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そのとき、ターンテーブルは動いた!
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そのとき、ターンテーブルは動いた!
ポップ・ミュージックのご意見番、ミュージックス福岡の大薗哲夫が黎明期のワーナー・ブラザーズのシングル盤を一刀両断! ヒットの現場に居合わせた者のみが知りうる驚愕の事実の連続に、ただただ脱帽。

ワーナー・レーベル50周年を記念してスタートしたワーナーミュージック・ジャパンのサイトの中の「ワーナー50周年記念ページ」は、ワーナー・レコードに関する様々の興味深い記事が満載となりましたが、その中で、個人的な想い出ではありますが、拙文をお読み頂き、ありがとうございました。50年に因んで50項目を書かせていただきましたが、このページの責任者の宮治さんの大いなる励ましを受けながら、成し遂げることができました。本当にありがとうございました。ワーナー・レーベルは私にとっても想い出深い、大好きなレーベルです。今回、書きながら、その想いを新たにしました。  これからもますますワーナー・レコードが発展し、素晴らしい音楽を送り出し続けてくださることを祈念しています。ありがとうございました。               

2008年12月18日 大薗哲夫

ネヴァー・マイ・ラヴ / Never My Love

ワーナー・ブラザーズのすべて
ヴァリアス / Various
[日本盤・東芝 BP-9477B]

ワーナー・ブラザーズのすべて
1958年に設立されたワーナー・レコード。日本に登場したのは1960年。はじめは日本コロムビアを通じて、続いて東芝から発売され、現在はリプリーズ、エレクトラ、アサイラム、アトランティックなどのレーベルを中心に独立総合レーベルとして、ワーナーミュージック・ジャパンから素晴らしい作品の数々を送り出し続けている。

ほぼワーナーのスタート時より聴いてきたワーナの懐かしい作品の中から、50周年に因んで50タイトルを目標に個人的な想いを綴ってきたこのコーナー。48タイトルの紹介が終わって、残すところ2タイトル。この2タイトルは集大成的な意味も込めて、ヒット・パレード・ファンを自認する私が愛するヒット・パレード・アルバムから選んでみた。

中学生のころからラジオのヒット・パレードを聴き始めて、洋楽のとりこになり、やがてレコードを集めるようになった。ラジオからは次々と気になる曲が紹介され、欲しいレコードばかり。しかしお金がない。思うようには買えなかった。買うのはもっぱらシングル盤で、聴くのはラジオのヒット・パレード。つまりアルバム単位ではなく、「曲」単位のシングルだった。

レコードをやっと買えるようになったころ、重宝したのがヒット曲を集めたオムニバス・アルバム。シングルのヒット曲をとりまとめたオムニバスは、持っている曲のダブリもあるが、買えなかった曲もたくさん収録されていた。手軽に聴けるヒット・パレードという感じで大好きだった。すでに持っている曲も、万一、レコードに傷をつけたり、ノイズが多くなった場合の保存用スペアとして貴重な存在となった。ワーナーの日本発売が東芝からワーナー・パイオニアに移る直前、東芝から発売された「ワーナー・ブラザーズのすべて」もそのようなアルバム。2枚組のヒット曲コレクションで、カスケイズの「悲しき雨音」、「悲しき北風」、トロイ・ドナヒューの「恋のパーム・スプリングス」、ジョニー・ソマーズの「内気なジョニー」、「すてきなメモリー」、エディ・フォンティーンの「戦場の恋」、ロジャー・スミスの「恋の渚」、コニー・スティーヴンスの「シックスティーン・リーズンズ」から、アソシエイションの「ネヴァー・マイ・ラヴ」、「ウィンディー」、メイソン・ウイリアムスの「クラシカル・ガス」、ハーパース・ピザールの「恋の59号通り」、アイズ・オヴ・マーチの「ヴィークル」、マーシーの「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」、ヴァン・モリソンの「神秘の世界」、グレイトフル・デッドの「アンクル・ジョンズ・バンド」、ディープ・パープルの「ブラック・ナイト」まで収録されている。

