Edith Piafエディット・ピアフ

Profile

20世紀最大のシャンソン歌手と言われたエディット・ピアフは1915年軽業師の父と路上の歌手を母に、パリの下町で生まれる。
幼児から父に連れられて、場末の町から町を歌って歩いた。
18歳のとき、ルイ・ルプレに見いだされて、モーム・ピアフの名でデビュー。たちまち大スターとなった。
その後、華やかな男性遍歴、殺人容疑や交通事故、麻薬と酒に溺れた日々―
「二人分の人生を生きたわ」と自らを回想したほど。波乱に満ちた人生を送った。
生涯に280ものレコーディング曲を残し、とりわけ「バラ色の人生」と「愛の讃歌」は世界的なヒットとなった。
1963年10月10日、リビエラで死去。
2013年没後50年、2015年生誕100年を迎え、パリと日本では様々なイベントが行われた。

History of Edith Piaf

1915年12月19日 軽業師の父と大道歌手の母との間に誕生
1918年 ベルネにある父方祖母の売春宿に預けられる
1918年(3歳) 2年間、視力を失う
1930年 6歳から父と共に路上で歌っていたが、この年より父と別れ一人で歌い始める
1931年(16歳) ルイ・デュポンと恋に落ち、娘マルセルを出産。2年後マルセル死亡
1935年 路上で歌っているところをルイ・ルプレに見出され、「ラ・モーム・ピアフ」の芸名でキャバレーにて歌い始める
1936年2月 「異国の人」「情婦たちの歌」でレコードデビュー
 同年4月6日 ルイ・ルプレ殺害され、一時 容疑者として取り調べを受ける
1937年3月 「私の兵隊さん」レコード発売、初のヒットとなる
1938年 ボビノ座に真打スターとして出演、映画「ラ・ギャルソン」でスクリーンデビューを果たす
1940年12月 「アコーデオン弾き」がレコード発売され、大ヒット
1944年7月 「ムーラン・ルージュ」に出演し、イヴ・モンタンを見出す
1946年 シャルル・アズナブールを見出し、地方巡業に同行
「シャンソンの友」を見出し、「谷間に三つの鐘が鳴る」「ナントの囚人」などを録音
 同年10月 「バラ色の人生」を録音
1947年10月 アメリカ初公演。ボクサー、マルセル・セルダンと出会い人生最大の恋に発展する
1948年9月21日 セルダンがボクシングのミドル級世界チャンピオンになる
1949年  「街の舞踏会」を創唱
 同年10月28日 セルダン、飛行機事故で急逝
1950年 5月2日 「愛の讃歌」録音
1951年 タラスコンで交通事故にあう、腕と肋骨を骨折の大事故、麻薬に溺れ始める
 同年 「パダン・パダン」「あなたの目よりも青く」を創唱
1952年 歌手のジャック・ピルスと結婚、 56年離婚
1953年 7月15日 「十字架」録音
1955年1月末 オランピア劇場に初出演
1956年5月 「オートバイの男」をオランピア劇場で創唱、「枯葉」録音
1958年2月4日 「群衆」「私の回転木馬」などを創唱、ジョルシュ・ムスタキと出会う
 同年9月7日 ムスタキが運転する自動車が大破し負傷
1959年 最後のアメリカ公演(9度目)
 同年2月20日 ムスタキ作詞「ミロール」を創唱
 同年 アメリカ人画家ダグラス・デヴィス運転する車で4度目の自動車事故にあう
1960年夏 シャルル・ディモン、自作「水に流して」を持って訪問
 同年 「ラ・ヴィ・ラムール」「愛の言葉」録音
 同年12月 「私の神様」をオランピア劇場で創唱。
1962年9月27日 最後のオランピア劇場公演(5度目)開幕
 同年10月9日 テオ・サラポと2度目の結婚
1963年2月 テオ・サラポと共にボビノ座最後の出演
 同年3月18日 リール市オペラ座にて生涯最後のステージ出演
 同年4月7日 「ベルリンの男」を自宅で録音、発売は1968年
 同年10月10日 リヴィエラで死去、47年の生涯を閉じる
 同年10月14日 ペール・ラシェーズ墓地に埋葬

(1935-39 レイモン・アッソーと同棲)

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