「わたしのフォーエヴァー・ヤング」

業界の方々から届いた思い出のフォーエヴァー・ヤング作品へのコメント

ルー・リード『NEW YORK』

Forever Youngシリーズといえば、初期の頃、「3枚買えば1枚プレゼント」の企画があり、中学生の私は何度もレコード店に行きジャケットを見ながら「このアルバムはいいはず」、「いやいやダサい」とあーでもないこーでもないと想像力で「もう1枚」を選んでいました。サブスク全盛の今ではこういうのないですよね。懐かしいです。

本作は1989年発表SIRE移籍第1弾のアルバム。このころはHR/HMばかり聴いていた時期でしたが、ジャケットと帯のフレーズに魅せられ買いました。

ラフでシンプルなサウンドが、(行ったことはないけれど)「NEW YORK」の喧騒やそこに暮らす人々を感じられ、まるで映画を見ているかのようなアルバム。
その研ぎ澄まされたサウンドはとても魅力に感じました。
そして月日を経て、今聴き終えると高校生の時とは違う印象を受けることにまた驚きます。
いつでも聴けるようにいつも近くに置いておきたいアルバム。
想像力は大事です。

五十嵐明生
株式会社スマッシュイースト

青木くんとヴェルヴェッツ

青木くんは高校の友人の中学の同級生で、当時ロックに興味を持ち、バンドを組みたいと思っていた僕に、友人が「本格的にロックをやってる奴がいる」と紹介してくれたのでした。会ってみると、青木くんは高校生のくせに、ロン毛でファッションも決まっていて、ちょっと尖った態度も含めてミュージシャン然としたスタイルが完成していました。同じ高校生とは思えず、完全に気後れしている僕。好きなバンドを聞いてみると、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと答える青木くん。とりあえず「あ〜ベルべット・アンダークラウン…僕も結構好きだよ」と話を合わせておきました。当時BOØWYやZIGGY、PERSONZなどバンドブームといわれた時代の邦楽を中心に聴いていた僕には、初めて聞くバンド名でしたが、なんとなくバンド名からその音楽をイメージできたような気がしました。洋楽好きな青木くんと邦楽しか知らない僕が意気投合する訳もなく、もう青木くんとは会うこともありませんでした。それから20数年が経ち、布袋寅泰さんの愛犬ルーリーの名前の由来が、ルー・リードから来ているという話を知り、先祖帰りする感じでヴェルヴェット・アンダーグラウンドを掘っていくことになる僕。そこでは不思議なことに高校生の僕がイメージしていた音楽が、確かに鳴っていました。あの頃にちゃんと聴いておけば、もしかしたら青木くんとバンドを組んでいたかもしれません。青木くん元気ですか?

グレート・ザ・真駒内
FMノースウェーブ「METAL MASTER」プロデューサー
北海道国際映画祭フェスティバルディレクター

テレヴィジョン『マーキー・ムーン』

「僕、番組外れるから来週から選曲やってね」このプロデューサーの衝撃の一言で、洋楽はビートルズくらいしか知らなかった自分が突然3時間の生放送の選曲をすることになってしまった。
70年代の洋楽が中心の音楽番組、タイトルが「夕方フレンド」。オープニングは、キャロル・キング、エンディングはジェイムス・テイラーの「君の友だち(You’ve Got a Friend)」 という週末のお昼を懐かしい洋楽で楽しんでもらうのがコンセプト。

それから毎週木曜日はレコード室に籠り、60年代後半から70年代の洋楽アルバムを片っ端から聞きまくりました。レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランからジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリン、シカゴ、バッファロー・スプリングフィールド、その中で出会ったのが、テレヴィジョンのアルバム『マーキー・ムーン』。 メンバー4人が無表情でつっ立っているミステリアスなジャケットを手に取り、まず聞いたのがアルバム・タイトル曲の「マーキー・ムーン」でした。
ツイン・ギターのシンプルなリフの重なり合いから、ベース、ドラムと厚みを増して、のっかるように入るかったるい独特のボーカル。長い間奏は、ギターの掛け合いが印象的で、リフを突き抜けるリード・ギター。
歌詞を見ると、そのサウンドからは想像できない文学的な詩の世界。
アルバム全体は、リチャード・ロイドのリフとトム・ヴァーレインのリード・ギターの掛け合いにフレッド・スミスのベース、ビリー・フィッカのドラムが絡み合いテレヴィジョンのサウンドを生み出している。
パンクなのかサイケなのか?今まで聞いた洋楽のどのアルバムとも違う衝撃を受けました。

昨年、トム・ヴァーレインが亡くなり、久しぶりにアルバム『マーキー・ムーン』を聞きました。
初めて聞いた時とまた違った感覚になりました。
音楽に古いという概念は当てはまらないのではないでしょうか?
常に新しい出会いの旅の中に音楽はあるように思えます。