他にヒットした「サンセット77」がドン・ラルク楽団のヴァージョンではなくウォーレン・バーカー楽団で、エミリオ・ペリコリの「アル・ディ・ラ」が日本でのヒット・ヴァージョンではないテイクで、またビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がワーナーに於ける新録音ヴァージョンで、エヴァリー・ブラザーズのケイデンス・レコードに於ける大ヒット曲「バイ・バイ・ラヴ」、「夢を見るだけ」がワーナーでの新録音で、トーケンズの「ライオンはねている」もオリジナル・ヒットから5年半後に新しく録音し、タイトルも Wimoweh 5 1/2 Years, Later 「ライオンはねている'68」として収録されている。ワーナー初期から新時代を迎える直前までの作品が収められた、超お気に入りのアルバムである。

ネヴァー・マイ・ラヴ / Never My Love

ホット・メニュー'73 / HOT MENU'73
ヴァリアス / Various
[日本盤・ワーナー・パイオニア P-1-2]

ホット・メニュー'73
ワーナー・パイオニアになって5年、画期的なアルバムが登場した。新しい時代の音楽を紹介するコンピレイション・アルバムだが、ワーナー・パイオニアが抱えるビッグ・レーベルの紹介も兼ねたプレゼンテイション・アルバム、さらにヒット・パレードの要素も持っているという2枚組のヴォリュームのアルバムだった。

レコード会社は特約店に向けてサンプル・レコードを作っていた。自社が抱えるレーベルを超えて、毎月の新譜をハイライト的に紹介したレコードである。今では一種の流行のようになっているレーベルを超えたコンピレイション・アルバムだが、当時はごく希な企画ものを除いてレーベルを超えるということはなかった。作品自体は当然だが、専属会社が違うアーティストが共演することなども考えられなかった。ビートルズ登場以後、アーティストの交流も盛んになり、共演レコーディングも行われるようになったが、これとて、最初の頃はいかに有名なアーティストでもクレジットされないとか、変名を使って参加という、今では考えられない時期もあった。それほどレーベルに対する誇りというのか、権威というのか、そういうものがあった。さらに同じレーベルのアーティストもエルヴィス・プレスリーやビートルズなどは他のアーティストとのコンピレイションも発売されなかった。それが特約店向けサンプル・レコードで非売品ということもあり、レーベル本家もアーティスト側も許可していたのだろう。

ワーナー・パイオニアが発売した2枚組のアルバムは、1枚がワーナー・レーベル(ワーナー原盤中心、他にリプリーズ、カプリコーン原盤)と、もう1枚がアトランティック、エレクトラなどで、市販レコードとしては同じパッケイジに異なるレーベルが収められるというのは珍しかった。それに今考えれば、凄いアーティストが網羅されている。それだけではなく、当時のヒット・パレードを思わせる、曲にしてもヒット曲中心の選曲がなされていた。プロモーションの意味合いを強くし、レーベル本家、アーティストの認可も得やすかったのだろう。価格も2枚組にもかかわらずこのアルバムは980円という破格の価格で販売された。収録曲はワーナー中心の方が「アリスは大統領/アリス・クーパー(全米26位)」、「想い出のサマー・ブリーズ/シールズ&クロフツ(全米6位)」、「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック/ドゥービー・ブラザーズ(全米11位)」、「ビューティフル/ゴードン・ライトフット(リプリーズ・レーベル)」、「ダーク・エンド・オヴ・ザ・ストリート/ライ・クーダー」、「ニューオーリンズの町/アーロ・ガスリー」、「目を閉じてごらん/ジェイムス・テイラー(全米1位の「君のともだち」のB面曲)」、「ナイトクラブ/タワー・オヴ・パワー(全米66位」、「プレイング・イン・ザ・バンド/グレイトフル・デッド」、「時はもう無駄に出来ない/オールマン・ブラザーズ・バンド(カプリコーン・レーベル)」、「ワイルド・ナイト/ヴァン・モリソン(全米28位)」、「ミートボール/セクション」、「モモトンボ/マロ」、「ブラック・ナイト/ディープ・パープル(全米66位)」で、もう1枚も「ホワット・キャン・アイ・ドゥ/レッド・ツェッペリン」、「ラッキー・マン/エマーソン、レイク&パーマー」、「愛は面影の中に/ロバータ・フラック」などが収録されていた。

