれた瞬間はなかったかな。「できないことはほとんどないし、やろうと思えば何でもできるんだ」っていうポジティヴな考え方を植えつけてくれたんだよね。そのことがウッドストックを体験してもっとも意味のあることだったと思うよ。

佐々木: 現在のフェスと比べてみてどうですか?

チェン: 今のロック・フェスとの大きな違いは、シェアするマインドがあるかどうかかな。現代のフェスはどうしてもエンターテインメントの感覚になっちゃうからね、思想的な共有がないっていうね。音楽好きのスタッフから、日本のフェスがいかに素晴らしいかをよく聞かされるんだけど、ウッドストックの場合は、その背景にベトナム戦争があって、徴兵カードの問題があったりした。あとやはり反体制意識っていうのを、若者全員が持っていたから。そんな状況の中で、形ではなくて意識の改革によって、価値観を転換することができるっていう考え方を皆が共有していたと思うんですよ。音楽というものは、あくまでも我々の思いを共有化させるためのツールだっていうね。だから、そういう意味ではロックが非常にピュアだった時代なんだよね。その後、コマーシャリズムに汚染されていくわけですけど…。

佐々木: チェンさんのように、実際ウッドストックを体験していた方々がその後、今話されたような考えをそれぞれの日常に持ち帰っていくと。で、その後、各方面で活躍されているウッドストック体験者ってけっこういるんじゃないですかね。

チェン: きっとね。そうあってほしいよね。でも、ウッドストックを頂点に若者が掲げた希望そのものが70年代で消えていくわけですよ。70年代のアメリカは、色んなものが、もっと軽くなっていくんです。で、日本は、当然アメリカに目を向けていたから、その後もやはりアメリカに憧れていくわけですよね。全てにおいてね。アメリカに皆憧れて、バブルに突入していくという。僕自身は、ウッドストックを体験してからも変わってないつもり。だから、80年代に再びアメリカに行って、パンクやニューウェーブのムーヴメントに巻き込まれつつ、その後もシアトル周辺のグランジの波に感化されちゃったりね。それからは、もう年取ってきて枯れてくるから、ジャズの世界に入っていっちゃったりするわけだけど(笑)。

(後編に続く)