植村和紀: あと、話はそれますが、高校1年の時の担任が小出義雄、Qちゃんの小出監督ですよ。順天堂大学を出て、初めて長生高校に赴任してきて最初の担任が僕らだったんですよ。おかげで僕ら体育の授業はマラソンばっかりですよ(笑)。忘れもしない1年E組。
宮治淳一: 69年の長生高校、1年E組には、植村さんがいて、小出監督もいたと。これはかなりレアでしょう。
植村: 今でも高校の同窓会をやると、必ずビデオで出てくれますよ。「ごめんね、また行けなくて」って。「今ボルダーなんだよ」って(笑)。当時からなんか子供みたいな感じでしたよ。ウチのお袋がPTAで来ていて、何か子供みたいな先生だね、って。確か小出監督の奥様が長生高校陸上部での教え子ですよ。まあ、ロックとは全然関係ないんですけど。
宮治: いやいや、今回69年にこだわってやっていますのでね。非常に興味深いエピソードかと思います。で、このように買ったレコードをどんどんノートに書いていたんですか。69年の7月20日っていうのも書いているんですか。
植村: 書いていました。ただ、日にちは書いていないです。買った順には書いてありますね。歴史がわかりますよね。ほとんどバンドものですね。これがロック研究同好会の最初の会報です。
宮治: こういうのを今も持っているっていうのがすごいですね。
植村: 40年前ですから。恥ずかしながら。
宮治: 1969年といえば、ウッドストック・フェスが開催された年ですが、当時はどういう感じで日本に伝えられたんですか? 映画の公開は翌年ですし。
植村: 『ミュージック・ライフ』誌ですかね。写真も少しだけありました。そんなに大げさな感じではなかったですよね。
宮治: 開催された69年の夏の時点では、誰にもその実態はわからなかったんじゃないですかね。
植村: 特集まで組んでた音楽雑誌はほとんどなかったと思います。
宮治: その規模の大きさや歴史的意義も含めて、かなり後になって…。
植村: 映画が公開されて、全容が明らかになったんですが、だいたい1年遅れですよね。確か封切りになったのって夏、70年の8月だったかと。高校2年の夏休み、勝浦から銀座のスバル座におにぎり持参で行きましたよ。当時は入れ替え制じゃなかったから、朝から夕方までフル尺で3回観ましたね。
宮治: 映像で観たウッドストック、誰が一番良かったですか?
植村: ザ・フーとスライ&ザ・ファミリー・ストーンかな。当時、個人的に好きなのは、サンタナでしたけど、ザ・フーとスライはパフォーマンスがとにかくカッコよかった。
宮治: やっぱりロック研の仲間と行ったわけですか?
植村: 1人でした。映画は1人で楽しむというヘンなコダワリがありまして…。感動は共有しちゃいけないというね。
宮治: で、おにぎりを持って3時間以上かけて、勝浦から銀座に行かれたわけですね。千葉ではやっていなかったんですか?
植村: 千葉ではやってなくて、銀座のスバル座でした。いまだによく覚えていますね。それと、確かサウンドトラックも1年遅れでしたよね。輸入盤でも6,000円~7,000円くらいしたんじゃないかな。
宮治: あの頃ってライヴの映像を見る機会って、ほとんどなかったじゃないですか。
植村: フィルム・コンサートでも、ちゃんとした映像を観られるかどうか…っていう時代でしたからね。ウッドストックの映像には本当にハマりましたよ。
宮治: そういえばそのころ、スピリットの来日に奔走されたという噂を小耳にはさんだんですが、どういう経緯だったんですか?
植村: 69年の9月に、ウッドストックに対抗してニューミュージックマガジン社が日本でロック・フェスをやろうと「日本ロック・フェスティバル」というイベントを企画したんですよ。その海外ゲスト候補が、スピリットだったんです。当時、僕は自称ファン・クラブ代表を名乗るほど、彼らに熱をあげてまして(笑)。本当、いいバンドなんですよ。ツェッペリンにも影響をあたえたくらい。スピリットの1stアルバム『SPIRIT』に「Taurus」っていう曲が収録されているんですが、「天国への階段」のイントロのリフはその曲からインスパイアされたみたいです。これはジミー・ペイジがインタヴューでも語っているくらいだから本当のことだと思います。要するにお墨付きのバンドなんですよ。木崎義二さんや内田裕也さんも『ニューミュージックマガジン』誌面でも煽ってくれましたし…。
宮治: こうして、招聘に向けての気運がどんどん盛り上がっていったわけですね。
植村: あと、福田一郎さんも応援していたんですよ。当時DJをされていたTBSラジオの『パック・イン・ミュージック』でも「やっぱりスピリットはすごいバンドだ」と、曲をかけてくれましたね。で、番組に電話をしたこともありました。「僕の大好きなバンドなんで、絶対に来てくれますよね」みたいなノリ(笑)。「ああ、来てくれるよ」と言ったかどうかは覚えていないけれど、とにかく話はしたことはちゃんと記憶にあります。自称ファン・クラブ会長としては、いてもたってもいられなかったというね。
宮治: で、結果は。
植村: どういう理由か定かではないんですが、結局、来られなかったんです。以降も一回も来ませんでしたね。ただ、思い余って福田一郎さんにも電話してしまったというのは、今となってはいい思い出ですね。
宮治: 2009年で、ちょうど40年ということになりますが、1969年という1年が、その後の自分の人生にどのような影響を与えていると思いますか?