ワーナー・パイオニアは新会社発足のころから音楽シーンが大きく変わり、新会社もうまく対応できた。このサンプラーは正にその対応状況を示したものだったといえる。私自身も、ワーナーの新しいライン・アップには大いに興味を抱き、相変わらずヒット・ソングに対しては、引き続きレコードを集めつつ、新しいロックのコレクションも急激に増えた。またこのころより、ラジオに関わる仕事も本格的になった。ワーナーのみならず、傍系のレーベルも含め、個人的にはヴォーカルものを好みんだ。リンダ・ロンシュタット、マリア・マルダー、ニコレッタ・ラーソン、エミルー・ハリス、カーリー・サイモン、ジョニ・ミッチェル、ボニー・レイット、リッキー・リー・ジョーンズ、ゴードン・ライトフット、ジャクソン・ブラウン、アンドリュー・ゴールド、イーグルス、ヴァン・ダイク・パークス、クリス・レア、ケニー・ロジャース、ヴァン・ヘイレン、カーズ、ZZトップ、J.D.サウザー、ジェイムス・テイラー、シック、スタッフ、スティヴン・スティルス、ドゥービー・ブラザーズ、トム・ウェイツ、ニール・ヤング、フリートウッド・マック、リトル・フィールド等々、気になる、そして好きになったアーティストが続々登場し、夢を大きくしてくれた。

ネヴァー・マイ・ラヴ / Never My Love
 

ドミノ / Domino
ヴァン・モリソン / Van Morrison
[日本盤・ワーナー・パイオニア P-1001、アメリカ盤 7434]

1970年に 米国ワーナー・ブラザーズと、日本のパイオニア株式会社、そして渡辺プロダクションの3社共同出資によるワーナー・ブラザーズ・パイオニア株式会社が設立された。これほどの大きなレーベルが提携先を変えたり、会社を新しくスタートさせるということは、先にCBSソニーの例を見ていたとはいえ、大きな驚きだった。新会社はそれまで東芝が発売していたワーナーを核に、ビクターが発売していたリプリーズ、エレクトラ、ポリドールが発売していたアトランティックをまとめたビッグ・レーベルとなった。世界的にレコード会社の統合、再編が活発になり、日本もその波に呑まれることになった。業界の動きは決して穏やかではなかった。ワーナー・ブラザーズ・パイオニア株式会社は、現在は渡辺プロダクション、パイオニアとも離脱し、株式会社ワーナーミュージック・ジャパンとなっている。さて、設立されたワーナー・パイオニアは1971年に第1回新譜を発売した。私はレコード会社に所属していた時期だったので、こうした動きは身近に体験し、ショックも大きかったが、反面、音楽ファンの立場からは、新しい会社がどのような動きをみせるのか興味もあった。CBSソニーがいろいろ新しい風を業界に吹き込んだが、ワーナー・パイオニアもどんな手を打ってくるのだろうと興味があった。

実際、自分も販売に関わった大レーベルが他社に移るというのは、複雑な気持ちで、決定したからには、今まで以上に音楽ファンが喜ぶようなレコードを発売してほしいと願った。ワーナー・パイオニアの第1回新譜の第1弾はヴァン・モリソンの「ドミノ」が選ばれた。ヴァン・モリソンは東芝時代にも「カム・ランニング」のシングルを出していたが、ヒットしなかった。リード・ヴォーカリストだったゼム時代の代表曲「グロリア」も当時はあまり知られていなかったので、どちらかと言えばマニアックなアーティストが第1弾を飾った訳で、音楽ファンとしては、今後の発売に期待がふくらんだ。結局「ドミノ」は、アメリカでは9位まで上がるヴァン・モリソン最大のヒットとなったが、日本では当たらなかった。

私はこのころより、外国盤にも興味を覚え、まだ入手するには、特に地方に住んでいると費用も時間もかかったが「ドミノ」は外国盤で手に入れた。  ワーナー・パイオニア発足のころまで、まだレコード会社が毎月発行する月報が存在した。ワーナー・パイオニアはそれまでのレコード会社が出していた月報とは違ったハンディ・サイズで出した。またレコード袋もレーベル別に制作された。やがてこれは全レーベル共通して使えるように変更された。これは各社、外国との契約レーベルが増えたことにもよる。

ネヴァー・マイ・ラヴ / Never My Love
 
結婚宣言 / Anyone
[Bergman - Trovajoli]
ソフィア・ローレン / Sophia Loren
[日本盤・ワーナー・パイオニア P-1044、アメリカ盤 7479]

東芝時代にすでに動きが見え始めたディープ・パープルの「ブラック・ナイト」は新会社の第2回発売で、AB面とも東芝・ワーナー盤と同じで再発売された。たちまちベスト・セラーとなり、ヒットを受け継ぎ、加速させた感じがあった。レコード・マンスリー誌の調査では1971年5月号掲載で「洋楽ポピュラー(45)の29位に初登場、翌月調査では14位に上昇している。

