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FACTORY RECORDS Communications 1978-92特集

DISC 2

1. NEW ORDER「Everything’s Gone Green」

NEW ORDER「Everything’s Gone Green」

ニュー・オーダーがリリースした初のエレクトロ・トラック、“EGG”こと「Everything Gone Green」は、かつてジョイ・ディヴィジョンとして上り詰めたクリエイティブの頂点に匹敵するものを、彼ら自身で見つけたのかもしれないということを証明してみせたナンバー。また、同作品は“人の心をつかんで離さない、知性あふれるダンスの衝動”“正しい方向における力強いステップ”などと評され、当時のライヴ・レヴューでは極めて稀な称賛を得ることとなった。曲自体は、粗野な技術が演奏を困難にさせた可能性はあったものの、おおむね喜びに溢れた作品と言えるだろう。「おそらく我々が電子機器を使って作った最初の曲だろうね」とサムナー。「オシレーター(発振器)のついた古いシンセサイザーを見つけたんだ。これをドラムとシンクロ(同調)させてみたいと思ったんだよね。でも、バーを8軒ほどハシゴしてたら、あやうく遅れそうになったよ」。それ以前にリリースした「Isolation」同様、この「Everything Gone Green」はニュー・オーダーにとって将来の道しるべとなり、またファクトリーが近々オープンを控えていたクラブ、ザ・ハシエンダで回すことが許されるレコードの指標となった。ESGや、ACRのベスト・トラック同様、それはまた、ハネットがダンス・ミュージックをプロデュースできると証明することにもつながった。


2. TUNNELVISION 「Watching The Hydroplanes」

TUNNELVISION 「Watching The Hydroplanes」

ブラックプール出身の若き4人組、トンネルヴィジョンは、セクション25を師と仰ぐバンド。1980年9月にファクトリーのレコーディングに招かれた。デモはカーゴ・スタジオで録音。また、シングルのリリースに向けて、ハネットにより2曲がブリタニア・ロウ・スタジオでミックスされた。ジャケットを手掛けたのはマーティン・アトキンス。生産されたもののうち大半が透明のアナログ盤であった。ちなみに、この「Watching The Hydroplanes」は、レーベルからは“テクノ・バラードの傑作”と評されていた。トンネルヴィジョンは1981年にニュー・オーダーとともに数日間の公演を行ない、さらに強力なデモをもう1曲レコーディング。同曲はのちにピーター・フックによってリミックスされることとなるが、ファクトリーは彼らから手を引き、2枚目のシングルが世に出ることはなかった。


3. THE DURUTTI COLUMN「Messidor」

THE DURUTTI COLUMN「Messidor」

1981年7月、ヴィニ・ライリーが2枚目のアルバムをレコーディングする頃にはすでに、あの名高きブルース・ミッチェルがドラムとして加入するよう説得されており、ヴィニは歌うことを希望していた。そんな中、マネジャーだったウィルソンは、2人のヴォーカルの板ばさみをどうにか解決しようと必死だった。「1981年から82年にかけて、僕の全人生はヴィニに歌うのを止めさせ、サイモン・トッピングに再び歌わせようとすることにすべて費やされていたんだ。どちらの試みも、みじめにも失敗に終わったけどね」。バンドの2ndアルバム『L.C.』の大半は、ライリーがビル・ネルソンから購入した4トラックの機材を使って自宅で録音され、グレイヴヤードで仕上げが施された。ピアノとドラムの多重録音(オーバーダブ)は、自発性と新鮮さを保つため、常に一発録りで行なわれた。ちなみに、この神秘的なアルバムのタイトルはウィルソンが提案したもので、“La Lotta Continua(葛藤は続く)”というラテン語のグラフィティが基になっている。


4. A CERTAIN RATIO「Knife Slits Water」(LP version)

A CERTAIN RATIO「Knife Slits Water」(LP version)

