David Bowieデヴィッド・ボウイ
Profile
1947年1月8日、英ロンドン南部ブリクストン生まれ。本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ。1964年6月5日に“ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ”名義の「リザ・ジェーン」でシングル・デビュー。1967年6月1日、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表。1969年、前年の映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにしたアルバム『スペイス・オディティ』をリリース全英5位、全米15位を記録。
1970年、ミック・ロンソンをサウンド・パートナーに迎え『世界を売った男』発表。1972年『ジギー・スターダスト』をリリース。グラム・ロックの旗手として人気を拡大。ワールド・ツアーで山本寛斎の衣装を多く取り上げたのはこの頃。1975年『ヤング・アメリカンズ』ではジョン・レノンとの共作シングル「フェイム」で初の全米1位を獲得。
1977~79年にブライアン・イーノとのコラボレーションで制作されたアルバム『ロウ』、『英雄夢語り』、『ロジャー』は、のちに「ベルリン三部作」と呼ばれた。
1980年『スケアリー・モンスターズ』に続く1983年作品『レッツ・ダンス』では、CHICとしての長年の活動や2013年のダフト・パンク/ファレル・ウィリアムスとの共演曲「ゲット・ラッキー」でも話題を集めたナイル・ロジャースをプロデューサーに起用、全米4位、全英1位というキャリア最大のメガ・ヒットを記録した。
1989~91年頃にはロック・バンド“ティン・マシーン”として活動。1993年にはナイル・ロジャースと再びコラボしたモ『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』でソロ活動を再開。1995年にはブライアン・イーノとの『アウトサイド』、1997年『アースリング』、1999年『アワーズ…』、2002年『ヒーザン』、2003年『リアリティ』とコンスタントにアルバムを発表し、大規模ワールドツアーも敢行したが、2004年に動脈瘤による体調不良で活動を休止。約9年もの間シーンから遠ざかっていたが、2013年に最新アルバム『ザ・ネクスト・デイ』で電撃復活を果たした。
2014年11月にはその50年にわたるキャリアの全てを凝縮した決定版ベスト・アルバム『ナッシング・ハズ・チェンジド~オールタイム・グレイテスト・ヒッツ』を発表。ロック・ヒストリーに与えたその影響の計り知れなさを改めて思い知らしめた。
1970年、ミック・ロンソンをサウンド・パートナーに迎え『世界を売った男』発表。1972年『ジギー・スターダスト』をリリース。グラム・ロックの旗手として人気を拡大。ワールド・ツアーで山本寛斎の衣装を多く取り上げたのはこの頃。1975年『ヤング・アメリカンズ』ではジョン・レノンとの共作シングル「フェイム」で初の全米1位を獲得。
1977~79年にブライアン・イーノとのコラボレーションで制作されたアルバム『ロウ』、『英雄夢語り』、『ロジャー』は、のちに「ベルリン三部作」と呼ばれた。
1980年『スケアリー・モンスターズ』に続く1983年作品『レッツ・ダンス』では、CHICとしての長年の活動や2013年のダフト・パンク/ファレル・ウィリアムスとの共演曲「ゲット・ラッキー」でも話題を集めたナイル・ロジャースをプロデューサーに起用、全米4位、全英1位というキャリア最大のメガ・ヒットを記録した。
1989~91年頃にはロック・バンド“ティン・マシーン”として活動。1993年にはナイル・ロジャースと再びコラボしたモ『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』でソロ活動を再開。1995年にはブライアン・イーノとの『アウトサイド』、1997年『アースリング』、1999年『アワーズ…』、2002年『ヒーザン』、2003年『リアリティ』とコンスタントにアルバムを発表し、大規模ワールドツアーも敢行したが、2004年に動脈瘤による体調不良で活動を休止。約9年もの間シーンから遠ざかっていたが、2013年に最新アルバム『ザ・ネクスト・デイ』で電撃復活を果たした。
2014年11月にはその50年にわたるキャリアの全てを凝縮した決定版ベスト・アルバム『ナッシング・ハズ・チェンジド~オールタイム・グレイテスト・ヒッツ』を発表。ロック・ヒストリーに与えたその影響の計り知れなさを改めて思い知らしめた。