レコード・マンスリー、「今月のベスト・セラーズ」 洋楽ポピュラー(45)1971年6月号

1 ナオミの夢  ヘドバとダビデ
2  ハロー・リバプール  カプリコーン
3  ある愛の詩 サウンド・トラック
4  ある愛の詩 アンディ・ウイリアムス
5  アナザー・デイ ポール・マッカートニー
6  ローズ・ガーデン リン・アンダーソン
7 雨を見たかい  クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル
8  この胸のときめきを エルヴィス・プレスリー
9 ノックは3回 ドーン
10 シーズ・ア・レイディ トム・ジョーンズ
11 美しき人生 ジョージ・ハリスン
12 流れ者のテーマ サウンド・トラック
13 シルヴァー・ムーン マイク・ネスミスとファースト・ナショナル・バンド
14 ブラック・ナイト ディープ・パープル(P-1014)
15 嵐の恋 バッド・フィンガー

同号によるポピュラーLPのベスト・セラーズ上位にはエルヴィス・プレスリーの『この胸のときめきを』(1位)、ジョン・レノンの『ジョンの魂』(2位)、ビートルズの『レット・イット・ビー』(3位)、サイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』(4位)、ジャニス・ジョプリンの『パール』(7位)、CCRの『ペンデュラム』(8位)、エルヴィス・プレスリーの『オン・ステイジ1970』(9位)、サンタナの『天の守護神』(10位)とロック関係の作品が並び、ロックの時代に突入した印象を強くした。
そんな中、かつてのワーナーらしいレコードが発売された。映画はそれほどのヒットにはならなかったが、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した『結婚宣言』のテーマ曲をソフィア・ローレンが歌ったレコード。アルマンド・トロヴァヨーリ作曲の曲の良さはいうことなし。レコードの楽しみは曲だけではない。私の愛するワーナー・レコードのロゴは、緑地はかわらないが、ワーナー・セヴンアーツからもとに戻っている。またエンヴェロープもワーナー・レコード専門の袋だった。

ネヴァー・マイ・ラヴ / Never My Love
アソシエイション
アソシエイション

恋のウー・アイ・ドゥー / Ooh I Do
[De Paul - Blue]
リンジー・ディ・ポール / Lynsey De Paul
[日本盤・ワーナー・パイオニア P-1329、イギリス盤 K-16401]

ポップ音楽シーンも様変わりしようとしていたころ、新会社ワーナー・パイオニアは誕生した。ワーナー・パイオニアはこうした新しい動きにいち早く対応していくことになるが、過去の遺産ともいえる名盤、名曲、名演奏も発売し、さらにそうした精神を受け継ぐ曲も出すのを忘れなかった。そんな中、60年代にブームを作り、それ以後も音作りに大きな影響を与えたスペクター・サウンドによる「恋のウー・アイ・ドゥー」という曲が登場した。イギリス・ワーナーからのリンジー・ディ・ポール。すでに他社から「シュガー・ミー」や「オール・ナイト」のヒットを出したこともあり、移籍してきたということになる。各ラジオのヒット・パレード番組の順位やレコード・セールスのデータを独自に集計した資料によると、日本では彼女の最大のヒットとなった。

「今週のベスト・テン」1974年10月20日付け順位

1 緑の風のアニー  ジョン・デンヴァー
2  ロック・ユア・ベイビー  ジョージ・マックレー
3  トゥ・ビッグ  スージー・クアトロ
4  恋のウー・アイ・ドゥー リンジー・ディ・ポール
5  シュガー・ベイビー・ラヴ ルベッツ
6  愛はメッセイジ MFSB
7 ビーチ・ベイビー ファースト・クラス
8  ワイルド・ナイト マーサ・リーヴス
9 イッツ・オンリー・ロックン・ロール ローリング・ストーンズ
10 遙かなる河 ニルソン
11 人生なんてそんなもの スリー・ドッグ・ナイト
12 初恋にボンジュール アラン・シャンフォー
13 アナザー・サタデイ・ナイト キャット・スティーヴンス
14 アイ・ショット・ザ・シェリフ エリック・クラプトン
15 愛のめぐり逢い ディオンヌ・ワーウィック&ザ・スピナーズ