ア・サーティン・レシオは、1stアルバムのリリースからわずか数週間後の1981年5月に、早くも傑作2ndアルバムのレコーディングを開始。そのタイトル(『Sextet(6人組)』)は、この前年にニューヨークで魅惑的なアメリカ人歌手、マーサ“ティリ”ティルソンを獲得し、バンドが今や6人構成になったという事実を認めるものとなった。この「Knife Slits Water」は、ベースドラムにエコーを加えるというシンプルな方法によって、催眠性が高く、特別な高揚感が加わったミドルペースの作品となっている。官能的な歌詞はティルソンによって書かれたものだ。「セックスについて書いたの。ありのままに、シンプルにね。でも同時に、欲望と性の駆け引きでもあるのよ。この音が作られて録音された日、私は気分がすぐれなくて、スタジオでのセッションを休んだの。ジェズとピートは私のアパートにカセットを持ってきれくれたわ。それを聴いて、みんなですごく興奮したのを覚えてる。1日くらいたって、ミキシング・セッションで“Who sold that knife to me?(誰がそのナイフを私に売ったの?)”というくだりが私の頭の中にひらめいたの。確か、1時間くらいで残りの歌詞を書き上げたわ。タイトルは後でつけたのよ。ロマン・ポランスキー監督の『Knife in the Water』に影響を受けたって感じね。私としては、女性が歌うのが一番しっくりくると思ったの。当時、女性はどんどん強くなっていたから。でも、後で出たドナルドのバージョンはすばらしかったわ」


5. THE ROYAL FAMILY & THE POOR「Art On 45」

THE ROYAL FAMILY & THE POOR「Art On 45」

ザ・ロイヤル・ファミリー&ザ・プアはリバプール出身のバンドで、ザ・ドゥルッティ・コラム同様、その名前はウィルソンによって命名された。まだマイケル・キーンが10代のミュージシャンだった頃、美術学校の卒業生でアバンギャルドに興味を持っていたアーサー・マクドナルドに出会い、バンドの初期の形が出来上がった。2人は演説口調のラップとキーンのシンセサイザーのノイズを重ね撮りした荒削りなテープを作り、作品をファクトリーに送付。1980年4月、ムーンライトのショーケースに登場する頃には、バンドはドラムのフィル・ハースト、ベースのネイサン・マッゴウを加えて拡大化しており、巧みなノイズと同様にファンクも果敢に取り入れていた。キーンはファクトリーから1984年と86年に2枚のソロ・アルバムをリリースしたが、Fac43のナンバーはオリジナルのバンドが解散した後の1981年4月に録音されたものである。


6. SWAMP CHILDREN「Taste What’s Rhythm」

SWAMP CHILDREN「Taste What’s Rhythm」

ラテン・ファンク界の成り上がりバンド、スワンプ・チルドレンは、1980年の初頭に結成された。ACRのギタリスト、マーティン・モスクロップがドラム、シンガー兼デザイナーのアン・クイグリーがヴォーカル、弟(でACRのローディーでもある)トニーがベースを担当。元ピンク・ミリタリーのギタリスト、ジョン・カークハムもメンバーに含まれている。1980年5月には、U2を蹴落としてビーチ・クラブでデビュー・ギグを敢行。ファクトリーからの最初のシングル(Fac49)は、サイモン・トッピングがプロデュースを担当した。この「Taste What’s Rhythm」は、彼らにとって2枚目のシングルとなった45回転の12インチ盤に収録。同作品はファクトリー・ベネルクスよりリリースされた。彼らはさらに、ファクトリー・ベネルクスのために、ラテン・サンバ・ボサのアルバムとして多くの注目を集めることとなった『So Hot』をレコーディング。その後、1983年にはKalimaとして新たな活動をスタートさせた。


