ホーム >> 特集 >> グレイトフル・デッド特集 『ロッキング・ザ・クレイドル』グレイトフル・デッド、エジプト1978
『ロッキング・ザ・クレイドル』グレイトフル・デッド、エジプト1978 / 室矢憲治(MUROKEN/SUNRISE STUDIO)

1978年春、エジプトで、それもピラミッドの麓で演奏がしたい、とまったく前例のない申し出を持って現れたアメリカのロックバンド、その代表という3人と面会した時、エジプト文化省大臣、サアド・エド・ディンはきっとけげんな気持ちでいたに違いない。しかし、「このすべての文明の源、エジプトのピラミッドという偉大な古代遺跡のパワーを感じながら演奏ができたら、それがどんなものになるか、僕たちは確かめてみたいのです」ベース奏者、フィル・レッシュが、このとてつもない計画を思い立った動機を、いかにもアーティストらしい無垢で情熱的な言葉で語った時、詩人でもある大臣の目が嬉しそうに輝いたという。「よろしい、許可を与えましょう。素晴らしいコンサートにして下さい!」

こうして実現したのが、ロックの歴史に残る1978年、9月14、15、16日エジプトのカイロ郊外、ギザ・サウンド&ライト野外劇場で行われたグレイトフル・デッドのコンサートだ。しかし、実現といってもここに至る道のりは簡単なものではなかった。そもそものきっかけはマネージャーのひとり、リチャード・ローレンが前年の休暇旅行中にエジプトを訪れて深く感銘を受け、土地の若者たちと交流して回っているうちに、偶然このピラミッドの麓の野外劇場を見つけ、“デッド・エジプト・ライヴ”を思いついたことに始まる。

当時の米音楽誌「Relix」の表紙を飾ったボブ・ウィアー(g) 当時の米音楽誌「Relix」の
表紙を飾ったボブ・ウィアー(g)

旅から戻ってアイディアを伝えると、72年のヨーロッパ・ツアー中にイギリスのストーンヘンジを訪れた折りに同様の構想を持っていたガルシアたちメンバーは大乗り気。知り合いを通じてあちこちにコンタクトし、黒のスーツを着てワシントンでエジプト政府にコネクションを持つ政府関係者を招いてパーティを開くなど、日頃のデッド流からは考えられない努力をして、協力とゴー・サインを勝ち取ったのだった。かくしてコンサートに必要な機材費、運送費、交通費、宿泊費などすべてデッド側でまかない、公演の収益は大統領夫人の主催するハンディキャップのある子供たちのための基金財団と遺跡保護庁に全額寄付という条件で、このとてつもないアメリカン・ロックンロール・バンドの夢の大冒険ツアーはロール・オン! 夏の初めにコロラドの2日間のレッド・ロックス・シアター公演、ニュージャージー州ジャイアンツ・スタジアム公演で、エジプト用の費用を作ると、9月頭、バンド・メンバー、クルーらと、ケン・キージーやビル・グラハム、グループとゆかりのある友人たち“デッド・ファミリー”250人を乗せた2機のチャーター便がシスコ、NY、パリ経由でカイロ入り。しかし、ザ・フーに借りて、ロンドンから海路でアレキサンドリア経由で届けられるはずのPAシステムは、途中なにかのトラブルで到着していない。しかし、根っから陽気なメンバーたちは、エジプトの民俗楽器ウードやタールの世界的名演奏者で、カリフォルニア在住の友人でもあるハムザ・エル・ディンが組織した地元の青年ミュージシャンたちとリハをする一方、砂漠で馬やラクダ乗りを楽しんだり、ピラミッドにのぼったり、別世界、旧世紀の香りのするカイロ市街を探索したり……。一般観光客とはまったく違う、このカリフォルニア・ヒッピーの一団の到来に、だがエジプト人たちはまったく困惑せず、デッドのオープン・ハートな態度に喜んで心を開いて彼らを歓迎したのだった。ピラミッド内の王の墓の番人にいたっては、その密室内のエコー効果に驚いて、子供のように嬉々としてコーラスを続ける彼らに見学時間がすぎても滞在を許可し、サウンド・エンジニアのダン・ヒーリーはステージのヴォーカルをここにケーブルで送り、スピーカーとマイクを設置してエコー・チェンバーとして使おうと発案。クルーのひとりが膝を血だらけにして、借り集めたワイアーを引いてセッティングしたが、結局、王たちが安眠をさまたげられるのを嫌ったのか、昼間の観光客たちに踏みつけられて、もとからやわなワイアーがへたったのか、このいかにもデッドらしいチャレンジは残念ながら実現しなかった。


同じく「Relix」誌の表紙を飾るジェリー・ガルシア(vo&g) 同じく「Relix」誌の表紙を飾る
ジェリー・ガルシア(vo&g)

