各界からの応援コメント
数々の洋楽名盤をお届けするフォーエヴァー・ヤング・シリーズを、様々な形で応援してくれる「フォーエヴァー・ヤング・サポーター」の皆さん。
業界にゆかりのある方々から、人生に寄り添い、共に歩んできた一生モノの1枚への想いを綴っていただきました。




フォーエヴァー・ヤング第十五弾で4枚の名盤が発売中のアーハ。この中から、セカンド・アルバム『スカウンドレル・デイズ』が10月6日に、40周年という大きな節目を迎えました。今回はこの記念に「わたしのフォーエヴァー・ヤング」特別編をお送りします!当時の日本でアーハの躍進を陰で支え続けた元担当ディレクターの佐藤淳さんが各アルバムに関するコメントを寄せてくださいました。「テイク・オン・ミー」との出会いから邦題に込めた苦悩、そして別れまで——現場の熱量を鮮やかに蘇らせる、愛に満ちた4作品の回想録をお楽しみください!
アーハ『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』
洋楽ディレクターの数少ない恩賜として“最新曲を日本の誰よりも早く聴けること”があるかもしれない。我が師匠=レーベル・マネージャーのデスクの横に鎮座する、赤いモノラル・ラジカセで聴くのが慣例。本社から届いたa-haという不思議な名前のグループのデビュー・シングルも、師匠と二人その小さなラジカセで初試聴してみた。
「テイク・オン・ミー」というタイトルの音源は、後にオリジナル・ヴァージョンと名付けられる、よりアコースティック度が高い初期のもので、今だから言えるが師匠も僕も「これが鳴り物入りワーナー・ブラザーズUKいち押しなの」とクエスチョン・マーク。世界中のワーナー担当もそう思ったようで、少しすると再プロデュースされた第二ヴァージョンが送られて来た。 師匠の「これならいける。淳、やるぞ!」の檄とともに僕とa-haの冒険が始まった。「テイク・オン・ミー」第二ヴァージョンの革命的なPVが届き、社内の機運が上がって行く。
1983年8月にワーナー洋楽に入社し、1984年1月にシングル「ジャンプ」を擁するヴァン・ヘイレン『1984』、同年7月にプリンス『パープル・レイン』を師匠の指導の下に担当。ヴァン・ヘイレンもプリンスも6枚目のアルバムで、初動から自分を加味出来るデビュー・アーティストを手掛けてみたくなっていた生意気盛りの僕にとって、年齢も近いa-haは格好の対象だった。
アーハ『スカウンドレル・デイズ』
1985年10月のプロモーション来日でDCブランドから衣装をお借りして、a-haに綺麗目な服を着せて写真撮影を実施した。メンバー三人からは「なんなんだ!このプリティな服は!」と散々文句を言われたが、普段のデニム白シャツとのギャップを演出したかったのだ。クレームの中で気を引いたのは「俺らはドアーズとか(シリアスなバンド)のファンなんだよ!」つまりはアイドル扱いするなということらしい。
セカンド・アルバム『スカウンドレル・デイズ』が届いたとき、ドアーズ発言を思い出した。いや、ドアーズっぽいサウンドという意味ではない。メンバーの後年の発言をご紹介しよう。
マグネ『スカウンドレル・デイズ』はそれほど難解じゃないよ。むしろこれはa-haが持てる力を全て出し切ったものだった。」
ポール「いくつかの曲には、よりダークな色合いがある。」
しかも収録曲の中にはデビュー・アルバム以前に作曲したものもあるとか。『スカウンドレル・デイズ』はむしろa-haの本質なのかもしれない。
ポール「一所懸命ポップ・スターのふりをしなければいけなかった。僕のヒーローはみな、嫌々ながらのポップ・スターだったから、それほど苦にはならなかったけど。」…オトナになったもんだ。
アーハ『ステイ・オン・ディーズ・ロード』
まずはお詫びから始めたい。邦題『ステイ・オン・ディーズ・ロード』についてである。原題は複数形「ローズ」である。当時ふたつの理由で敢えて「ロード」にした。
一つ目は「ローズ」という片仮名の字面である。一般的に見て「薔薇」を想起してしまうのではないか?という懸念。邦題やキャッチ・コピー付けは、オフィスに人が少なくなる夜に行うことが多かったのだが、落ち着いて作業出来るというメリットの反面、とんでもないこだわりに憑りつかれてしまうことがある。
