Crosby, Stills, Nash & Youngクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング
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伝説のスーパー・グループ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの貴重な未発表ライヴ作品『ライヴ・アット・フィルモア・イースト 1969』が、10月25日に世界同時発売決定!
2024.9.11
元バーズのデヴィッド・クロスビー、元バッファロー・スプリングフィールドのスティヴン・スティルス、元ホリーズのグラハム・ナッシュ、そしてソロ・アーティストとして活動していたニール・ヤングという4人の才能と個性が、絶妙に溶け合いながら至高のサウンドを鳴り響かせる伝説のグループ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング。1969年8月に開催された歴史的音楽イベント、ウッドストック・フェスティヴァル出演後に行ったツアーの中から、1969年9月20日に歴史的コンサート会場として知られるフィルモア・イーストで行われたライヴ音源が発掘され、今回、未発表ライヴ・アルバム『ライヴ・アット・フィルモア・イースト 1969(原題: LIVE AT FILLMORE EAST, 1969)』として10月25日に世界同時発売されることが決定した。
▼『ライヴ・アット・フィルモア・イースト1969』予約注文はこちら:
1969年の8月にニューヨーク州の郊外で開催された歴史的音楽イベント、ウッドストック・フェスティヴァルに出演した彼らは、その後ツアーを続けながら、翌1970年に発表するクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのデビュー・アルバム『デジャ・ヴ』のための楽曲の制作に一年の残りを費やしていった。そのツアーの中から、1969年9月20日にニューヨークの歴史的なコンサート会場であるフィルモア・イーストで行われたライヴ音源のマルチ・トラック・テープが新たに見つかり、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの初ツアーの模様からバンドの初期の姿を捉えた音源が、ここに未発表ライヴ・アルバム『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト1969』となって登場することとなる。世界同時発売となる今作の日本盤には、解説や歌詞・対訳を掲載した別冊ブックレットが付属されている。また、アルバムのリリースに先行して、収録曲からスティルスが作曲した「どうにもならない望み(原題: Helplessly Hoping)」の未発表ライヴ・ヴァージョンが現在配信中となっている。
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングは、これまで世に発表されていなかったこの貴重なライヴ音源の制作に積極的に取り組んだ。スティルスとヤングは、ロサンゼルスにあるサンセット・サウンド・スタジオで、エンジニアのジョン・ハンロンとともに、オリジナルの8トラック・テープに録音されていた音源に、丹念にミックスを施していったのだ。
ニール・ヤングはアルバムについて、近年次のように語っている。「(僕たちが)テープを持っていたんだけど、サウンドの臨場感が素晴らしくてね。僕たちはサンセット・サウンドでミックスをしたんだけど、ここで聴こえるのはその場所で実際に聴こえるアナログなエコー音であり、デジタル処理したエコー音は使っていない。プロダクションにおいて僕たちは全てをアナログで突き通した…、100%ね。アナログのみさ。デジタルは一切ない。つまり完全にアナログの作品なんだ」
ウッドストックから1ヶ月程しか経っていない9月20日に開催されたコンサートは、フィルモア・イーストで2日間にわたって行われた彼らの4回目のライヴとなった公演で、ステージはアコースティックとエレクトリックの2つのセットで構成されていた。スティルスが、試行錯誤しながら当時のライヴを組み立てたことを語ってくれた。「アコースティック・セットは特に何もしなくてもそれで十分に成り立ったんだけど、今や色んな機材も揃って、ダラス・テイラー(ドラム)とグレッグ・リーヴス(ベース)もいるし、きちんとやらなきゃいけない大規模な公演だったから、とにかくそれにふさわしいものにした。技術的に足りなかった部分は情熱で補ったんだ…、とにかくバンドはのりにのっている状態で、まさに“エクスペクティング・トゥ・フライ”、どこかに飛んでいきそうな勢いだったよ」