氏家誠一
HBC FLEX プロモーション営業部 プロデューサー

トーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』

私がこのアルバムを初めて聴いたのはわずか数年前のことで、ロックとアフロビートやダンスミュージックの融合は今では当たり前であるためか、このアルバムの凄さがいまいち伝わってこなかったのが正直なところです。

せっかくの機会なので今回レビューするに当たり、彼らの全作品をじっくり聴きました。多様な楽曲でアイディアに富んでおりどれも素晴らしいと感じました。
特に『リメイン・イン・ライト』は、アルバム全体を貫くコンセプトや、当時のロックでは珍しかったアフロビートとの融合において、他の作品とは一線を画す圧倒的なクオリティを誇っていました。
今となっては驚きですが、これをロックといえるのかという論争が起きたと聞きました。様々な音楽の融合と新しいスタイルの構築こそがロックのダイナミズムだと思いますし、長い時間を経ても間違いなく歴史に残る名盤の一つであると思います。

YouTubeでライヴ映像を見ると、しっかりと作りこまれた曲と確かな演奏力、地を這うグルーヴで会場が興奮のるつぼと化していました。
ただ新しいだけではない、歴史に名を刻むグループというのはしっかりロックしていた事を認識した、聴いて非常に良かったと思えた作品でした。
これは本当によかった。

小杉晃弘
玉光堂イオンモール旭川駅前店 店長

トム・トム・クラブ

『おしゃべり魔女』という強烈な邦題と奇抜なイラストが目を引くジャケによって、「どんな音楽だろう?」と興味をそそられてしまったのは、自分が中学生の頃のこと。いわゆるジャケ買いである。後に、これがトーキング・ヘッズのメンバーによるサイド・プロジェクトだと知るわけだが、「この陽気でハッピーなサウンドはトーキング・ヘッズとは真逆だよね!」と驚かされたものです。

ラップやダブを取り入れたダンス・ミュージックはとにかく楽しくて、誰もが心踊らされること必至!自分のミュージック・バーでもこのアルバムはよくかけるのだけど、トム・トム・クラブを知らなくても、「悪魔のラヴ・ソング(Genius Of Love)」は聴いたことがあるという方が非常に多い。マライア・キャリーをはじめ、多くのミュージシャンにサンプリングされていることからも、いかにこの曲が愛されているのかが分かりますよね。

幸運にも自分は2009年にサマー・ソニックで来日したトム・トム・クラブのライヴを拝むことが出来たのですが、ティナ・ウェイマスとクリス・フランツ夫妻を中心としたアット・ホームなステージを観ていると、自然と笑顔になっちゃいましたね。そんなファミリー愛が根底にあるからこそ、彼らのレコードは普遍性があるのだな、と確信しました。これからも、トム・トム・クラブは我々をハッピーな気分にさせ続けてくれるに違いない!

長瀬年英
music bar Gaffa 店主

シカゴ

1971年8月1日、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)関西営業所総務課に配属。希望職はレコード営業でした。営業担当を目指しては居ましたが、セールス担当者枠が無く総務課に配属になり、、、少しがっかりしていました。1971年当時、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、T・レックス、ロッド・スチュワート、マーヴィン・ゲイ、ジャニス・ジョプリンなどのアーティストが活躍していました。1970年1月、『シカゴⅡ(シカゴと23の誓い)』からのシングル・カット「長い夜(25 or 6 to 4)」が未だヒットしていたのでアルバムを購入、「クエスチョンズ67/68」、「ぼくらに微笑みを」、「ビギニングス」などが収録されたファースト・アルバムを前の職場で毎日聞いていました。

1972月2月15日、憧れの営業担当として、京都府下・滋賀県を担当する事になり、7月に発売の『シカゴⅤ』から「サタデイ・イン・ザ・パーク」が大ヒットになり、バンド史上初の全米1位を獲得しました。セールス担当地区京都府下・滋賀県のレコード店60店舗に相当量の『シカゴⅤ』のLPを「売れなければ返品で受け取る」と約束して納品した事を覚えています。結局返品は無く追加注文が来ていました(笑)。

1972年6月14日、大阪フェスティバルホールでのコンサートを見に行く事が出来、強烈なギター・イントロ、ブラス・ワーク、そしてピーター・セテラのハイ・トーン・ヴォーカルでロック・ファンを魅了し、そのライヴ・パフォーマンスに想像以上に感動したのを覚えています。