7. NEW ORDER「Temptation」

NEW ORDER「Temptation」

まるで「Everything’s Gone Green」の親戚のようなこの「Temptation」というナンバーは、1981年9月に初めてライヴで披露され、ニュー・オーダーにとって、マーティン・ハネット抜きで制作された初のシングルとなった。ロンドンにあるアドヴィジョンでレコーディングされたオリジナルのシングル・バージョンは、未完成作品のようなサウンドだった。サムナーは後にこう回想している。「当時、僕はイタリアのディスコ音楽にかなり影響を受けていた。あの頃は2つのシーンがあってさ。1つはアメリカのダンス・ミュージックで、すごく大衆受けが良くて、完全にプロフェッショナルだった。僕の心には響かなかったけどね。あまりにも洗練されていて、逆に退屈だったんだよ。一方で、イタリアのダンス・ミュージックは、おもしろかったんだ。ひどい間違いもあったけど、そのおかげで歌に個性があったからね」。シングルは国内チャートの29位につけたが、彼らがエレクトロ・ダンス界の強豪バンドとしてその真価を認められたのは、組み立て式のパワートラン(アナログ・シンセサイザー)を、より優れたシーケンサーに変えることができてからのことだった。


8. 52ND STREET「Cool As Ice」

52ND STREET「Cool As Ice」

ロブ・グレットンが世に送り出したマンチェスターのジャズ・ファンク・グループ、フィフティーセカンド・ストリート。彼らはファクトリーより、「Look Into My Eyes」(1982年)、「Cool As Ice」(1983年)、「Can't Afford To Let You Go」(1984年)といった3枚の傑作シングルをリリースした後、ヴァージン傘下のテン・レコーズに移籍し、2枚のアルバムをレコーディングした。(マンチェスターの)レヴォリューション・スタジオにて、ドナルド・ジョンソン(ドージョー)をプロデューサーに迎え、バーナード・サムナーによるシンセザイザーのプログラミングを取り入れて制作されたこの「Cool As Ice」は、ニューヨークのクラブでカルト的なヒットを収めることに。また、ジョン “ジェリービーン”ベニテスがアメリカのマーケット向けに同曲をリミックス。バンドはアメリカのレーベル、A&Mレコーズと契約し、ビルボードのダンス・チャートにランクインを果たした。この傑作シングルには、マイク・ピッカリングのサックスをフィーチャーしており、繰り返し登場するベースラインのシーケンスは、1983年から84年にかけてサムナーとジョンソンが手掛けた多くのエレクトロの作品とも共通していた。しかし奇妙なことに、このシングルがファクトリーUKからリリースされることはなかった。


9. NEW ORDER「Blue Monday」

NEW ORDER「Blue Monday」

もはや時代を超越したエレクトロ界の巨星、ニュー・オーダーの起源は、4000ポンドもする真新しいエミュレーターIのサンプリング・キーボードと、お気に入りのレコードの数々に由来する。サムナーいわく「アレンジメントはKlein and MBOの『Dirty Talk』、ビートはドナ・サマーのLPのナンバー『Our Love』が基になっている。クラフトワークの『Radioactivity(放射能)』からのサンプリングもあったね。曲のスタイルに全般的に影響を与えたのは、シルヴェスターのシングル『(You Make Me Feel) Mighty Real』だな」。3月31日、バンドは音楽TV番組『Top of the Pops』に初めて登場し、ライヴで曲を披露したが、技術面でのトラブルに悩まされる羽目に。しかし、この12インチ盤限定のシングルは12位まで上昇し、8月には9位に再び浮上した。ファクトリーはBPI(英国レコード産業協会)の会員ではなかったため、ゴールドディスクの対象にはならなかったが、そうでなければこの「Blue Monday」は史上最も売れた12インチ・シングルの1枚となっていたはずだ。ダイカット(一定の形の穴が打ち抜かれた)仕様の手の込んだこのジャケット(シルバーの内袋付き)は、Emulator(デジタルサンプラー。専用の5.25"フロッピーディスクからサンプリングされた音をロードして使う)の5インチのフロッピーディスクがモチーフとなっている。しかし、1枚売れるごとにファクトリーの損失が増えるといった状態を引き起こし、以後、デザインは簡素化されることに。ウィルソンによると、ファクトリーとニュー・オーダーとの間で結ばれた、普通では考えられない取引のおかげで、1枚あたり3.5ペンスの損失が出ていたという。その内容とは、利益はバンドとレーベルで折半するものの、印刷物を発行する機械の費用はレーベルだけが持つというものだった。このやたらと費用のかかるダイカットのバージョンは、すぐに姿を消すこととなった。