「恋のウー・アイ・ドゥー」が発売されたのは1974年。このころになるとワーナー・パイオニアもワーナー、アトランティック、リプリーズ、エレクトラ、アサイラムの洋楽5大レーベルとパイオニアの邦楽レーベルにより、大レーベルのイメージが強くなっていた。  当時、日本のレコード会社も海外の動きの影響を受け、洋楽に関しては「6強」がリードしていた。その6強はロンドン、A&M、ユナイト、セヴン・シーズを核にしたキング・レコード、キャピトル、オデオン、リバティを核にした東芝、ポリドール、MGMを核にしたポリドール、RCA、ドット、モータウン、MCAを核にしたビクターとフィリップス、マーキュリーを核にしたビクター同系の日本フォノグラム、CBS、エピックを核にしたCBSソニー、そしてワーナー・パイオニアである。ワーナー・パイオニアはローリング・ストーンズ・レーベルも獲得していた。

「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー / マーシー」
ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー / Love Can Make You Happy
(J. Sigler)
マーシー / Mercy
[日本盤・東芝 BR-2299、 アメリカ盤 WS 1799 (LP)]

1969 年にワーナー・レーベルでマーシーの「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」が出た。ハーパース・ビザール、
アソシエイションにも通じるソフト・ロックだ。

ビートルズの大ブレイク以降、ビートルズをはじめ、人気グループの動向、新譜などの情報を強く求められるようになった。外国、特にアメリカ、イギリスでのヒット状況も関心を集めた。アメリカの音楽業界誌ビルボードが毎週発表するヒット・チャートは特に注目を集めはじめた。 1970 年代、民放 FM 放送がスタートすると、この動きは顕著になった。ビルボードのチャートでベスト・テンに入ったヒット曲は、ほぼすべて日本で発売される状況になった。また、アメリカ本土で作られたヒット・チャート番組が日本に輸入され、一部、日本で手が加えられて、放送されたりもした。ファンにとっては発売前の新曲がいち早く聴けて好評を博し、レコード・セールスの面でも大きく貢献した。音楽雑誌などにも、アメリカのチャートが掲載されることが多くなった。

話を戻して、マーシーの「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」。この曲がアメリカでヒットしたとういうニュースもこれらの情報により知った。ビルボードでは2位まで上がり、ミリオン・セラーも記録している。当時、レコード会社の営業を担当していた私は、好きなラジオのヒット・パレード番組は忙しさのためにほとんど聞くことは出来なかった。そのあなを営業でレコード店を訪問した際、出来るだけ、他社のレコードにも目を通すことで埋めていた。ある日、マーシーの「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」が CBS ソニーからも発売されているのを知った。レコードの契約は難しい問題もあるのは分かっていた。アソシエイションのレコードがキングのロンドン・レーベルで発売されていた例は先に述べた。かつてはダニー・ウイリアムスの「ホワイト・オン・ホワイト」がほぼ同時にオデオン・レコードとユナイト・レコードから発売されたことがあるし、アーニー・ K ・ドウの「いじわるママさん ( ままはは ) 」もほぼ同時期にトップランク・レコードとロンドン・レコードから出た。マーシーの CBS ソニー盤は原盤サンディ・レコードで、アメリカでヒットしたのはこのレコードということが分かった。マーシーは「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」のレコードを出すとすぐにワーナー・レコードに引き抜かれ、「ラヴ・キャン・メイク・ユー・ハッピー」を再録音し、日本ではワーナー盤とオリジナル盤がほぼ同時に発売された。アメリカのヒットに比べると日本では全くといっていいほど評価されなかったが、それでもワーナーのソフト・ロック路線に興味を持っていたファンには評判が良かった。このころからポップ・ミュージックも、より幅 ( ジャンル ) が広がり、発売数もレーベル数も増えていった。

愛の翼 / ロッド・マッケン/ロック・ハドソン
愛の翼 / ロッド・マッケン/ロック・ハドソン

愛の翼 / Wings (Why Do They Want Us To Walk)
(A. Clarke - G. Nash)
ロッド・マッケン 、 ロック・ハドソン / Rod McKuen - Rock Hudson
[日本盤・東芝 BR-2574、アメリカ盤 7392]