1982年、『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』収録の「素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)」、1984年、『シカゴ17』収録の「君こそすべて(You’re The Inspiration)」など、ラヴ・バラード路線の楽曲で再ブレイクを果たしましたが、私はこの時代ソニー・ミュージック洋楽を離れて札幌営業所で邦楽の宣伝担当になっていました。

今現在もシカゴを中心に洋楽のアルバムを聴いています。

須川敏治
元ソニー・ミュージックエンタテインメント 現専門学校教師

ドゥービー・ブラザーズ

2つのドゥービー 初めてのドゥービー

中2の時に地元の先輩の影響でROCKに目覚め、特にお気に入りだったのがドゥービー・ブラザーズで、初めて人前で演奏したのは中2の学園祭でその時の1曲目が「チャイナ・グローヴ」、その曲が入った『キャプテン・アンド・ミー』など、ヴォーカルのトム・ジョンストンの歌声と歪んだギターサウンド、いわゆる初期のアルバムを良く聴いていました。

トム・ジョンストンが健康を理由にバンドから脱退し、マイケル・マクドナルドがメインの作詞作曲とヴォーカルを取るようになってからリリースされたアルバムはお洒落で洗練されたサウンドで「もうドゥービーは変わってしまった。マイケルが全てを変えてしまった」と思い込み、それから聞く事は無くなってしまった。

大学卒業後、私はコンサート・プロモーター業界に入る訳だが、30代半ばによく打ち上げで行っていたBARで「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」を聴いていたら「なんか凄く良い曲」と思い、もう一度”後期のドゥービー“を掘り起こして聴いたらスッと身体に入ってきて、よくドライブの時のBGMとして愛聴した(アルバム『ミニット・バイ・ミニット』収録)。

そして時が過ぎ、昨年50周年記念ツアーとして武道館公演が決定し、初めてドゥービー・ブラザーズのLIVEを見る事が出来た。しかもトム・ジョンストンが歌う初期の曲と、マイケルが歌う後期の曲が上手い具合に組み込まれた最高最強の選曲でした。

本当に時が解決してくれる事ってあるんだね〜。

若林良三
株式会社ウエス

ドゥービー・ブラザーズ「ロング・トレイン・ランニン」

私が初めてドゥービーを聞いたのは多分20歳になってから。このアルバムがヒットしてから10年以上遅く、リアル・タイムでは聞いていない。しかも聞いた場所はバブル絶頂期のディスコ。ミラー・ボールが回りスモークがたかれレーザー・ビームが幻想的な世界を作り出す。80年代当時のディスコはDJの選曲はもうごった煮の状態で70年代のファンクから最新のテクノまでなんでもあり。覚えたての酒でフラフラと揺れている中、フロアに響き渡るカッティング・ギターのリフに、待っていましたとばかりに酒とたばこを持ったまま両手を高く掲げ雄叫びを上げる。「ロング・トレイン・ランニン」は数あるディスコサウンドの中でも最高に盛り上がる曲だ。「ロング・トレイン・ランニン」の体の揺れは激しくなり♪マイラーーーアーーアーア!と大合唱。熱気と興奮に包まれ会場は一体となる。この曲にミックスするのはワイルドチェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」かフィリップ・ベイリー&フィル・コリンズの「イージー・ラヴァー」か。とにかくこの曲がかかるときはディスコが一番盛り上がるヒット曲がオン・パレードの時間帯、料理でいうならメイン・ディッシュの一皿だ。なのでバンドのことを何も知らずアルバムを購入したときは少し意外な気もしたが私の音楽史の中に南カリフォルニアの新しい風を吹かせてくれた。最近札幌では老舗のディスコが取り壊された。時代は変われど、今でもドゥービーのサウンドは新鮮で世代を超えてリクエストの多いバンドである。

DJグッチー
HBCラジオ「グッチーのGood Friday!」

リンダ・ロンシュタット

いわゆるウエストコースとサウンドに自分が傾倒していったのは、おそらく20代前半だったと思います。

「歌姫」という表現がこれだけ似合う女性シンガーは本当に他にいないと思いますし、どんなジャンルも歌える凄さ。そして圧倒的な歌唱力。「歌姫」って言葉はむしろ彼女の為にあるのではという気すらします。

本当に好きな曲やアルバムは沢山あるのですが、1976年リリースの7枚目のアルバム『風にさらわれた恋(Hasten Down the Wind)』に収録されている「またひとりぼっち(Lose Again)」、これはカーラ・ボノフの曲なのですがとても軽く歌っている感じに聞こえます。ここまでエモーショナルに心を揺さぶられるのは何故なんだろう?といつ聴いても思います。本当に名曲中の名曲。

彼女はアンドリュー・ゴールド、イーグルスのメンバー、J.D.サウザー様々なミュージシャンを教えてくれました。

近年公開されていた『Linda Ronstadt: The Sound of My Voice』も記憶に新しいですが、引退表明をされて今はライヴを観られないのが非常に残念ですが、本当に多大な影響を受けたミュージシャンです。

