ちゃんみな

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「I'm a Pop」オフィシャル・インタビュー公開!

2019.2.8

ちゃんみな『I’m a Pop』ポップでありロックであり、なおかつヒップホップであること

ちゃんみなが2月27日に新作『I’m a Pop』をリリースする。本作は、一聴してわかる通り、現行最前線のヒップホップトラックに韓国語の歌詞を乗せるなど、ポップかつアヴァンギャルドな楽曲に仕上がった。「I’m a pop I’m a rock and I’m a hiphop」と宣言するサビも頼もしく、海外での活動も視野に捉えた作品だと言えそうだ。こうした楽曲をリリースする背景にはどんな想いがあったのか。20歳になり、前作『PAIN IS BEAUTY』で自身の第1章に区切りをつけたちゃんみなの第2章が、ここから始まる。
インタビュー・文 山田宗太朗


「わたしはポップだし、ロックだし、ヒップホップ」

ーー『I’m a Pop』は、ちゃんみなの第2章を感じさせる斬新な楽曲です。いつ頃できた曲なんでしょう?

ちゃんみな:2018年の冬頃なので、いちばん新しい曲です。実は最初はあんまりしっくりこなかったんですよ。歌詞がない状態だと、ちょっと曲調が怖すぎるように感じて。でも、以前から「わたしはポップだしロックだしヒップホップだ」ってサビで言う曲をつくりたいと思っていたので、もしかしたらそれがこの曲にハマるんじゃないか?とふと気付いて。歌詞を書いてみたら、すごく早く書けた。わたしの場合、早く書けた時ってだいたい良い曲になるんです。『Doctor』の時もノリで一気に書き上げたし。

ーーポップというのはジャンルのことなんですね。

ちゃんみな:そうです。

ーーこれまでも「ちゃんみなというジャンルをつくりたい」といった発言はいろんなところでしてきたと思いますが、「ちゃんみなというジャンル」と言うことと「わたしがポップ」と言うことは、微妙に意味合いが違いますよね。後者の場合、ポップというカテゴリに自ら入っていくことを意味するかもしれない。

ちゃんみな:普段から「こいつはJ-POPだ」とか「K-POPみたい」とか、「こんなのヒップホップじゃない」とか、結構言われるんです。でも「だから何?」っていつも思う。わたしはヒップホップって自由な音楽だと思っていたんです。それなのに、どうしてそんな型にはめるようなことを言うのか。もともと型にはまるのが嫌な人たちがはじめた音楽じゃないの?という思いがすごくあるんです。だからもう、みずから言ってしまおうと思って。「OK、わたしはポップですよ。でもわたしは自分のことをロックだと思っているし、ヒップホップだとも思っている」と。曲調はすごくヒップホップだけど、最初にくる言葉をわざと「I'm a Pop」にして、皮肉を込めました。

ーーポップやヒップホップという言葉が、本来の定義通りに使われていないと感じているんですか?

ちゃんみな:人をカテゴライズするのってよくないことだと思うんです。もちろん便宜として使うことはいいんですよ、「ポップな曲を聴きたい」とか「次はヒップホップな曲をやりたい」とか。でも「あいつはポップスだ」というカテゴライズはおかしい。よく、ヒップホップの人がポップスをやった時にバッシングされるじゃないですか。「セルアウト」って言われたり「ブレてんじゃねーよ」って批判されたり。そういうのはおかしいと思う。

ーーそれをあえてみずから言わなければいけないという状況は、ちゃんみなにとって、やや不本意でもある?

ちゃんみな:そういう現状があまりにも多すぎるんですよ。わたしだけじゃなくて、同じようなことを言われている人をすごく目にします。それって音楽の本当のあり方じゃないなと思う。

ーーなるほど。『I'm a Pop』という言葉はすごくシンプルだけど、複雑な気持ちが含まれていると解釈することもできると思いました。「わたしはわたしなのに」というもどかしさはもちろん、「もっと自由にやりたい」という願望や「これがわたしにとってのポップなんだ」という宣言、あるいは「わざわざ言ってあげないとわからないんですね」という、ある種の諦めも感じます。そしてこうしたことを言わなければいけない現状に息苦しさを感じている。

ちゃんみな:まさにその通りです。この現状はわたしも息苦しいし、いろんなアーティストが感じていることでもあると思う。これまでラブソングを書いていた人が急にラブソングじゃない歌を書いてもいいはずですよね。人間の感情ってずっと同じではない。悲しい時もあれば怒る時もあるし、嬉しい時もある。それなのにラブソングばかり求めるのはおかしいと思う。


『I’m a Pop』は第2章の幕開け

ーー音としては、完全にトラップ以降のヒップホップですよね。これはアメリカではポピュラーだけど、日本のチャートのなかではそれほど定着しているわけではない。こういうものを「ポップ」と銘打ってシングルとしてリリースするのは、かなり勇気が必要だったんじゃないですか?

