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FACTORY RECORDS Communications 1978-92特集

DISC 3

1. NEW ORDER 「Confusion」

NEW ORDER 「Confusion」

「Blue Monday」および傑作アルバム『Power, Corruption & Lies』(Fact75)で、エレクトロニック・ダンス・ミュージック・シーンを征服したニュー・オーダー。彼らは、この「Confusion」にて、さらなる可能性を追い求め、ヒップホップ/エレクトロのプロデューサーとして影響力を持つアーサー・ベイカーと共にレコーディングを行なった。すでに「Planet Rock」や「Walking On Sunshine」「IOU」といった楽曲で、絶対的な評価を確立していたベイカーの起用を勧めたのは、ファクトリーUSのドン、マイケル・シャンバーグであった。サムナーはこう明かす。「我々は楽曲をまったく用意せずにニューヨークのスタジオに行ったんだ。そんな経験は初めてだったよ。まさに、自分たちの知らないプロデューサーとの、まったくもって実験的な作業だったってわけだ。今、聞いても恐ろしいね」。12インチ盤には、4種ものミックスが収められているが、それでも彼らは1987年、シングルを集めたコンピレーション・アルバム『Substance』に収録するため、同曲を再レコーディングすることを選択。ライブ・ヴァージョンよりもダイナミックなアレンジで再録音された。ちなみに、この一件でバンドとベイカーとの関係が損なわれることはなかった。


2. MARCEL KING 「Reach For Love」

MARCEL KING 「Reach For Love」

1974年、ソウル・グループのスウィート・センセーションとのコラボレート・ナンバー(シングル「Sad Sweet Dreamer」)で、UKチャートのNo.1ヒットを獲得した、マンチェスター出身のマルセル・キング。その10年後、ファクトリーからの唯一のシングルとなった「Reach For Love」は、その功績に引けをとらない名作と言えよう。ビッグ・ヒットにはならなかったが、ショーン・ライダーは、ハシエンダの定番となったこのナンバーが、ファクトリーのシングル群の中では最高傑作だと宣言している。このトラックはアメリカのマーケット向けに、マーク・カミンスによってリミックスされたもの。残念なことに、マルセルは1995年10月に脳出血でこの世を去っている。


3. SECTION 25 「Looking From A Hilltop (Restructure)」

SECTION 25 「Looking From A Hilltop (Restructure)」

プロデューサーとしてめきめきと腕を上げるバーナード・サムナーのおかげで、その形を変化させていったセクション25。彼らは1984年のアルバム『From The Hip』で、エレクトロのパイオニア(先駆者)へと変貌を遂げた。12インチ盤のシングルとしてリリースするために、サムナーとジョンソンが手を加え、再構築したこの「Looking From a Hilltop」は、アメリカにて、アンダーグラウンドなクラブやラジオで人気を博し、以降、オービタルやシェイメン、Code3などにサンプリングされてきた。1985年1月に行なわれた彼らの北米ツアーでは、“アシッドハウス”という言葉が存在する前からその音楽を扱い、シカゴやデトロイト、そしてニューヨークのその道の先駆者たちに影響を与えることに。サーシャ・フレール・ジョーンズ(『ニューヨーカー』誌の音楽評論家)は当時をこう振り返る。「1985年、ダンステリアの階下のスペースで、セクション25というイギリスのグループが、まだ青二才なB-BOYたちを前に演奏しているのを見たんだ。僕はそれまでPAを通してドラムマシンを聴いたことがなくて、どれほど強烈なものか見当もつかなかったんだ。言葉なんて1つも聴き取れなかったね。でも、彼らの奇妙なサウンドが頭から離れなかったんだ。イングランドの超クールなファクトリーのシーンと、ビッグ・アップル・プロダクションズとラテン・ラスカルズが曲のエディットを手掛ける、アップテンポなニューヨーク・スタイル、その間のフィヨルドのような入り組んだところに、当時のシーン全体が浮かんでいたようなものさ。エネルギッシュで、うなるようなその音楽は、僕のちっぽけな心を圧倒するのに十分だったよ」


