Dannii Minogueダニー・ミノーグ

Profile

●ダニー・ミノーグ(本名:ダニエル・ジェーン・ミノーグ)は、1971年10月20日、オーストラリアのメルボルンにおいて3人姉妹の1人として生まれる。実姉カイリー・ミノーグはオーストラリアが世界に誇れるアイドルとして、いち早くブレイクしたことはあまりにも有名だ。

●そんな3歳上の姉カイリーと共に幼い頃から芸能の世界に憧れたダニーは、6歳から子役としてTVドラマに出演し、7歳で人気シリーズの〈SKYWAYS〉に、11歳で〈THE SULLIVANS〉に出演。また、その頃にオーストラリアの人気タレントの登龍門〈YOUNG TALENT TIME〉のレギュラー・チームのメンバーとなる。因みに同じチームにはやはり後に歌姫と呼ばれるようになったティナ・アリーナもいた。これをきっかけに88年、17歳の時にカイリーが出演した
〈NEIGHBOURS〉

と同様、今もロング・ラン放映中の人気ソープ・ドラマ〈HOME AND AWAY〉に主役の1人エマ役で出演。これにより最優秀TVパーソナリティにも選出されたダニーは、90年、シングル「LOVE & KISSES」でシンガーとしてもデビュー。さらに「SUCCESS」などのヒットを放った後、91年には初のアルバム『LOVE&KISSES』を発表。このアルバムが全英で第8位にランクされる大ヒットを記録した。

●92年に入って初の映画〈SECRETS〉に主演した後、活動の拠点をイギリスに移したダニーは、さらにシングル・ヒットを連発。93年に入ってセカンド・アルバム『GET INTO YOU』も発表。このアルバムからは全英トップ10ヒット「THIS IS IT」も生まれた。何かと姉カイリーと比較されることが多かったダニーだが、彼女はシンガーだけでなく、TVでホストをはじめとするタレント、あるいはファッション・デザイナーとしても活躍することで姉との違いを表現。また、94年には小室哲哉が主宰するユニット、ユーロ・グルーヴにも関わり、「レスキュー・ミー」や「ブギー・ウギー」のヒットも放っただけでなく、日本でのツアーにも参加した。

●その後もイギリスのクイズ番組〈FAN TC〉やオーストラリアの番組〈THE B IG BREAKFAST〉でホストを務めていたダニーは、97年に入ると新たにWEA UK傘下のレーベル、エターナルへと移籍。全英で第4位にランクされる大ヒット・シングル「オール・アイ・ウォナ・ドゥ」をこの曲を含む通算3作目となるアルバム『ガール』も発表。が、その後長年の疲労がたまっていたことやF1レーサーと交際していたこともあり、ダニーはしばらくショー・ビジネスの世界から離れることとなった。

●しかし2000年に入りロンドンに戻ったダニーは、ミュージカル〈ノートルダム・ド・パリ〉で主役に抜擢され、これで再び脚光を浴び、改めて2001年にはWEA UK傘下の名門レーベルLONDONと契約。12月に「フー・ドゥー・ユー・ラヴ・ナウ」をRIVAフィ ーチャリング・ダニーの名義で発表し、これが見事に全英で初のトップ3入り。さらに2003年に入ってからは、「プット・ザ・ニードル・オン・イット」をリリースして全英では第7位の最高位を記録。2003年に入り「アイ・ビギン・トゥ・ワンダー」をリリースすると、これが初登場で第2位という過去最高のヒットを記録。そして、これらの大ヒットを含む実に6年ぶりとなるアルバム『ネオン・ナイツ』も発表され、これまで以上に高い反響を呼んでいる。

●そんな中で全英ではダニーの「アイ・ビギン・トゥ・ワンダー」とデッド・オア・アライブの名曲「ユー・スピン・ミー・ラウンド」と合体した「ビギン・トゥ・スピン・ミー・ラウンド」が話題になり、6月に発売された最新シングル「ドント・ウォナ・ルーズ・ディス・フィーリング」も初登場5位を記録するヒットに。。ホームシックになって突如オーストラリアに帰国したかと思えば、一方では同じオーストラリアのAC/DCとのジョイントをほのめかすなど、今のダニー・ミノーグは話題は話題に事欠かない。姉カイリーを超える日…。そんな日が到来するのもそれほど遠いことではなさそうだ。

〈2003.06.11. MICHINARI YAMADA〉

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