10. CABARET VOLTAIRE「Yashar (John Robie Remix)」

CABARET VOLTAIRE「Yashar (John Robie Remix)」

シェフィールド出身のアヴァンギャルド一派、キャバレー・ヴォルテールは、ファクトリーのオムニバス2枚組シングル「A Factory Sample」に2曲を提供し、1980年5月に予定されていたジョイ・ディヴィジョンとのアメリカ・ツアーでは、共同ヘッドライナーを任されるほどだった(結局ツアーは中止に)。しかし、そんな彼らは、実は1982年までラフ・トレードの在籍だった。この「Yashar」は、1981年10月にオリジナルメンバーのクリス・ワトソンと一緒にレコーディングされた最後の曲の1つで、もともとアルバム『2×45』に収録されたもの。リミキサーのジョン・ロビーは、ニューヨークを拠点としたミュージシャン兼キーボード・プログラマーで、過去には(アーサー・べーカーと共に)Soul Sonic Forceとアフリカ・バンバータによるシングル「Planet Rock」にも関わっている。こうして手を加えられた「Yashar」は、12インチ盤として、ファクトリーUSやファクトリー・ベネルクス、そのほかいくつかのヨーロッパのショップでリリースされた。しかし、次のレコードはヴァージンから発売に。そしてメンバーが減少し、リチャード・カークとスティーブン・ヴォルテールのデュオとなったキャバレー・ヴォルテールは、商業圏へとさらに足を踏み込むこととなる。


11. QUANDO QUANGO「Love Tempo」

QUANDO QUANGO「Love Tempo」

ヒルゴンガ“ゴニー”リトヴァルドと、マイク・ピッカリングによって、1981年にロッテルダムで結成されたエレクトロ・ダンスのパイオニア、クアンド・クアンゴは、1982年、新たにオープンしたクラブ、ハシエンダでピッカリングが働き始めたことを機に、マンチェスターへと拠点を移した。この「Love Tempo」は、彼らにとって2枚目のシングル。レコーディングはレヴォリューション・スタジオで行なわれ、サムナーとジョンソンがそれぞれ“Be Music”および“DoJo”名義でプロデュースを担当した。同作品は、(イギリスよりも)むしろアメリカで受け入れられる結果に(「Love Tempo」はビルボードのダンス・チャートで4位のヒットを記録)。クアンド・クアンゴは時代にやや先駆け、ソウルからファンク、エレクトロ、レゲエ、そしてザ・スリッツに至るまでの、あらゆる特徴(やビート)を網羅した、世界に通じるダンス・ミュージックの概念を提示してみせたのだ。ファクトリーの型にはまらない、その目を見張るようなカラフルなジャケットは、アラン・デヴィッドのデザインによるもの。


12. THE WAKE 「Talk About The Past」

THE WAKE 「Talk About The Past」

ザ・ウェイクは、ヴォーカル兼ギタリストのシーザーが、その後ポップ界のスターとなるアルタード・イメージズを脱退した後、1981年4月にグラスゴーで結成。翌年の夏にはベースのボビー・ギレスピーが初期プライマル・スクリームに加入するために脱退したものの、バンドが自主リリースしたデビュー・シングルに感銘を受けたロブ・ブレットンが、1982年10月に彼らをファクトリーに招き、ミニ・アルバム『Harmony』(Fact60)をレコーディングすることに。さわやかなポップに試みたこの「Talk About The Past」は、レヴォリューション・スタジオで録音されたもので、ヴィニ・ライリーがピアノで参加。それまで過小評価されていた彼らだったが、この曲でアイランド・レコーズとの契約がほぼ確実となった。1985年には、ファクトリーで2枚目となるアルバム『Here Comes Everybody』をリリース。また、カルト・レーベルとして双璧をなすサラからも、続けて2枚のアルバムをリリースした。ちなみにザ・ウェイクは、ジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダー、OMD、そしてザ・ネームズ同様、フランスのバンド、ヌーヴェル・ヴァーグによってカヴァーされている。


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商品情報:
FACTORY RECORDS Communications 1978-92
品番 : 2564-69379

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楽曲解説