4. STOCKHOLM MONSTERS 「All At Once」

STOCKHOLM MONSTERS 「All At Once」

バーネイジ(ファクトリーのニュースレターには“キングスウェイの向こう側に延々と続く舗道”と紹介されている)出身のストックホルム・モンスターズは、1980年夏に結成され、翌年ファクトリーからデビューを果たした。しばしば、(ハッピー・)マンデーズが登場する前からすでにマンデーズ風だったと評される彼ら。この“若く意地悪な”モンスターズは、“ギャングにしてバンド”というその気高き伝統を体現してみせた。1981年から87年にかけて、彼らは辛らつなポップ・シングルの数々や、アルバム『Alma Mater』をリリース。その大半のプロデュースは、彼らが師と仰ぐピーター・フックが手掛けた。2002年には、オアシスのノエル・ギャラガーがこんなコメントを残している。「俺はわりと早い時期から音楽に興味を持つようになっていた。というのも、近所に住んでいた年上のやつらが全員、バーネイジのストックホルム・モンスターズってバンドのメンバーだったからさ。たしか『Fairy Tales』ってヒット曲があったはずだぜ。まずはジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダーから音楽の道に入って、次はザ・スミスだろ。その後、ザ・ストーン・ローゼズ、マンデーズに行って、それから自分でバンドを始めるってわけさ」。残念ながら、「Fairy Tales」(Fac41)がヒットしたなんて話は、他では聞いたことがないが…。


5. LIFE 「Tell Me」

LIFE 「Tell Me」

ライフは1984年にニュー・オーダーのスタッフだったアンディー・ロビンソンと、ギタリストのグラハム・エリス、そしてシンガーのリタ・グリフィスで結成された、最高の素質を備えた3人組バンド。ファクトリーからは「Tell Me」(Fac106、1984年7月)と「Optimism」(Fac122、1985年4月)という、2枚のパンチのきいたエレクトロニック・ポップ・シングルがリリースされている。両曲とも、スティーブ・モリスとジリアン・ギルバートが、Be Music名義でプロデュースを担当。また、ファクトリー・ベネルクスからは、フランス語バージョンの「Tell Me」の12インチが、「Dites Moi」(FBN37)というタイトルでリリースされている。バンドはニュー・オーダーやザ・ドゥルッティ・コラムとも何公演か共演。また、ロビンソンは後にエレクトロニック(ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとスミスのジョニー・マーによるユニット)の活動に関わるようになり、1999年にロブ・グレットンが早すぎる死を迎えた後は、ニュー・オーダーの共同マネジメントも務めている。


6. Durutti: Column A Little Mercy (Duet)

Durutti: Column A Little Mercy (Duet)

『L.C.(Lotta Continua)』『Another Setting』、そしてファクトリー・ベネルクスでお蔵入りになったアルバム1枚に続いて、ウィルソンはライリーを野心的でモダン、それでいてクラシカルな組曲の制作へと向かわせた。その成果は、1984年10月にリリースされたアルバム『Without Mercy』(Fact84)に収められている。ピアノとビオラの洗練された二重奏が軸となっているこの作品は、過去にも何度か別のタイトルで録音されてきたが、ここに収録されているのはライリーがジョン・メトカーフを迎えてレコーディングしたバージョン。“過ぎたるは及ばざるがごとし”というが、このアルバム・ヴァージョンもまさに手が込みすぎの印象がある。ライリーも同じ考えのようで、後にこう打ち明けている。「『Without Mercy』はジョークみたいなものだったのさ。あのアルバムはひどかった。より正統派な作品にしようとしてたんだ。全部トニー・ウィルソンのアイデアなんだけどさ。彼にしてみれば、俺がちゃんと評価されるようにって願望があったんだろうけどね。俺にはそんなこと、どうでもよかったわけだけど。みんなフォームばかり気にしていたよ。『それってアヴァンギャルド? それともジャズ?』とか言ってさ。ただの曲だろ? 気違いじみた曲じゃないか」。いずれにせよ、核をなすテーマには光るものがあると言えるだろう。


