「わたしのフォーエヴァー・ヤング」
業界の方々から届いた思い出のフォーエヴァー・ヤング作品へのコメント
シカゴ
1971年8月1日、CBSソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)関西営業所総務課に配属。希望職はレコード営業でした。営業担当を目指しては居ましたが、セールス担当者枠が無く総務課に配属になり、、、少しがっかりしていました。1971年当時、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、T・レックス、ロッド・スチュワート、マーヴィン・ゲイ、ジャニス・ジョプリンなどのアーティストが活躍していました。1970年1月、『シカゴⅡ(シカゴと23の誓い)』からのシングル・カット「長い夜(25 or 6 to 4)」が未だヒットしていたのでアルバムを購入、「クエスチョンズ67/68」、「ぼくらに微笑みを」、「ビギニングス」などが収録されたファースト・アルバムを前の職場で毎日聞いていました。
1972月2月15日、憧れの営業担当として、京都府下・滋賀県を担当する事になり、7月に発売の『シカゴⅤ』から「サタデイ・イン・ザ・パーク」が大ヒットになり、バンド史上初の全米1位を獲得しました。セールス担当地区京都府下・滋賀県のレコード店60店舗に相当量の『シカゴⅤ』のLPを「売れなければ返品で受け取る」と約束して納品した事を覚えています。結局返品は無く追加注文が来ていました(笑)。
1972年6月14日、大阪フェスティバルホールでのコンサートを見に行く事が出来、強烈なギター・イントロ、ブラス・ワーク、そしてピーター・セテラのハイ・トーン・ヴォーカルでロック・ファンを魅了し、そのライヴ・パフォーマンスに想像以上に感動したのを覚えています。
1982年、『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』収録の「素直になれなくて(Hard to Say I'm Sorry)」、1984年、『シカゴ17』収録の「君こそすべて(You’re The Inspiration)」など、ラヴ・バラード路線の楽曲で再ブレイクを果たしましたが、私はこの時代ソニー・ミュージック洋楽を離れて札幌営業所で邦楽の宣伝担当になっていました。
今現在もシカゴを中心に洋楽のアルバムを聴いています。
須川敏治
元ソニー・ミュージックエンタテインメント 現専門学校教師
ドゥービー・ブラザーズ
2つのドゥービー 初めてのドゥービー
中2の時に地元の先輩の影響でROCKに目覚め、特にお気に入りだったのがドゥービー・ブラザーズで、初めて人前で演奏したのは中2の学園祭でその時の1曲目が「チャイナ・グローヴ」、その曲が入った『キャプテン・アンド・ミー』など、ヴォーカルのトム・ジョンストンの歌声と歪んだギターサウンド、いわゆる初期のアルバムを良く聴いていました。
トム・ジョンストンが健康を理由にバンドから脱退し、マイケル・マクドナルドがメインの作詞作曲とヴォーカルを取るようになってからリリースされたアルバムはお洒落で洗練されたサウンドで「もうドゥービーは変わってしまった。マイケルが全てを変えてしまった」と思い込み、それから聞く事は無くなってしまった。
大学卒業後、私はコンサート・プロモーター業界に入る訳だが、30代半ばによく打ち上げで行っていたBARで「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」を聴いていたら「なんか凄く良い曲」と思い、もう一度”後期のドゥービー“を掘り起こして聴いたらスッと身体に入ってきて、よくドライブの時のBGMとして愛聴した(アルバム『ミニット・バイ・ミニット』収録)。
そして時が過ぎ、昨年50周年記念ツアーとして武道館公演が決定し、初めてドゥービー・ブラザーズのLIVEを見る事が出来た。しかもトム・ジョンストンが歌う初期の曲と、マイケルが歌う後期の曲が上手い具合に組み込まれた最高最強の選曲でした。
本当に時が解決してくれる事ってあるんだね〜。
若林良三
株式会社ウエス
ドゥービー・ブラザーズ「ロング・トレイン・ランニン」
私が初めてドゥービーを聞いたのは多分20歳になってから。このアルバムがヒットしてから10年以上遅く、リアル・タイムでは聞いていない。しかも聞いた場所はバブル絶頂期のディスコ。ミラー・ボールが回りスモークがたかれレーザー・ビームが幻想的な世界を作り出す。80年代当時のディスコはDJの選曲はもうごった煮の状態で70年代のファンクから最新のテクノまでなんでもあり。覚えたての酒でフラフラと揺れている中、フロアに響き渡るカッティング・ギターのリフに、待っていましたとばかりに酒とたばこを持ったまま両手を高く掲げ雄叫びを上げる。「ロング・トレイン・ランニン」は数あるディスコサウンドの中でも最高に盛り上がる曲だ。「ロング・トレイン・ランニン」の体の揺れは激しくなり♪マイラーーーアーーアーア!と大合唱。熱気と興奮に包まれ会場は一体となる。この曲にミックスするのはワイルドチェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」かフィリップ・ベイリー&フィル・コリンズの「イージー・ラヴァー」か。とにかくこの曲がかかるときはディスコが一番盛り上がるヒット曲がオン・パレードの時間帯、料理でいうならメイン・ディッシュの一皿だ。なのでバンドのことを何も知らずアルバムを購入したときは少し意外な気もしたが私の音楽史の中に南カリフォルニアの新しい風を吹かせてくれた。最近札幌では老舗のディスコが取り壊された。時代は変われど、今でもドゥービーのサウンドは新鮮で世代を超えてリクエストの多いバンドである。