セットリストの中でも特筆すべきパフォーマンスは、CSNのセルフ・タイトル・デビュー・アルバムに収録され、まもなく名曲となった「組曲:青い眼のジュディ(原題:Suite: Judy Blue Eyes)」、「どうにもならない望み(原題:Helplessly Hoping)」や、ニール・ヤングの『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース(原題: Everybody Knows This Is Nowhere)』から披露された「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」などが挙げられる。さらにコンサートでは、後に『デジャ・ヴ』に収録となる2曲の初期ヴァージョンが披露されている。スティルスは、自身の内省観を歌ったバラードである「4 + 20」の素晴らしいソロ・アコースティック・パフォーマンスを披露した。それに続き、ナッシュはオルガンを弾きながらソロで「僕達の家(原題:Our House)」を歌い、フィルモア公演の観客としてその場にいた、楽曲のインスピレーションの源ともなったジョニ・ミッチェルに届けている。
アコースティック・セットでは、ヤングがバッファロー・スプリングフィールド(彼がスティルスと初めて組んだバンド)に演奏を許可した自身の楽曲「愛し続けていたのに(原題:I’ve Loved Her So Long)」が演奏されている。この楽曲は、バッファロー・スプリングフィールドの最後のアルバムであり1968年に発表された『ラスト・タイム・アラウンド』のために彼が書いたものである。ヤングはこのことについて次のようにコメントしている。「僕にとってCSNYは、スティヴン・スティルスと再びバンドを結成し、バッファロー・スプリングフィールドの空気感を再び表現する機会となったんだ。クロスビーが発する偉大なエネルギーは僕たちに常に刺激を与えてくれた。グラハムとスティヴンの歌声は、デヴィッドと僕の歌声とハーモニーとなり、毎晩高揚感をもたらした。忘れられない最高の瞬間だったよ」
エレクトリック・セットは、壮大なスケールとなった 「木の舟(原題:Wooden Ships)」、「ロング・タイム・ゴーン」、そして「狂気の海(原題:Sea Of Madness)」といったパフォーマンスが物語るように、パワフルで刺激的だ。そしてバンドは、「自由の値(原題:Find The Cost Of Freedom)」でショーを締め括る。この楽曲はスティルスによる新曲で、彼らの代表的なプロテスト・ソングである「オハイオ」のBサイド・トラックとなった。
当時を振り返り、ナッシュは次のように語っている。「こうやって過ぎてみて改めて楽曲を聴くと、いかに僕たちがお互いを愛し、そして自分たちが作った楽曲を愛していたかというのがわかるね。僕たちは、それぞれが奏でる多様なサウンドを楽しむ4人組だった。静かに一緒に歌う一方で、会場を揺るがすかのように激しくロックをしたんだ」
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1969年の8月にニューヨーク州の郊外で開催された歴史的音楽イベント、ウッドストック・フェスティヴァルに出演した彼らは、その後ツアーを続けながら、翌1970年に発表するクロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのデビュー・アルバム『デジャ・ヴ』のための楽曲の制作に一年の残りを費やしていった。そのツアーの中から、1969年9月20日にニューヨークの歴史的なコンサート会場であるフィルモア・イーストで行われたライヴ音源のマルチ・トラック・テープが新たに見つかり、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの初ツアーの模様からバンドの初期の姿を捉えた音源が、ここに未発表ライヴ・アルバム『ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト1969』となって登場することとなる。世界同時発売となる今作の日本盤には、解説や歌詞・対訳を掲載した別冊ブックレットが付属されている。また、アルバムのリリースに先行して、収録曲からスティルスが作曲した「どうにもならない望み(原題: Helplessly Hoping)」の未発表ライヴ・ヴァージョンが現在配信中となっている。