7. JAMES 「Hymn From A Village」

JAMES 「Hymn From A Village」

1982年にホウェイリー・レインジで結成されたジェイムス。フォークとポストカード・レーベル風のポップ・テイストを混ぜ合わせた、一風変わったその魅力は、ハシエンダでのギグを機に、まずファクトリーの目に留まることに。1983年9月には、デビューEP「Jimone」(Fac78)がリリースされ、各紙が“今週で一番のシングル(Single of the Week)”とこぞって称賛。この成功で、スミスのツアー・サポートの座を射止めた。しかし、期待の星とうたわれながらも、ファクトリーから2枚目のシングルをリリースするまでには1年以上を費やすことに。その後、この“変わり者”グループはファクトリーからのアルバムのオファーを断り、その代わりにサイア/ブランコ・イ・ネグロから作品をリリースした。1986年のインタビューで、ヴォーカルのティム・ブースはこう告白している。「僕らは常に動向を見て、慎重に歩を進め、よりビッグな方へと向かっていってたと思うんだ。でもこの国で、ファクトリーから(2枚の)シングルを出してみてわかったのは、彼ら(ファクトリー)がある意味、すごく役立たずだってことさ。世界に向けてアルバムを出すにしても、彼らには任せたくないと思ったんだよ。僕らは曲作りに多くの時間を費やしてきた。その曲を、できる限り最高のサウンドにしたいと思うのは当然だろ」。その後、5年間はメインストリームでの成功にありつけなかった彼らだが、“マッドチェスター”ブームを機に、1990年、ようやく転機を迎えることとなった。


8. KALIMA 「Trickery」

KALIMA 「Trickery」

1stアルバム『Night Time Shadows』に先駆けてリリースされたカリマのEP「Four Songs」。中でも、生き生きとしたスウィングのナンバー「Trickery」は、特に日本で人気を集めた。プロモーション用の短編映像を手掛けたのは、ボードウォーク・レコードのベイリー・ブラザーズだ。カリマは1986年、ACRにも所属していたメンバーたちの脱退を乗り越え、さらに3枚のアルバムをレコーディングしている。そんな彼らについて、NME誌は「カリマにまつわる最大の誤解、それは彼らがジャズ風だという見解だ」と指摘。「“トルコ帽のいかしたヤツら”というイメージを彷彿させ、“最高にクール”といったお決まりの形容で飾られる。でも実際のところ、彼らは定義不可能な存在と言えよう。いとも簡単かつ完全に、様々なジャンルのおいしいところを自由に行き交っているのだから」と評している。一方で、ウィルソンは、とりわけマッドチェスターがブレイクした後とあって、ファクトリーが彼らを必死に売り込もうとしていたことを認めている。「カリマは信用を得ることはできなかった。責任はレーベルにある」


9. A CERTAIN RATIO 「Sounds Like Something Dirty」

A CERTAIN RATIO 「Sounds Like Something Dirty」

3rdアルバム『I’d Like To See You Again』(Fact65)のリリース後、オリジナル・メンバーのピーター・テレルとサイモン・トッピングがACRを脱退。その後2年間、ACRはわずか2枚のシングルをリリースするにとどまった。しかし同時に、カリマをゲストに迎えながら、ジャズやラテンへの模索を進め、トニー・クイグリーとアンディー・コーネルといった新メンバーを迎えると、ついに1985年8月、ニュー・オーダーとの長期北米ツアーで新生ACRとして復活を遂げてみせた。ACRらしさが戻った入魂のシングル「Wild Party」。アナログのB面に収録されたこの「Sounds Like Something Dirty」では、ダイナミックな演奏を聴かせてくれる。