後藤伸一
Zepp Sapporo 支配人

イーグルス

「イントロはいらない。ギター・ソロもいらない。長い曲は聴いてられない。」今の若い世代の音楽に対する声である。
すみません、イーグルス全部やっちゃってます。

では、イーグルスの名曲達を改めて聞いてみよう。イントロから漂う曲の雰囲気。計算され尽くしたギター・ソロ。ハーモニーも含めた全体の構成もお見事。闇雲に詰め込んだわけではなく自然発生的に聞こえてくるフレーズは最初からそこにあったものと錯覚してしまうほどである。

ギター・ソロって実はとても難しいもので、楽曲のクオリティを一段上げることが最低条件。それが無理なら入れないほうがいい。ギター・ソロがさりげなくだろうが厳しい条件は変わらない。その中で常に高いクオリティで聞かせ続けるバンドの一つがイーグルスなのだ。

イントロ、ギター・ソロ、長い曲。
すみません、イーグルス全部やっちゃってますけど、異次元のレベルでどの世代にも聞かせられるスーパー・バンドなだけでした。

ちなみに有名な「1969年からこのかたスピリットは置いていません。」と歌われる「ホテル・カリフォルニア」のリリースが1976年。翌年1977年にスピリットのみのパンクロックが世界を席巻するのもロック史において注目すべきところ。

田村次郎
HAMBURGER BOYS ギタリスト

ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダー

ニュー・オーダー。初めて彼らの音楽を耳にしたのはシングル「ブルー・マンデー」なのだが、あまりにもイタリアン・ディスコっぽいサウンドに正直、僕は好きにはなれなかったのである。 しかし、あのジョイ・ディヴィジョンのメンバーが作ったバンドだと知り興味を持ち始めたのだ。

奇しくもFMラジオから流れてきたジョイ・ディヴィジョンの名曲、「ラヴ・ウィル・ティアー・アス・アパート」に心を奪われた僕は、これまたラジオでから流れてきたニュー・オーダーの名曲「ブルー・マンデー」に違和感を覚えながらも、当時ネットのない時代に彼らの歩んできた道を調べ始めたのである。 何と言っても彼らの功績はロックとダンスを融合させ、後続のバンドに多大な影響を与えたこと。それは後に英国のクラブシーンを盛り上げ、ロックとアシッド・ハウスを融合させた「マッドチェスター」といわれる次世代の音楽とカルチャーを生み出すきっかけを作り出したのだ。 そして個人的にはベーシスト、ピーター・フックによる演奏方法である。 ベースの1弦と2弦を同時に弾きながら、1弦をずらして弾く演奏方法はベース初心者でも簡単にプレイすることができ、誰でもジョイ・ディヴィジョン、いや、ニュー・オーダー的なサウンドを奏でることができるのだ。これは画期的な演奏方法といっても過言ではない。が、残念なことに現在のニュー・オーダーはピーター・フックが不在なのである。

ぜひ音楽と合わせて、写真家アントン・コービンが監督したジョイ・ディヴィジョン、イアン・カーティスの半生を描いた伝記映画「コントロール」と、映画「24アワー・パーティー・ピープル」の2作品を観て、ロンドン・パンクから、ポスト・パンク/ニュー・ウェーヴ、そしてダンス/クラブ・ミュージックへと流れた英国ロックの歴史と、その時代の空気感を味わってほしい。

小山内英二
株式会社エアジーワークス

クラフトワーク「アウトバーン」

北海道釧路市で過ごした中学生の頃、ビートルズに目覚めてファンクラブに加入。 音楽に興味を持った少年は、ラジオやMTVから情報を収集して音楽を楽しんでいました。

高校卒業後、札幌市内のCDショップで働いていた時のこと。

電気グルーヴのオールナイトニッポンに影響を受けて、ニューウェーブやテクノポップにはまっていく自分がいました。そして同じタイミングで、バイトの先輩に教えてもらったプログレッシヴ・ロックに完全に目覚めてしまうのです。

テクノの文脈とプログレの文脈をたどっていくと、あるアーティストにたどり着きました。

それがクラフトワークというドイツのバンド! 音楽性は電子音を使用した実験音楽からテクノポップへと変遷していくのですが、プログレ耳の自分には1974年リリース『アウトバーン』がベスト!最高に好きです。

2013年、赤坂BLITZでのライブで観た『アウトバーン』は自分の人生のベストライヴ。 今年はフジロックでも観ることが出来ますね。


大西政幸
FM NORTH WAVEラジオディレクター

WARNER MUSIC JAPAN SPECIALS