植村: 大学は文学部の社会学専攻だったんですが、カウンター・カルチャーを卒論のテーマにしたんですよ。要するに、考え方自体がフリーク・アウトしちゃったわけですよね。思想はヒッピーで行こうと、これは冗談ですけどね(笑)。ロックにハマッって完ぺきに変わりましたよ。だから、いわゆるスクエアなサラリーマンはできないから、音楽業界に入るしかないっていう(笑)。で、オリコンに入ったわけです。
宮治: オリコンに入る前は?
植村: 大学の時、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)でアルバイトを2年間やっていました。当然、社販でレコードをいっぱい買いましたし、サンプル盤ももらいましたね。それと、いとこが立教大学放送研究会っていう、みのもんたとか古館伊知郎も在籍した有名なサークルに所属していまして、僕のレコード収集人生においては、このことは大きかったですね。そのサークル、いろんなコネがあるみたいで、そのいとこの家に行くとサンプル盤がどっさりあるわけです。それをもらってきちゃったんですよね。幸いなことに、いとこはポール・モーリアとかが好みでロック系は興味なかったという(笑)。初期のコレクションは、アワビ漁と立教大放送研究会のおかげですよ。
宮治: 現在、総数でいうとどのくらいあるんですか。
植村: CDが約3万枚。LPは約2万枚ですかね。主要なアイテムはほとんど持っています。でも、コレクションと家庭の両立はさすがに大変でしたね…(苦笑)。当時住んでたマンション、レコードだけで3部屋も使っていました。だから、子供の勉強部屋がないわけですよ。カミさんからは「子供の成績が下がったのはアンタのせいだ」って(怒)。カミさんに「レコードの倉庫でも建ててよ!」と。それで、90年に勝浦の実家の庭を半分つぶして、保管庫を建てたんですよ。でも、勝浦って南国だから高温多湿なわけです。だから、校倉作りまでとはいかないですけど、高床式にして、クーラーを入れて、湿気対策にはずいぶん気を使いましたね。
宮治: 今では、ご自宅と2ヵ所で。
植村: 2ヵ所ですね。CDは東京の自宅、LPは勝浦に。で、何かあるたびに勝浦に出向いてます。金羊社(ジャケット制作で有名な老舗印刷会社)の本社4Fのギャラリーで、去年の7月からミュージックジャケットギャラリーの常設展を始めまして、おかげさまで好評です。
宮治: これはどういう経緯で始まったんですか?
植村: もともとミュージックジャケットギャラリーは、4年ほど前にレコード会社系列のデザインのヘッドであった3人の企画でして、テーマ別にジャケットやパッケージの魅力や楽しさを伝えていこうというイベントです。各レコード会社や放送局などの協賛や日本レコード協会や金羊社の後援で4-5日くらい会場を借りて、今年は札幌/東京/名古屋/大阪/福岡で開催し、約18,000人の動員を記録しました。去年のテーマが“音楽とファッション”で、今年は69年に引っ掛けて“ラヴ&ピース”。
宮治: その都度、勝浦の倉庫から出してくるんですか。
植村: そうです。大変な作業なんですが、パッケージやジャケットの魅力や楽しさを伝えていけたらなぁと。
宮治: そのイベントが金羊社さんの常設展につながったわけですか?
植村: 浅野社長のひと声でね。パッケージをやっている会社でそういう場がないのは、もったいないと。ギャラリーって1週間とかで終わっちゃうじゃないですか。「じゃあ、いっそのこと常設展を作っちゃおう」って。それで、展示のためのギャラリーを作った後、僕のところにお願いにみえたわけです。「是非植村さんのコレクションを飾らせてください」と。「光栄なことなので、飾らせていただけるのであれば是非とも」と返事しまして、去年の夏に約2,000枚運んで、それらをテーマ別に括って、3ヵ月毎に内容を更新して展示しています。今はパロディ・ジャケットとメタル・パッケージをやっているんですけど。来月からはサイケデリック・ジャケットとウッド・パッケージを、それをウッドストック絡めてやります。
宮治: それはそれは、大変手間のかかる作業ですね。
植村: 3ヵ月毎にキャプションを書いて、120枚のLPと12個の特殊パッケージを並べて、けっこう大変なんですよ。でも、喜んでいただける方が多くみえるのでやりがいはありますね。1回来ていただいた方はだいたいリピーターになってくれてます。とにかくジャケ好きの方が多いんですよ。あと、デザイン系の専門学校でもチラシをまいているので、その先生や生徒さんも足を運んでくれますね。こうして勝浦にほこりを被って眠っていた膨大なLPも生きてくるわけです。これはもう素晴らしいことですよ。
宮治: レコードも幸せですね。本日は貴重なお話の数々、ありがとうございました。
- アート・ロックの旗手/ヴァニラ・ファッジ
(日本グラモフォン1968) - オール・アバウト・ステッペンウルフ/ステッペンウルフ
(東芝音楽工業1968) - チープ・スリル/ビッグ・ブラザー・アンド・ホールディング・カンパニー
(CBS・ソニー1968) - レッド・ツェッペリン登場/レッド・ツェッペリン
(日本グラモフォン1969) - 魂の結合/スピリット
(CBS・ソニー1969)

アート・ロックの旗手/ヴァニラ・ファッジ
植村和紀
1953年千葉県生まれ。中学生の頃からロックのレコードを買い始める。現在でもそのコレクションは増え続け、その数アナログ約2万枚、CD約3万枚、
LD約2千枚、DVD約1千枚。 大学卒業後、オリコン、MSI、東芝EMIを経て
現在T&Mクリテイティブに勤務、日夜CDのジャケットやブックレット等の編集・校正に情熱を注いでいる。
その膨大なコレクションは現在「ミュージックジャケットギャラリー」での常設展示に活かされており、
そこに行けば氏のコレクションの一端を覗くことが出来る。






