FUN.ファン.
Discography
SOME NIGHTS 【輸入盤】
SOME NIGHTS 【輸入盤】
2012.03.05 発売/7567.882628
全米のオルタナティヴ・ラジオで大ヒット中の”We Are Young”はfun.にとってブレイクのきっかけとなったシングルで、既にセールスが120万枚を超えている。ビルボードのデジタル・ソングス・チャートで1位、シングル・チャートでも3位を記録。クリア・チャンネルもfun.を「最も勢いのあるアーティスト」に選定した。そんな彼らのフュエルド・バイ・ラーメンからの第一弾アルバムとなる『サム・ナイツ』が米国で2月21日にリリースされた(日本盤は初夏発売予定)。
2008年、ネイト・ルイスがアンドリュー・ドスト、ジャック・アントノフが集まり、多彩なインスピレーションを元に彼ら流の自由でたまらないポップ・ソングを作りだした。豊かな歌詞と複雑にツイストするメロディーが印象的なデビュー・アルバム『エイム・アンド・イグナイト』は70年代ポップスのアレンジとオーケストレーションを現代ロックンロールと融合させたサウンドで、バンドはすぐに注目を浴びた。
fun.の3人は、セカンド・アルバムを制作するにあたり、ステップ・アップする必要があると判断した。「ヒップホップにハマったんだ。マジでハマったんだよ。夜中に曲が思い浮かんでしまうくらいね。その曲にはブレイクビーツとサンプリングが入ってたけど、俺がハマっている音楽がヒップホップだから、自然な事だよね。皆に次のアルバムはヒップホップ・アルバムにしたいって伝えた。彼らに賛成してもらえなかった訳じゃないけど、混乱させてしまったみたいだね。」とネイト。そんな時、フェニックスのライヴの数時間前、彼らはアリゾナ州立大学の音楽室に忍び込んだ。その時に考えたコードが、後に「サム・ナイツ」となった。アンドリューがピアノでコードを演奏し、ネイトが歌い、ジャックが手足でリズムを刻んだ。「あの瞬間、このアルバムに向けて、俺たちはバンドとして団結したね。そして、彼らは砂漠の真ん中にあるコンクリートのビルで、『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』とドレイクを聴いていた。思った通り。彼らもドレイクにハマったよ。」とネイトは笑って話す。レーベルやマネージメントからプロデューサー候補を上げろと言われたネイトは、自分が好きなアルバムを調べまくった。そこで何度も出てきたのがジェフ・バスカー(カニエ・ウエスト、ジェイZ、アリシア・キーズ、ビヨンセ、ドレイク)という名前だった。当時、ジェフはビヨンセの作品を手掛けており、さすがに忙しかった。バンドも、こんな大物プロデューサーには会えないのではないかと心配していた。しかし、ある日の深夜、ザ・ボウワリー・ホテルにてネイトは彼に会うチャンスを得た。
「ジェフは、良い意味であまり暖かいタイプじゃないんだ。一日中ビヨンセの作品をやってて、俺に会いたくないって空気が出まくってたよ。でも、アルコールに感謝!結果的に俺たちは意気投合したし、酔っぱらって状況がわからなくなっていた俺は彼に自分の歌まで聴かせてしまったんだ。”We Are Young”のコーラスを歌った記憶はあるんだけど、うるさくて、キーも合ってなかったと思う。ジェフは興奮すると目が飛び出て、耳が頭の上まで上がるんだ。俺の歌を聴いた彼は”一緒に仕事しよう”って言ってくれた。」-ネイト-
もともと独特なfun.サウンドを奏でる3人に、ジェフ・バスカーが加わった。結果、『サム・ナイツ』で、彼らは更にバンドとしてのステータスを高めた。ジェフはアコースティック・ギターとピアノだけだったシンプルな曲構成だった”Carry On” にジャックのギター・ソロをフィーチャーさせることにより、いきなり大きなビートが加わった。バンドとジェフは、彼らの活気溢れるメロディーとヒップホップな要素を融合する事で、独特なfun.サウンドを更に進化させた。リリースされたばかりのアルバムは米iTunesでアルバム配信開始から5時間でアルバム・チャート2位まで一気にかけあがり、全米ビルボードアルバム・チャートに初登場3位に食い込んだ。
「俺たち自身も、ずっと変わり者で、仲間に入れない思いをしてきたんだ。それがfun.のファンにも伝わっていると思う。彼らと俺らは同じタイプの人間。子供の頃、特定の音楽シーンにハマれなかった。どのシーンも自分を表現してくれていると思えなかったから。」-ジャック-
「高校1年生の時、仲間に入れない辛い思いをした。特に、一人の女の子に振り返ってもらいたかった。そんな時、ウィーザーの”エル・スコーチョ”を聴いて助けられた。俺以外にも同じ気持ちの人が、世界に少なくとも1人はいるってわかったから」-ジャック-
「オール・ライト」に出てくる”俺の心には何も残っていない。でもいいんだ。”というフレーズのように『サム・ナイツ』の歌詞は、ユニークでインパクトがある。ネイトは「このアルバムの制作に入る前の1年は暗くて、内向的な年で、俺は少しずつ、その殻から出てきている所だったんだ」と当時を振り返る。「その時の俺は、曲が書けるか不安だったし、音楽を続けたいかさえ、わからなくなってた。その解決策は、その不安を曲にする事だった」。多くの人に投げかけるのではなく、同じ思いをしている一人にでも共感される歌詞感、、、それがfun.である。