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングは、これまで世に発表されていなかったこの貴重なライヴ音源の制作に積極的に取り組んだ。スティルスとヤングは、ロサンゼルスにあるサンセット・サウンド・スタジオで、エンジニアのジョン・ハンロンとともに、オリジナルの8トラック・テープに録音されていた音源に、丹念にミックスを施していったのだ。
ニール・ヤングはアルバムについて、近年次のように語っている。「(僕たちが)テープを持っていたんだけど、サウンドの臨場感が素晴らしくてね。僕たちはサンセット・サウンドでミックスをしたんだけど、ここで聴こえるのはその場所で実際に聴こえるアナログなエコー音であり、デジタル処理したエコー音は使っていない。プロダクションにおいて僕たちは全てをアナログで突き通した…、100%ね。アナログのみさ。デジタルは一切ない。つまり完全にアナログの作品なんだ」
ウッドストックから1ヶ月程しか経っていない9月20日に開催されたコンサートは、フィルモア・イーストで2日間にわたって行われた彼らの4回目のライヴとなった公演で、ステージはアコースティックとエレクトリックの2つのセットで構成されていた。スティルスが、試行錯誤しながら当時のライヴを組み立てたことを語ってくれた。「アコースティック・セットは特に何もしなくてもそれで十分に成り立ったんだけど、今や色んな機材も揃って、ダラス・テイラー(ドラム)とグレッグ・リーヴス(ベース)もいるし、きちんとやらなきゃいけない大規模な公演だったから、とにかくそれにふさわしいものにした。技術的に足りなかった部分は情熱で補ったんだ…、とにかくバンドはのりにのっている状態で、まさに“エクスペクティング・トゥ・フライ”、どこかに飛んでいきそうな勢いだったよ」
セットリストの中でも特筆すべきパフォーマンスは、CSNのセルフ・タイトル・デビュー・アルバムに収録され、まもなく名曲となった「組曲:青い眼のジュディ(原題:Suite: Judy Blue Eyes)」、「どうにもならない望み(原題:Helplessly Hoping)」や、ニール・ヤングの『ニール・ヤング・ウィズ・クレイジー・ホース(原題: Everybody Knows This Is Nowhere)』から披露された「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」などが挙げられる。さらにコンサートでは、後に『デジャ・ヴ』に収録となる2曲の初期ヴァージョンが披露されている。スティルスは、自身の内省観を歌ったバラードである「4 + 20」の素晴らしいソロ・アコースティック・パフォーマンスを披露した。それに続き、ナッシュはオルガンを弾きながらソロで「僕達の家(原題:Our House)」を歌い、フィルモア公演の観客としてその場にいた、楽曲のインスピレーションの源ともなったジョニ・ミッチェルに届けている。
アコースティック・セットでは、ヤングがバッファロー・スプリングフィールド(彼がスティルスと初めて組んだバンド)に演奏を許可した自身の楽曲「愛し続けていたのに(原題:I’ve Loved Her So Long)」が演奏されている。この楽曲は、バッファロー・スプリングフィールドの最後のアルバムであり1968年に発表された『ラスト・タイム・アラウンド』のために彼が書いたものである。ヤングはこのことについて次のようにコメントしている。「僕にとってCSNYは、スティヴン・スティルスと再びバンドを結成し、バッファロー・スプリングフィールドの空気感を再び表現する機会となったんだ。クロスビーが発する偉大なエネルギーは僕たちに常に刺激を与えてくれた。グラハムとスティヴンの歌声は、デヴィッドと僕の歌声とハーモニーとなり、毎晩高揚感をもたらした。忘れられない最高の瞬間だったよ」
エレクトリック・セットは、壮大なスケールとなった 「木の舟(原題:Wooden Ships)」、「ロング・タイム・ゴーン」、そして「狂気の海(原題:Sea Of Madness)」といったパフォーマンスが物語るように、パワフルで刺激的だ。そしてバンドは、「自由の値(原題:Find The Cost Of Freedom)」でショーを締め括る。この楽曲はスティルスによる新曲で、彼らの代表的なプロテスト・ソングである「オハイオ」のBサイド・トラックとなった。
当時を振り返り、ナッシュは次のように語っている。「こうやって過ぎてみて改めて楽曲を聴くと、いかに僕たちがお互いを愛し、そして自分たちが作った楽曲を愛していたかというのがわかるね。僕たちは、それぞれが奏でる多様なサウンドを楽しむ4人組だった。静かに一緒に歌う一方で、会場を揺るがすかのように激しくロックをしたんだ」