もうひとつはメンバーのスーパースター疲弊である。デラックス・エディションの解説等に詳しいが、ツアーとアルバム制作と偉大なる007楽曲のご指名とメディア活動が、もう折り重なるように実行されていて、「今日は二時間“も”寝られた」「かつては力に溢れていたものがすっかりひからびてしまった」などというモートンの悲惨な発言も記録されている。a-haが空中分解してしまうのではないか、三本の道に分かれてしまうのではないか。これもまた僕の深夜妄想により、願いも込めてロードを単数形にさせて貰った。
この道に居ればまた逢える、とa-haは歌ってくれているにも関わらず…。
アーハ『イースト・オブ・ザ・サン、ウエスト・オブ・ザ・ムーン』
CDの編成作業は2~3か月の期間で行われる。このアルバムの日本発売日は1990年11月10日。ライナーノーツの日付は10月8日。明確な記憶は無いが、推定すると、社内の事前会議にこの作品を上程したのはたぶん7月か8月…。
会議の席上、ファースト・シングルに決まっていた「クライング・イン・ザ・レイン」の音源をかけて僕はこう説明した「a-haらしい哀愁の新曲が仕上がりました」。すぐさま上司が優しく「オリジナルじゃないぞ。エヴァリー・ブラザースの名曲じゃないか。」と訂正してくれた。この瞬間に僕はa-haを担当する資格を失ったと思う。
「テイク・オン・ミー」がPVとともに彗星の如く全米ナンバーワンを獲り、いきなり日本をはじめ世界的スーパースターになったのはご存知の通り。でもそれ以降、a-haは“一発屋”という心無い言葉と戦うはめになる。それに抗い、ありとあらゆる作戦でa-haを動かして来た。CDとコンサート・チケット両方を買ってくれたら抽選でa-ha会える。その様子をMTVで放送し、ROCK SHOW誌に追いかけてもらう。後にMeet & Greetと名付けられた方策の先駆けだ。ポールが「アメリカ・チャートと関係なく人気をキープ出来ているね」と珍しく褒めてくれた。
でもデビューから一人の人間が長らく同じアーティストを担当すると、スポットライトの当て方がいつの間にかワンパターンになってしまうのだ、きっと。
1990年9月30日、僕はワーナーに別れを告げる。発売直前の『イースト・オブ・ザ・サン、ウエスト・オブ・ザ・ムーン』が気掛かりだったけど、日本の担当者なんてメンバーにとっては些細なことだ、と自分に言い聞かせながら。
佐藤 淳
元a-ha担当ディレクター

9月22日に開催される『ロク漫祭 ~SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊祭り~』への出演で来日するライド!8月にリリースされたヨウガクベストの第三弾シリーズでは、バンドの軌跡をまとめたベスト盤『OX4 - The Best of Ride』も発売され、来日にむけてアルバムを聴き直ししているファンも多いはず。
今回は「わたしのフォーエヴァー・ヤング」特別編として、ライドをシューゲイザー・シーンの代表的バンドとして決定づけた衝撃のデビュー・アルバム『ノーホエア』に寄せられたコメントを紹介いたします。みなさんが彼らの作品を初めて聴いた時の経験を思い出しながら、読んでみてくださいね。
ライド『ノーホエア』
2012年春。当時17才。
ちょっと家に遊びにおいでと、弾き語りをやっていた1つ上の先輩に呼ばれた。
「オリジナル曲は録音しておいたほうが良いよ~」とカセットMTRやマイクなどの宅録機材一式を譲ってくれた。さらに「これも良いから聞いてみて」と渡されたのがオアシスのファースト・アルバムとライドの『ノーホエア』だった。
オアシスはわかるけど、ライド…?と思っていると
「シューゲイザーってジャンルなんだけど、カッコいいよ」と先輩。
「シューゲイザー」ってなんだろう…とさらにクエスチョン・マークが頭に浮かびつつ機材やCDを受け取り帰宅。自分の部屋のコンポで早速再生してみた。
音の隙間を埋めていくかのように、これでもかとギターの轟音が鳴り響くサウンド。
当時の私の感想としては「こんな音楽があるのかー」程度だった。
数年後。棚に置いてあるCDを全部聴き直そう!という自分だけのリバイバル企画を開催した時、再び手にした『ノーホエア』。