ワーナー・レコードはヒット曲だけでなく、映画音楽、オーケストラ演奏、ボサ・ノヴァ、フォークなど多彩なレコードを発売し、ビッグ・レーベルとなっていた。そんな中で詩人ロッド・マッケンの「海」、「空」、「大地」をはじめとする一連のレコードはベスト・セラーにもなっていた。このロッド・マッケンの「海」、「空」、「大地」はロッド・マッケン自身の詩の朗読のレコードで、話題になり、その後も続々と発売された。

日本では岩谷時子の訳詞により、石坂浩二が朗読し、ベスト・セラーを記録した。そのロッド・マッケンが今度は映画俳優のロック・ハドソンと共演したレコードを出した。いかにもワーナー・レコードらしい、趣味のいい、豪華で、ユニークなレコード「愛の翼」。ロック・ハドソンが歌を歌うということにも興味がある。ロック・ハドソンはドリス・デイと共演した映画「夜を楽しく」の際、主題歌を録音し、日本でもシングル盤が発売されたこともある。「愛の翼」はかつてホリーズのメンバーだったアラン・クラークとグラハム・ナッシュの作曲。この当時、グラハム・ナッシュはクロスビー、スティルス、ナッシュ & ヤングで活躍していた。ロッド・マッケンは詩人にとどまらず、歌手、俳優としても知られていた。このレコードはロッド・マッケンがプロデュース、彼が音楽を担当 ( 作詞、作曲 ) した映画「ジョアンナ」で編曲、指揮をしたアーサー・グレンスレイドが楽団指揮をした文字通りの豪華盤となっている。

B面にはウェイロン・ジェニングスのカントリー・ヒットのカヴァーで、エヴァリー・ブラザーズやポール・ヤングなどによってもカヴァーされた通好みの歌曲が選ばれたというのも素晴らしい。こちらの編曲はディック・グローヴ。
ワーナーならではの一枚。

「ブラック・ナイト / ディープ・パープル」
ブラック・ナイト / Black Night
(Blackmore - Gillan - Glover - Lord - Paice)
ディープ・パープル / Deep Purple
[日本盤・東芝 BR-2607、アメリカ盤 7405]

1968 年の秋にディープ・パープルというグループの「ハッシュ」という曲がアメリカで4位まで上がっている。日本でもポリドール・レコードから発売されている。原盤はテトラグラマトン・レコード。残念ながら日本ではヒットにはならなかった。アメリカでのヒットを受け、さらにテトラグラマトンが倒産したことにより、ディープ・パープルは大手のワーナー・レコードに迎えられた。当時、アメリカではクリームやジミ・ヘンドリックスらの音楽が注目を集め、アルバムもベスト・セラーになり、他のグループにも大きな影響を与えはじめていた。

1970 年、レコード会社で営業をしていた頃、営業担当者は、訪問した販売店での仕事内容やレコードの動きなどを報告する日報の提出を義務づけられていた。そのいくつかは会議の席で、紹介されることもあった。ある時、ディープ・パープルの「ブラック・ナイト」の動きが目立つという報告がわが支店でも何件かあり、他の支店でも同じだった。「ブラック・ナイト」は 1970 年9月にワーナーからディープ・パープルの第1弾シングルとして発売されていたが、私の担当地区ではあまり動きは見られなかった。しかし、ラジオでのチャート・アクションも出てきて、売れるようになった。
1960 年代後半から、キャンド・ヒート、ステッペンウルフ、プリティ・シングス、ジョニー・ウインター、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル、ヤードバーズ、グレイトフル・デッド、フリートウッド・マック、エドガー・プロートン・バンド、ナイス、ハンブル・パイ、ピンク・フロイド、ジェフ・ベック、グランド・ファンク・レイルロードなど、それまでのティーン・ポップなヒット曲とは全く違ったタイプのレコードが次々と発売されるようになり、会社も「ニュー・ロック」と名付けた。ほとんどが、セールスの面では成功しなかったが、他のレコード会社もこうした新しいタイプの音楽に「アート・ロック」などの名前を付け、このようなアーティストの中からヒット曲を出すグループが現れるようになると、音楽の世界も大きく様変わりしていくようになる。
ラジオのヒット・パレード番組を楽しみに聴いていた私は、あまりにタイプの違う音楽の台頭に、ヒット・パレードの終焉を予感するようになった。

「ニュー・ロック」、「アート・ロック」などと呼ばれていた新しい音楽はやがて「ハード・ロック」という新ジャンルを作り、ファンも拡大し、音楽産業も巨大化し、趣味の音楽から産業としての音楽へと変わっていくことになる。

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