10. QUANDO QUANGO 「Genius」

QUANDO QUANGO 「Genius」

クアンド・クアンゴのアルバム『Pigs + Battleships』(Fact110)のリード曲でもある「Genius」。この映画音楽を思わせるインスト・ナンバーには、アンディー・コーネルがピアノで参加している。アンディーは当時ACRのメンバーで、後にスウィング・アウト・シスターの片割れとなる人物。このほか、サイモン・トッピング(元ACR)がパーカッションで、そしてドナルド(・ジョンソン、DoJo)の兄弟のバリー・ジョンソンもベーシストとして参加している。ゴニー・リトヴァルドは当時を振り返り、こう語る。「今にして思えば、クアンドで僕らがやっていたのは“造形”だったんだ。マイク(・ピッカリング)も僕も、それぞれ別の方法ではあったけど、後にハウス・ミュージックとなるものの開発に互いに深く関わっていたのさ。マイクはDJとしての圧倒的なキャリアをスタートさせた。ハシエンダがその出発点だね。彼はその後、T-Coyとの出会いを機に、ハウスのDJからポップ・ミュージックの制作へとその手法を置き換えた。それが彼のユニット、M Peopleにつながるというわけさ」


11. HAPPY MONDAYS「Freaky Dancin’」

HAPPY MONDAYS「Freaky Dancin’」

サルフォード出身の、伝説のヨタ者フーリガン・ギャング、ハッピー・マンデーズ。彼らはハシエンダで開催されたタレント・コンテストで最下位を獲得したものの、なぜかファクトリーに拾われることに。何のことはない、ブッキング担当のマイク・ピッカリングが、単に彼らに可能性を見出したからというのが真相のようだ。そんなマンデーズは1985年の終わりに、ピッカリングのプロデュースした「Delightful」(Fac 129)でファクトリーからデビュー。しかし、この2ndシングルでは、バーナード・サムナーとタッグを組んでいる。ウィルソンはこの作品について、「現代のソウル・ミュージックにおける、最もラフなイントロ」と表現している。マーク“ベズ”ベリーがバンドの正式なメンバーになったのも、ストロベリー・スタジオで行なわれたこのレコーディング・セッションの最中のことだった。ショーン・ライダーはこう振り返る。「“ボーイ・ジョージの時代”だった当時、A&Rのヤツらがやってくると、俺たちはスニーカーやトレーニングウェア、アディダスのアイテムなんかを身に着けてるわけ。それでヤツらが『君たちにはイメージってものがないな』なんて言いやがるから、『これが俺たちのイメージさ』って言っていたんだ。こいつらには(俺たちのイメージが)見えてなかったんだろうな。デュラン・デュランみたいなタイプを望んでいやがったのさ。だからベズを入れたんだ。アイツはキャラが立ってるし、俺らのイメージを体現するのに適役だったってわけ。俺らが何者かっていうのを世間に知らしめるのに一役買ってもらったってわけさ」


12. MIAOW「When It All Comes Down」

MIAOW「When It All Comes Down」

ブリストル生まれのキャス・キャロルは、1979年以降、マンチェスターの数々のバンドでプレイしてきた。また、リズ・ネイラーと共に、毒舌で知られるファンジン『City Fun』を創刊。1984年には2人そろってロンドンへと移り、キャスはNME誌のライターに。そのかたわら、インディー・ポップ・トリオのミャオを結成した。1stシングル「Belle Vue」を自主レーベルでリリースした後、1987年初めに「When It All Comes Down」がウィルソンの耳をとらえることに。ファクトリーは『City Fun』上でしばしば叩かれていたにも関わらず、この「When It All Comes Down」をシングルとして発売。続けてもう1曲「Break The Code」(Fac 189)もリリースした。この間にも、ミャオは2度にわたりPeel Sessionに招かれたり、画期的なコンピレーション『C86』に参加したりといった活躍をみせるが、アルバムの計画は中止となり、キャロルはソロに転向した。


13. THE RAILWAY CHILDREN 「Brighter」

THE RAILWAY CHILDREN 「Brighter」

ウィガン出身のザ・レイルウェイ・チルドレンは、1984年、ヴォーカル兼ギタリストのゲイリー・ニュービーによって結成。1986年9月、「A Gentle Sound」でファクトリーでのキャリアをスタートさせた。1987には、このシングル「Brighter」と、同曲を収録したアルバム『Reunion Wilderness』(Fact185)が、いずれもインディ・チャートの首位を獲得。その後、バンドはその印象的なギター・ポップを引っ提げ、ヴァージンへと移籍した。その後リリースされたアルバムも十分な売れ行きを見せたが、メインストリームでの成功はなかなか得られず。それでも1990年には「Every Beat of the Heart」でイギリスのトップ20入りを果たした。