「『サム・ナイツ』には、罪の意識と悲しみという共通のテーマがある。そして、そのテーマを全部テーブルに並べて見つけ直すと、トンネルの向こうには何かしら光が見えているんだ。それがこのアルバムの意図だし、”オッケー。その光は見えた気がする。でも、それに向かって進んでたら、また他の光を探さないといけない状況に陥ってしまったよ。”って言うような事を伝えたいんだ」-ネイト-
2008年、ネイト・ルイスがアンドリュー・ドスト、ジャック・アントノフが集まり、多彩なインスピレーションを元に彼ら流の自由でたまらないポップ・ソングを作りだした。豊かな歌詞と複雑にツイストするメロディーが印象的なデビュー・アルバム『エイム・アンド・イグナイト』は70年代ポップスのアレンジとオーケストレーションを現代ロックンロールと融合させたサウンドで、バンドはすぐに注目を浴びた。
fun.の3人は、セカンド・アルバムを制作するにあたり、ステップ・アップする必要があると判断した。「ヒップホップにハマったんだ。マジでハマったんだよ。夜中に曲が思い浮かんでしまうくらいね。その曲にはブレイクビーツとサンプリングが入ってたけど、俺がハマっている音楽がヒップホップだから、自然な事だよね。皆に次のアルバムはヒップホップ・アルバムにしたいって伝えた。彼らに賛成してもらえなかった訳じゃないけど、混乱させてしまったみたいだね。」とネイト。そんな時、フェニックスのライヴの数時間前、彼らはアリゾナ州立大学の音楽室に忍び込んだ。その時に考えたコードが、後に「サム・ナイツ」となった。アンドリューがピアノでコードを演奏し、ネイトが歌い、ジャックが手足でリズムを刻んだ。「あの瞬間、このアルバムに向けて、俺たちはバンドとして団結したね。そして、彼らは砂漠の真ん中にあるコンクリートのビルで、『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』とドレイクを聴いていた。思った通り。彼らもドレイクにハマったよ。」とネイトは笑って話す。レーベルやマネージメントからプロデューサー候補を上げろと言われたネイトは、自分が好きなアルバムを調べまくった。そこで何度も出てきたのがジェフ・バスカー(カニエ・ウエスト、ジェイZ、アリシア・キーズ、ビヨンセ、ドレイク)という名前だった。当時、ジェフはビヨンセの作品を手掛けており、さすがに忙しかった。バンドも、こんな大物プロデューサーには会えないのではないかと心配していた。しかし、ある日の深夜、ザ・ボウワリー・ホテルにてネイトは彼に会うチャンスを得た。
「ジェフは、良い意味であまり暖かいタイプじゃないんだ。一日中ビヨンセの作品をやってて、俺に会いたくないって空気が出まくってたよ。でも、アルコールに感謝!結果的に俺たちは意気投合したし、酔っぱらって状況がわからなくなっていた俺は彼に自分の歌まで聴かせてしまったんだ。”We Are Young”のコーラスを歌った記憶はあるんだけど、うるさくて、キーも合ってなかったと思う。ジェフは興奮すると目が飛び出て、耳が頭の上まで上がるんだ。俺の歌を聴いた彼は”一緒に仕事しよう”って言ってくれた。」-ネイト-
もともと独特なfun.サウンドを奏でる3人に、ジェフ・バスカーが加わった。結果、『サム・ナイツ』で、彼らは更にバンドとしてのステータスを高めた。ジェフはアコースティック・ギターとピアノだけだったシンプルな曲構成だった”Carry On” にジャックのギター・ソロをフィーチャーさせることにより、いきなり大きなビートが加わった。バンドとジェフは、彼らの活気溢れるメロディーとヒップホップな要素を融合する事で、独特なfun.サウンドを更に進化させた。リリースされたばかりのアルバムは米iTunesでアルバム配信開始から5時間でアルバム・チャート2位まで一気にかけあがり、全米ビルボードアルバム・チャートに初登場3位に食い込んだ。
「俺たち自身も、ずっと変わり者で、仲間に入れない思いをしてきたんだ。それがfun.のファンにも伝わっていると思う。彼らと俺らは同じタイプの人間。子供の頃、特定の音楽シーンにハマれなかった。どのシーンも自分を表現してくれていると思えなかったから。」-ジャック-
「高校1年生の時、仲間に入れない辛い思いをした。特に、一人の女の子に振り返ってもらいたかった。そんな時、ウィーザーの”エル・スコーチョ”を聴いて助けられた。俺以外にも同じ気持ちの人が、世界に少なくとも1人はいるってわかったから」-ジャック-
「オール・ライト」に出てくる”俺の心には何も残っていない。でもいいんだ。”というフレーズのように『サム・ナイツ』の歌詞は、ユニークでインパクトがある。ネイトは「このアルバムの制作に入る前の1年は暗くて、内向的な年で、俺は少しずつ、その殻から出てきている所だったんだ」と当時を振り返る。「その時の俺は、曲が書けるか不安だったし、音楽を続けたいかさえ、わからなくなってた。その解決策は、その不安を曲にする事だった」。多くの人に投げかけるのではなく、同じ思いをしている一人にでも共感される歌詞感、、、それがfun.である。
「『サム・ナイツ』には、罪の意識と悲しみという共通のテーマがある。そして、そのテーマを全部テーブルに並べて見つけ直すと、トンネルの向こうには何かしら光が見えているんだ。それがこのアルバムの意図だし、”オッケー。その光は見えた気がする。でも、それに向かって進んでたら、また他の光を探さないといけない状況に陥ってしまったよ。”って言うような事を伝えたいんだ」-ネイト-