ちゃんみな:本当にそうですね。でもうちのスタッフはみんな頭が柔軟だから、結構イケイケで乗ってくれるんですよ。

ーーしかも『PAIN IS BEAUTY』のあとにこれですからね。落差がすごい。

ちゃんみな:そう(笑)。新曲を出すたびに「いつもと違う雰囲気で好き」っていうコメントが書かれるんです。こういうことを言われるのはすごく良いことですよね。音色は毎回変えた方が面白い。これから出す曲も、共通点は「わたしが書いて、わたしが歌っていること」くらいにしたいなと思っていて。『PAIN IS BEAUTY』は本当にわたしの言葉とメロディだったけど、『I'm a Pop』ももちろんわたしの本当の言葉。10代でデビューしてからがわたしの第1章だったとして、それが『PAIN IS BEAUTY』で終わった気がしたんです。次に発表するのは第2章の幕開けとなる曲が良いなと思っていて、それで『I'm a Pop』を選んだんです。

ーーなるほど。ちょっと話がそれるかもしれないけど、アリアナ・グランデの『7 rings』を聴いた時に、彼女が考えていることとちゃんみなが考えていることはリンクしているなと思ったんです。

ちゃんみな:どういうこと?

ーーひとつ前の曲が『thank u, next』という曲で、それまでの彼女の人生に区切りをつけるような曲でした。言ってみればあれは、アリアナ・グランデにとっての『PAIN IS BEAUTY』だったと思うんです。『thank u, next』の大ヒットでアリアナ・グランデは現在のポップス界のトップにほとんどリーチをかけたわけで、まさに王座を手にしようという次の最初の一手が、『7 rings』だった。

ちゃんみな:そこでものすごくコアなものを出すというね。

ーーそうそう。こういう仕掛け方は、ちゃんみなが今やっていることと重なりますよね。『7 rings』は、イントロではサウンド・オブ・ミュージックを引用して、サビはドープなヒップホップ。ポップスのど真ん中にいる人がいちばんアヴァンギャルドなことをやっているわけですよね。

ちゃんみな:そうですね。それをしないと音楽のムーブメントは変わらないですからね。アメリカではそれがもうポピュラーになっているし、カーディ・Bみたいな人が台頭してきているじゃないですか。別に日本もそうであるべきとは思わないけど、ただ、日本では良くも悪くもマーケティングが優先してしまう。わたしみたいな音楽をやる人が活動できているということは、それがちょっとずつ変わってきているということですよね。

ーー日本の音楽市場や歴史について考えるようになったんですね。

ちゃんみな:そのマーケットに自分がいるから、嫌でも考えるようになりますね。あくまで自由にやるスタンスだけど、そういう文脈もふまえた上でいろいろ変えていこうと、主体的な姿勢になりました。


韓国語の歌詞は、普段のわたしの話し言葉

ーー以前から尖っていたけど、ちゃんみなは今がいちばん尖っていると思います。このタイミングで歌詞に韓国語を入れたのはなぜですか?
                            
ちゃんみな:やっぱり第2章のスタートだからですね。

ーー2回目のワンマンでBIG BANGの『HARU HARU』をカバーした時も、一部のパートは韓国語で歌いましたよね。

ちゃんみな:でもあれはやっぱりカバーでしたからね。自分の言葉として韓国語で歌うのはこれが初めてなんです。だからあえて歌詞っぽくない韓国語にしました。たとえば「미치지 jealousy 내가 좀 욕을 많이 먹네(狂いそうでしょ ジェラシー 私よくディスられるのよ)」は、直訳すると「ちょっとわたし結構ディスられるんだよね」という感じで、話し言葉っぽくしてるんです。「ちょっと」と「結構」って、歌詞ではあんまり使わないじゃないですか。でも話す時は普通に使う。より普段のわたしの言葉にしたかったんです。

