「トム・トラバーツ・ブルース」とは


ここでは、“酔いどれ詩人”の異名をもつトム・ウェイツが
この「トム・トラバーツ・ブルース」で何を歌っているのか、を
ご紹介させて頂きます。

早速ですが「トム・トラバーツ・ブルース」、
日本語にすれば “トム・トラバート の ブルース”。
そのタイトルだけでは、“ブルース”というキーワード以外には
楽曲の内容を想像しにくいものになっています。

しかし、ひとたび耳にすれば独特の、太くしゃがれたトム・ウェイツの歌声や、
雰囲気豊かに楽曲の世界観を盛り上げるストリングスのアレンジなど
決して忘れる事のできない印象的なこの楽曲。
そのインパクトは、この楽曲の発表以後30年以上の時代を超えて、
たえず聴く人の耳に、心に深く染み入ってきました。

さて、一言で言うなら、「トム・トラバーツ・ブルース」 は、
“訳あって祖国を離れ、外国で放浪し続ける旅人の歌”
ということになるでしょう。

この楽曲が生まれた背景には、次のようなトム・ウェイツの環境の変化がありました。

1973年のデビューから計3枚のアルバムを発表していたものの、
セールス面ではそれまでに大きな実績を残せなかったトム・ウェイツが、
1976年に、彼のまだまだ秘めたる実力を認めていたレコード会社の援助を受けて
ロンドンに渡り、そこでの滞在中に「トム・トラバーツ・ブルース」は書かれました。

この歌では、歌詞に登場する主人公を通して “都会の中でのボロボロの生活への疲れや孤独”
が表現されています。 “酔いどれ詩人”の異名をもつトム・ウェイツによる、この
歌詞の中に登場する“no one speaks English (英語を話す人が誰もいない)”
というフレーズは “自分はよそ者である” という、ロンドンでの生活の中で感じた
疎外感のようなものから生まれたものかもしれません。

さらに歌詞には、“真っ暗な裏通り”、“兵隊たち”、“吠え立てる犬”、
“お守りの十字架”、“薬の売人”、“ストリップ劇場”、 そして
“お酒を飲み干した千鳥足の自分”・・・などの言葉が並び、
「大都会の夜の中で眠りにつく放浪者」の視点で歌詞がつづられていきます。

しかしながら、このロンドン滞在期のトム・ウェイツが悲惨な状況での生活を
強いられていたかと言えば、決してそういうわけではありませんでした。
ロンドンでのデビュー・ライヴとなった名門ロニー・スコッツ・クラブ<※1>での
パフォーマンスはメディア関係者から好意的に迎えられ、またファンからも
熱烈に歓迎されました。
それは、当時のアメリカで大衆の支持を得ていた多くの音楽に対して、
パンクムーヴメント隆盛前夜のイギリスの音楽ファンが拒否反応を示しつつあった状況の中で、
しかしアメリカから来たトム・ウェイツの音楽が流行に乗ったものではなく、
またジャズやブルースをしっかりルーツに持ちながらも
独特の世界を生み出していたことが、評価されました。

イギリスの後に続けて回ったほかのヨーロッパ各地でも、トム・ウェイツは
好意的に迎えられ、アメリカ各地での公演とは異なった手ごたえを感じていました。
そして、その頃に書かれた多くの楽曲が次作の『スモール・チェンジ』に収録され、
同アルバムは自身の転機となる実績を残します。
そしてそのうちの1曲が「トム・トラバーツ・ブルース」でした。

「トム・トラバーツ・ブルース」の曲中に登場する印象的なフレーズには
オーストラリアの第2の国歌とも呼ばれる「ワルチング・マチルダ」の一節が
引用されています。
これは筆者のように英語の得意でない者には、
“マチルダとワルツを踊る”という言葉のようにも感じますが、
「ワルチング」には“あちこちを渡り歩く”という意味があり、また
「マチルダ」という言葉はイギリスでは昔から女性の名前として用いられるほか、
オーストラリアでは “路上生活者が身の周り品を携行するためのカバン”
の意味でも用いられる言葉です。

トム・ウェイツはここで言葉を巧みに操り、歌詞には両方の意味を込めています。

この歌の主人公たる “孤独に眠りにつく放浪旅人” は、
先述の通り、様々な都会の夜の裏通りの姿を切り取り、
夜の街で働くさまざまな労働者に、そして最後はマチルダに、
「おやすみ」の言葉をかけて夜の眠りにつきます。

いったい、このような歌詞を書き、それが歌い手のリアルな経験のように感じさせる
トム・ウェイツは、実際にどのような環境で、どのような音楽を聴いて育ったのか、
筆者も大変興味深く感じています。
(プロフィールのページにトム・ウェイツの経歴が少しだけ紹介されています。)

なお、この「トム・トラバーツ・ブルース」は、1976年にトム・ウェイツが
イギリスでテレビ出演を果たした際にさっそく披露されました。
またこれまでに多くのアーティストにカヴァーされていますが、
1992年に、ロッド・スチュワートによるカヴァーが全英6位を記録。
ロッド・スチュワートは、翌年に発表した『アンプラグド』でもこの楽曲の
カヴァーを披露し、同アルバムは全米でも大ヒット&ロングセールスとなりました。

そして2009年の日本で、「トム・トラバーツ・ブルース」が再び時代を超えて
大きな注目を集めていることは、このページの読者の方ならご存知のことでしょう。
戦後復興からの高度成長期の日本を舞台に、ビジネスの世界で
様々な矛盾を感じながらも強く生き抜く主人公 “壹岐 正” の、
時代を超えて人々の共感を集める人間の姿を描いたドラマ
『不毛地帯』にて、時に優しく、時に憤怒したように歌い上げられる
「トム・トラバーツ・ブルース」。
このドラマも、そしてこの歌も、時代を超えて現代社会を生きる我々の心に
訴えかけてくるものがあるのではないでしょうか。

<※1>
古くは、デューク・エリントンやカウント・ベイシーらのジャズメンや
ジミ・ヘンドリックスらが出演し、そして最近でもギタリストの
ジェフ・ベックのライヴ・アルバムが収録されるなど音楽ファンには
おなじみの名門ジャズ・クラブ。

参考文献:『トム・ウェイツ 素面の、酔いどれ天使』 著:パトリック・ハンフリーズ