14. BITING TONGUES 「Compressor」

BITING TONGUES 「Compressor」

マンチェスター出身の不屈のバンド、バイティング・タングスは、1980年から活動をスタート。New Hormones、Situation 2、Antlerといったレーベルを渡り歩いたのち、1983年にハワード・ワムズリーの映画『Feverhouse』を完成させるべくファクトリーが資金援助したことを機に、バイティング・タングスも同レーベルに加わることに。バンドはその後、ファクトリーから1985年に「Troublehand」(Fac134)、その2年後に「Compressor」と、パワフルでポリリズミックなファンクEPを2枚リリース。しかし売上は伸びないまま、中心メンバーのグラハム・マッセイはバンドを率いてよりエレクトロな方向へと舵を切り直すべく、1988年に808ステイトを結成。「タングスの最後のアルバムは、『Quadrastate』(808ステイトのアルバム)と同じセッションで録音されたものなんだ。もしハワードがあの時、ソプラノ・サックスを一晩スタジオに置き忘れていなかったら、『Pacific State』(シングル)はもっと違った流れになっていたかもしれないね」とマッセイは後に打ち明けている。


15. NEW ORDER 「True Faith」

NEW ORDER 「True Faith」

ニュー・オーダーの最高傑作にして最も成功したシングルの1つと言えば、この「True Faith」だろう。同作品は、シングル・コンピレーションの『Substance』(Fact200)に続いて、UKチャートの4位まで上り詰めた。しかし、それもこれも抜け目のないアメリカ人プロデューサーのスティーブン・ハーグのおかげと言えよう。というのも、歌詞がドラッグ依存に関する内容であったため、表現の仕方によってはこうした成功を自ら退けていた可能性があるのだ。「俺はヘロインはやらないよ」とサムナー。「でも、その曲を描いた時は、自分がヘロイン中毒になったらどんな感じかって想像しようとしたんだ。それに、当時はその日さえよければ、ほかはどうでもよかったからね。曲の中にこんな一節がある。『俺がまだ小さな少年だった時、小さな少年たちが俺にこう言ったんだ/今こうして一緒に成長してみると、目にするものが怖いんだって』。実はオリジナルだと『今、俺とこうして一緒にドラッグをやっていると』だったんだけど、スティーブン・ハーグがそれを変えさせたんだ。そういう歌詞が入ってると、ヒットしないって言うんだよ。彼は正しかったね。確かに曲は大ヒットした。でも俺たちは臆病だったと思うよ。今では時々、その部分をライブで変えて歌ってるんだ」


16. HAPPY MONDAYS 「24 Hour Party People」

HAPPY MONDAYS 「24 Hour Party People」

ハッピー・マンデーズの1stアルバムは、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの伝説のメンバー、ジョン・ケイルを迎えてレコーディングが行なわれた。このアルバム・タイトル『Squirrel and G-Man Twenty Four Hour Party People Plastic Face Carnt Smile(White Out)』をして、ある評論家は「ジョイ・ディヴィジョンがアルバート・ステップトウ(英国の60年代のシットコム『ステップトウ親子』に出てくるキャラクター)をヴォーカルに迎えて、売春宿でホット・チョコレートとジャムっている」ようだと喜々として評している。実際のところ、アルバムに収録されている楽曲の大半は、そのタイトルとはまるで矛盾していた。ショーン・ライダーは後にこう語っている。「ケイルには、俺たちの音楽がクソみたいに聴こえたと思う。彼には、俺らが望んでいた忍耐強さってのがなかったんだ。あらゆることに対して、大人すぎたのさ」。ここに収録された「24 Hour Party People」のこのバージョンは、デイヴ・ヤングのプロデュースで再レコーディングされたもの。とはいえ、サマー・オブ・ラブやマッドチェスターといった当時のムーブメントのサウンドには、まだ程遠いと言えるだろう。


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商品情報:
FACTORY RECORDS Communications 1978-92
品番 : 2564-69379

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楽曲解説