ーー「この才能もうちのママのおかげ」という箇所が特に素晴らしいです。単に「親に感謝」と言うよりも感謝が伝わるし、最初の韓国語でこのフレーズを入れるところがとても愛情に満ちていて、すごくちゃんみならしいと思いました。

ちゃんみな:そこはママも喜んでました(笑)。

ーー他にも気になる歌詞はいくつかあって、たとえば1ヴァース目の「Where are you from どこでもよくね どこにいたって 別に関係なくね」。これは外向きの発言に聞こえるけど、ちょっと穿って見ると、自分自身に向けた言葉でもあるのかなという気がしました。つまり、本当にどこにいても関係ないと思っているのだったら、最初から韓国語で歌っていたのではないかと。

ちゃんみな:なるほど。

ーーだから、日本/韓国、ラッパー/シンガー、ヒップホップ/ポップス、そうした境目についてあまりにも周りに言われすぎた結果、誰よりも自分がその境目についてこだわるようになった、という可能性もあるのではないかと思ったんです。

ちゃんみな:たしかに。それは少しあるかも。

ーーそしてそういう自分から解放されて、より素の自分でいたいという気持ちがあった。

ちゃんみな:そうです。まったくその通りですね。

ーー「だまれだまれ評論家気取り」というフレーズもありますけど、評論家はうざいですか?

ちゃんみな:うざいですよ。免許証見せろって感じ。

ーー自分の音楽が世間でフェアに評価されてない、というような感覚があるんですか?

ちゃんみな:いや、それは全然ないです。「ちゃんみなってダサくない?」ってみんなが言うならそれこそが結果だし、世間の声が答えだと思っているので。評論家全体へのディスではなくて、正確には「評論家気取り」ですね。根拠の薄い持論をネットに書いちゃう人たちのことです。ちゃんと結果を残している人に言われるならまだわかるけど、何の実績も知識もないのにグチグチとネットに書いて妄想ごっこみたいなことをしている人は嫌だなと思いますね。


「2018年に準備してきたものが整いつつある」

ーー今回のシングルには、昨年夏にリリースした『Doctor』の英語バージョンも収録されています。

ちゃんみな:英語バージョンはずっと作りたかったんです。やっぱり海外でも活動したいし、『Doctor』自体が海外ですごく聴かれ始めているというのもあって。

ーー『Doctor』の広がりはすごいですよね。ロシアのダンサーがカバーしていたし、少女時代のヒョヨンもインスタグラムに動画をアップしていました。

ちゃんみな:あれは本当に嬉しかった。『Doctor』でいちばん伝えたかったのは歌詞だったし、やっぱりより多くの人に伝えたくて。実は結構前から準備していたもので、日本語バージョンとほぼ平行してレコーディングもしていたんです。いつか出したいと思っていたけど、このタイミングで出せて良かった。

ーー日本語の歌詞は英語に比べてリズムやメロディに乗りにくい、ということがたまに言われます。実際に英語と日本語で歌い分けをしてみてどうでした?

ちゃんみな:それは日本語でも英語でも変わらないですね。どっちも歌いやすかった。ただ日本語バージョンでは、英語の発音をネイティブではなく日本人風に変えています。そこはバランスを考えましたね。英語バージョンは全体的にマンブル(くだけた発音にすること)っぽく歌っています。

ーーとすると、『I'm a Pop』では3ヶ国語を使っているので、そこも発音はバランスを考えたんですか?

ちゃんみな:いや、あれは結構、素で歌ったかもしれない。やっぱり話し言葉がメインの歌詞なので。ただ日本語は少しだけマンブルっぽくした箇所もあります。

ーー日本の外での活動は以前からずっと目標にされていました。それがいよいよ現実的になってきたという手応えがあるんでしょうか。

ちゃんみな:これからだな、と思っています。自分のなかで、2018年はそのための準備期間だった。2019年は準備したものを出していく1年にしたいんです。これまでだったら右に進んでいたものを、今はあえて左に進もうとしているというイメージですね。常に怖い方を選んでいるけど、そのぶんワクワクしています。お正月に初日の出を見た瞬間に「今年、勝つな」と思ったんですよ。2018年に準備してきたものが整いつつあるという実感があるんです。だから、すごくたのしみ。

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