Inna Modjaインナ・モジャ

Profile

パリで活躍する、西アフリカ、マリ共和国出身の25歳の女性シンガー・ソングライター。デビュー・アルバムの1曲目「Let's Go To Bamako」といったタイトルからは、マリの首都について歌ったノスタルジックな曲が思い浮かぶが、実際はモジャと同郷のサリフ・ケイタや、ロキア・トラオレというよりも、コリーヌ・ベイリー・レイ、トリスタン・プリティマン、ヘイリー・セールズに近いサウンドである。「自分の音楽を“ロックン・ラヴ”って呼んでるの。私は馬鹿みたいに飲む訳じゃないし、ドラッグもやらないから(自分の音楽を)“ロックン・ロール”とは呼べないわ。でもロックしているから、“ロックン・ラヴ”なの」
インナ・モジャは、フランスのミュージック・シーンで人気急上昇中のスターである。マリ共和国の、砂漠に住むプル族(フラニ族)の家庭に、7人兄弟の下から2番目に生まれた。6歳のとき両親により聖歌隊に入れられたことによって歌うことの楽しさを知り、聖歌隊の活動に夢中になっていった。そんな中で賛美歌だけではなく、外交官の父親が聴く、レイ・チャールズ、エラ・フィッツジェラルド、オーティス・レディング、サラ・ヴォーンなど、また彼女よりもちょっと年上の子供たちが聴いていたパンクやハードコア・ラップ、ヘヴィ・メタル等々、様々な音楽に興味を持っていった。そんな両親と共にナイジェリア、トーゴ、そしてアメリカで過ごし、18歳のとき単身でパリでの生活を始めた。 彼女の名前は子供の頃の思い出に起因する。「インナ」はプル族(フラニ族)で「いけない子」という意味で、「モジャ」は彼女が子供の頃いたずらをすると、母親に「モジャ」と呼ばれていたことからとられているという。そんな母親は聖歌隊で歌う娘のために、可愛らしいフリルの付いたドレスや、リボンの髪留めを用意していた。しかしそういった格好をさせられることに嫌気が刺した彼女は古着屋でジーンズを買う。そういったいたずらっぽさのある「いけない子」の側面が、彼女の運命を形作っていくことになる。
当時の彼女の住処の近くに、アフリカを代表する世界的ミュージシャン、サリフ・ケイタが住んでおり、その面識もない大御所ミュージシャンに、突然会いに行ったのである。だがサリフは彼女の実力を認め、サリフ自身もかつて在籍していたことのある地元のバンド、バマコ・レイル・バンドに紹介し、彼女は見事そのバック・シンガー務めることとなった。
このバンドでジャズ、ボサノヴァの唱法をマスター、そうしてパリに渡ってから、自分の大好きなこと、ずるいイタズラ、実らなかった恋に酷い経験、そして人生の生きがい・・・つまり、彼女に起きたこと全てについての曲を書きため、このデビュー・アルバム『Everyday Is A New World』が完成した。
アルバム『Everyday Is A New World』はフランスで2009年10月にリリースされた。アルバムはフランス国内でヒットし、3万枚のセールスを記録した。多くのTV番組に出演したり、フランス全土で開催される大音楽フェス : Fête de la musique 2009では、憧れのジェイソン・ムラーズと「ラッキー」をデュエットしたり、アフリカ出身の「いけない子」はパリで文字通りの「スター」となった。
「パリの生活は好きよ」彼女は語る。「友達や、身近にいる人たちが大好き・・・日々の暮らしは私にとってとても大切なことなの。でも…」と彼女は続ける。「でもバマコ(マリの首都)には家族がいる・・・エネルギッシュな大きな街よ。そこのマーケットも大好きだし、ニジェール川の河畔を散歩するのも大好き」。生まれ故郷との強い絆を保ちながらも、彼女の音楽はいわゆる「ワールド・ミュージック」、「アフリカン・サウンド」からは遠く離れて聴こえる。だが彼女の音楽の中に感じるオーガニックな香りや、燦々としたリゾート地の太陽のような輝きは、彼女にアフリカの大地で育まれたDNAが組み込まれているからにほかならない。いたずらっ子のように自由な彼女の感性は、生を受けた地から遠い旅の末、異文化の地に降り立ち花開いたのである。

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