DJグッチー
HBCラジオ「グッチーのGood Friday!」
リンダ・ロンシュタット
いわゆるウエストコースとサウンドに自分が傾倒していったのは、おそらく20代前半だったと思います。
「歌姫」という表現がこれだけ似合う女性シンガーは本当に他にいないと思いますし、どんなジャンルも歌える凄さ。そして圧倒的な歌唱力。「歌姫」って言葉はむしろ彼女の為にあるのではという気すらします。
本当に好きな曲やアルバムは沢山あるのですが、1976年リリースの7枚目のアルバム『風にさらわれた恋(Hasten Down the Wind)』に収録されている「またひとりぼっち(Lose Again)」、これはカーラ・ボノフの曲なのですがとても軽く歌っている感じに聞こえます。ここまでエモーショナルに心を揺さぶられるのは何故なんだろう?といつ聴いても思います。本当に名曲中の名曲。
彼女はアンドリュー・ゴールド、イーグルスのメンバー、J.D.サウザー様々なミュージシャンを教えてくれました。
近年公開されていた『Linda Ronstadt: The Sound of My Voice』も記憶に新しいですが、引退表明をされて今はライヴを観られないのが非常に残念ですが、本当に多大な影響を受けたミュージシャンです。
後藤伸一
Zepp Sapporo 支配人
イーグルス
「イントロはいらない。ギター・ソロもいらない。長い曲は聴いてられない。」今の若い世代の音楽に対する声である。
すみません、イーグルス全部やっちゃってます。
では、イーグルスの名曲達を改めて聞いてみよう。イントロから漂う曲の雰囲気。計算され尽くしたギター・ソロ。ハーモニーも含めた全体の構成もお見事。闇雲に詰め込んだわけではなく自然発生的に聞こえてくるフレーズは最初からそこにあったものと錯覚してしまうほどである。
ギター・ソロって実はとても難しいもので、楽曲のクオリティを一段上げることが最低条件。それが無理なら入れないほうがいい。ギター・ソロがさりげなくだろうが厳しい条件は変わらない。その中で常に高いクオリティで聞かせ続けるバンドの一つがイーグルスなのだ。
イントロ、ギター・ソロ、長い曲。
すみません、イーグルス全部やっちゃってますけど、異次元のレベルでどの世代にも聞かせられるスーパー・バンドなだけでした。
ちなみに有名な「1969年からこのかたスピリットは置いていません。」と歌われる「ホテル・カリフォルニア」のリリースが1976年。翌年1977年にスピリットのみのパンクロックが世界を席巻するのもロック史において注目すべきところ。
田村次郎
HAMBURGER BOYS ギタリスト
ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダー
ニュー・オーダー。初めて彼らの音楽を耳にしたのはシングル「ブルー・マンデー」なのだが、あまりにもイタリアン・ディスコっぽいサウンドに正直、僕は好きにはなれなかったのである。 しかし、あのジョイ・ディヴィジョンのメンバーが作ったバンドだと知り興味を持ち始めたのだ。
奇しくもFMラジオから流れてきたジョイ・ディヴィジョンの名曲、「ラヴ・ウィル・ティアー・アス・アパート」に心を奪われた僕は、これまたラジオでから流れてきたニュー・オーダーの名曲「ブルー・マンデー」に違和感を覚えながらも、当時ネットのない時代に彼らの歩んできた道を調べ始めたのである。 何と言っても彼らの功績はロックとダンスを融合させ、後続のバンドに多大な影響を与えたこと。それは後に英国のクラブシーンを盛り上げ、ロックとアシッド・ハウスを融合させた「マッドチェスター」といわれる次世代の音楽とカルチャーを生み出すきっかけを作り出したのだ。 そして個人的にはベーシスト、ピーター・フックによる演奏方法である。 ベースの1弦と2弦を同時に弾きながら、1弦をずらして弾く演奏方法はベース初心者でも簡単にプレイすることができ、誰でもジョイ・ディヴィジョン、いや、ニュー・オーダー的なサウンドを奏でることができるのだ。これは画期的な演奏方法といっても過言ではない。が、残念なことに現在のニュー・オーダーはピーター・フックが不在なのである。
ぜひ音楽と合わせて、写真家アントン・コービンが監督したジョイ・ディヴィジョン、イアン・カーティスの半生を描いた伝記映画「コントロール」と、映画「24アワー・パーティー・ピープル」の2作品を観て、ロンドン・パンクから、ポスト・パンク/ニュー・ウェーヴ、そしてダンス/クラブ・ミュージックへと流れた英国ロックの歴史と、その時代の空気感を味わってほしい。
小山内英二
株式会社エアジーワークス
クラフトワーク「アウトバーン」
北海道釧路市で過ごした中学生の頃、ビートルズに目覚めてファンクラブに加入。 音楽に興味を持った少年は、ラジオやMTVから情報を収集して音楽を楽しんでいました。
高校卒業後、札幌市内のCDショップで働いていた時のこと。
電気グルーヴのオールナイトニッポンに影響を受けて、ニューウェーブやテクノポップにはまっていく自分がいました。そして同じタイミングで、バイトの先輩に教えてもらったプログレッシヴ・ロックに完全に目覚めてしまうのです。
テクノの文脈とプログレの文脈をたどっていくと、あるアーティストにたどり着きました。
それがクラフトワークというドイツのバンド! 音楽性は電子音を使用した実験音楽からテクノポップへと変遷していくのですが、プログレ耳の自分には1974年リリース『アウトバーン』がベスト!最高に好きです。
2013年、赤坂BLITZでのライブで観た『アウトバーン』は自分の人生のベストライヴ。 今年はフジロックでも観ることが出来ますね。
大西政幸
FM NORTH WAVEラジオディレクター