1曲目「シーガル」の疾走感、「ドリームス・バーン・ダウン」のダイナミックなドラムやギター・リフ…。リバーブやディレイのかかったなんともいえない浮遊感、それでいてどこか清涼感さえ感じるサウンドに強烈に惹きつけられた。リバイバル企画をやって良かった。
そして2024年夏。フジロックに出演しているライドのステージを配信でみている自分がいた。なんだか12年の時が線で繋がったような感覚だった(…というのは大袈裟ですね)。
ただいつも音楽はその瞬間の記憶を呼び覚ましてくれる。
私はこの『ノーホエア』を聞くたびに17歳の春を、そしてこのCDを渡された先輩の部屋を思い出す。増子先輩、元気かなぁ。
トッティー
AIR-G’FM北海道パーソナリティー

アラニス・モリセット『ジャグド・リトル・ピル』
アラニス・モリセットの「ユー・オウタ・ノウ」を初めて耳にした時の衝撃は、今でも私の音楽人生に深く刻まれています。
彼女がグラミー賞を総なめにする少し前、地元のFM局・FM NORTH WAVEからあのヒリヒリするようなイントロが流れてきた瞬間、私や周りの音楽仲間は一発でノックアウトされました。90年代半ばのグランジ/オルタナ・ロックのトレンド感をまといながら、同時に圧倒的にキャッチーでPOPなメロディ。女性の生々しい感情を激しく吐き出すその斬新なサウンドは、当時のラジオから流れるどの曲よりも異彩を放っていました。
格好いい曲が電波に乗ると、リスナーも一気に燃え上がる情熱の時代。居ても立ってもいられなくなり、その足で走ったのが、今はなきヴァージン・メガストア札幌店です。お店に飛び込むと、なんと洋楽担当のスタッフさんもあの刺激的な音にノリノリで、大々的な特設コーナーを展開している真っ最中でした。「やっぱりみんなこの時代の最先端の音にヤラれてるんだ!」と、言葉にできないほど嬉しくなったのを鮮明に思い出します。
ラジオが提示する時代の最先端のカッコよさに惹かれ、CDショップの熱い展開にワクワクさせられる。あの爆発的なヒットは、ただのブームではなく、売り手と買い手が音楽の純粋なエナジーでガッチリと繋がった結果でした。
サブスク全盛の今だからこそ、あの頃に五感で体験した熱狂をもう一度味あわせてくれる「フォーエヴァー・ヤング」での再発は、胸が熱くなる最高の音楽体験です。
札幌在住の小林くん

アン・ヴォーグ『ファンキー・ディヴァス』
1992年
自分にとっては完全なる後追い作品である。
今、私がいる放送局から90年代後期に、
今で言う90年代R&Bクラシックがヘビー・プレイされていて、
当時はイン・シンクやテイク・ザット、ボーイズⅡメンなどのボーイズ・グループやコーラス・グループの曲をラジオから聞こえてきてはメモをして集めていた。
そんな中で特にハマったのがニュー・ジャック・スウィングという80年代後半から90年代前半にかけて世界中で大ブームを巻き起こした跳ねたビート。
そこで出会ったアン・ヴォーグ。
その中でも特に90年代R&Bを代表する名盤のひとつと思って1枚取り上げたいのが
『ファンキー・ディヴァス』
1曲目、ど頭はトークから始まり、やや雑に4人の歌声が重なっていく。
まるで本番前のリハーサルの楽屋だ。
目を閉じると楽屋からステージに上がっていく4人の姿が見えた。
ビタビタにあわせたハーモニーとソウルフルでグルーヴ感のある歌唱。
まるで自宅ステレオの前はライヴ・ハウスかクラブかと思うくらいフロアライクな曲が続く。
ただ、踊れるトラックだけが続くわけではなく、ロックの要素も取り入れた「フリー・ユア・マインド」は、「見た目や偏見で人を判断するな」という当時としてはかなり先進的な社会的なメッセージも詰まった楽曲も収録されていた。
自立した女性像や自己表現を力強く打ち出したアルバムは、当時ガールズ・グループの枠を超えていたようにも感じる。
言うまでもなく後にでてくるTLCやデスティニーズ・チャイルドなどに大きな影響を与えたことでしょう。
こうして改めて想いを巡らせながら、2026年の今、『ファンキー・ディヴァス』をプレイする。 あの頃と何ひとつ変わらない。
自然と体がリズムを刻み、気づけば音に身を委ねている。
どうやら、このアルバムとはまだしばらく長い付き合いになりそうだ。
DJカツノリ
FM NORTH WAVE