遅れて心配されたロンドンからのPA、レコーディング機材もぎりぎりで到着。機材を乗せた車が砂で立ち往生、最後はラクダに積んで、と機材までもがエジプト体験することになったのだが、9/14当日朝には無事にセッティング終了し、その夜にはサダト大統領夫人や政府関係者、それにアメリカやイギリスをはじめヨーロッパから駆けつけたデッド・ファンたち、そしてアメリカン・ロック音楽を初体験しようと集まったカイロの若者たち、およそ千人の観衆を前に、まずハムザ・エル・ディン&ヌビアン・ユース・コアーの打楽器タールと手拍子によるチャント「オリン・アラギード」が始まった。そして演奏が進むうちにハムザの弟子、デッドのパーカッション奏者、ミッキー・ハートが加わり、ジェリー・ガルシア、ボブ・ウィアー、フィル・レッシュ、ビル・クロイツマン、ドナ&キース・ゴドショー、7人の音楽文化大使たちが登場し、演奏は見事に切れ目なく「ファイアー・オン・ザ・マウンテン」に移っていった。


そして9月16日はなんと皆既月食の夜、欠け始めてから再び夜空に満月が帰ってくるまでの2時間をはさんで、この騒ぎは何事かと砂漠の向こうから現れたベドウィン族の人々もラクダの背中で揺れる中、デッドは当時制作中だった次のアルバム『シェイクダウン・ストリート』に入る新曲「アイ・ニード・ア・ミラクル」や代表曲「ディール」「トラッキン」などを熱演。それは聴衆にとっても、彼らにとっても“二度と味わうことがないだろう宇宙的な次元に属する生涯の体験”(ジェリー・ガルシア)をしたのだった。

いや、この夜、アメリカではカーター大統領を仲介役にキャンプ・ディビッドの山荘でミラクルな出来事が起こっていた。これまで30年に渡って衝突が続いていたイスラエルとエジプトの首脳が歴史的な平和条約を締結したのだ。あのラヴ&ピースを合言葉にしたサンフランシスコの若者シーンから登場し、世界にその名を知られるようになって10年。グレイトフル・デッドのヴァイブが、世界の平和への動きにシンクロしたのだろうか?

音楽シーンの流れに即してみれば、パンク・ミュージックが登場し、レゲエ・ミュージックが流れ出し、ワールド・ミュージックの台頭が予感されだしたこの78年。古き良きアメリカン・ロックのパイオニア・グループ、グレイトフル・デッドは自らすすんで、その音楽を聴いたこともないアナザー・ワールドへ、いや人類史起源の場所へと運んでいったのだった。今、その冒険の旅、伝説の旅の全貌を伝える音と映像のドキュメント『GRATEFUL DEAD/ROCKING THE CRADLE:EGYPT 1978』が、30年の時の流れを経て発表されたことを、僕はこころから喜びたい。

商品情報 :
GRATEFUL DEAD / ROCKIN THE CRADLE, EGYPT 1978
品番 : R2.512959


室矢憲治(MUROKEN)

室矢憲治(MUROKEN

 60年代からアメリカの音楽シーンをNY、サンフランシスコなどでリアルタイムで体験してきたロック・ジャーナリストのパイオニア。アメリカ最初のロック評論集『アウトロー・ブルース』(ポール・ウィリアムス)を皮切りに『ニール・ヤング詩集』『ビートルズ・マジカル・ヒストリー・ツアー 1964-65 』(小学館文庫)など著訳書多数。http://www.muroken.com/でウエブ・マガジン『ゴールデン・ロード』を主催している。

サンフランシスコ・サウンド・メモワール 1967- 2007


GRATEFUL DEAD 関連盤

WINTERLAND 1973 COMPLETE RECORDINGS (9CD)

GRATEFUL DEAD
WINTERLAND 1973 COMPLETE RECORDINGS (9CD)

グレイトフル・デッド、70年代前半に全開したデッド・サウンドの“最も熱い3日間”を本拠地、サンフランシスコ、ウインターランドでとらえたコンプリート・レコーディング、待望のBOX SETで登場!!


TO TERRAPIN : MAY 28, 1977 HARTFORD,CT (3CD)

GRATEFUL DEAD
TO TERRAPIN : MAY 28, 1977 HARTFORD,CT (3CD)

アメリカン・ロック史上、最高のライヴ・パフォーマンス・バンド、グレイトフル・デッド。その40年に渡る輝かしい軌跡の中で、多くの人々が“グレイテスト・ツアー”と認める1977年スプリング・ツアーのフィナーレ・コンサートがついにCD化。伝説の中の伝説が、今、全貌をあきらかに!!


ROCKIN THE CRADLE, EGYPT 1978

GRATEFUL DEAD
ROCKIN THE CRADLE, EGYPT 1978

品番 : R2.512959  

屈指のアメリカン・ロック・バンドそしてピースフルなメッセージを発信するライヴ集団グレイトフル・デッド。1978年にエジプト、ギザのピラミッドの前で行なわれた、伝説のライヴを収録!