Josh Grobanジョシュ・グローバン
News
3/12のMSGコンサート、ニューヨーク・タイムス紙でも大絶賛!!
2007.3.23
3/12にニューヨークMSGで行われた素晴らしすぎるコンサートが、批評では厳しいニューヨーク・タイムス紙でも大絶賛のジョシュ。
「その文化的シンメトリーは完璧だった。今週月曜夜に毎年恒例の「ロックの殿堂入り授与式」がザ・ウォードルフ・アストリアで開催された頃、ロックン・ロールとは無縁な26歳のポップ・スター、ジョシュ・グローバンはマジソン・スクウェア・ガーデンにて、忠実な“グローバナイツ"ことジョシュ・グローバンのファン達にセレナーデを歌っていた。これは、まさに2つの世界の平和な共存と言えよう。
グローバン氏は、リトル・リチャードがロックン・ロールに魅了される時代以前に人気を博した、エモーショナルな地中海系バラードものを得意としている。彼の音楽は(歴史的に見れば)かつてロックが一発で殺したはずの音楽だが、最新作『AWAKE』が既に約200万枚のアルバム・セールスを誇り、 オプラ・ウィンフリーのお気に入りバラディアーとして知られるグローバン氏の音楽は、この夜大盛況であった。
非常に象徴的な意味合いとしては、新たな世界と古い世界が “無制限な自己表現の自由(=ロックン・ロール)"VS “確立した芸術価値のヒエラルキーにおける規律と抑制(=ハリウッド風アレンジを施したヨーロピアン・ポップス)" として、今もなお対立している。
勿論、現実の世界では、過去何十年にも渡り“音楽技術"という名の未知の要因によって、音楽ジャンル間の境界線はより濁ったものへと変化を遂げた。グローバン氏のコンサート中に瞳を閉じてみると、鼓動するベース、ドラムス、そしてアコースティックなストリングスは見違えるほど分厚い音のスープに仕上がっており、これは80’sメタル・バンドとさほど変わらない。唯一異なるのは、悪魔ではなく天使のような彼の姿勢である。その鍵となる言葉は“力"。アリーナ・ロック同様に、アリーナ・ポップスも人々の五感を圧倒させるのだ。
議論の余地もなく美しい歌声の持ち主であるグローバンは、アメリカが誇るクワイアー・ボーイだ。たとえ彼が選ぶ楽曲の趣味が堅苦しいインスピレーショナル系でキッチュな方向に傾いても、彼のシンガーとしての味わいは並外れて純粋。そのテナー寄りの素朴なバリトン・ヴォイスは、驚くべき謙虚さと優美に満ちた見事な楽器である。そして、グローバン氏は細心の注意を払い、マリオ・ランツァ全盛期の時代からセミクラシック系シンガー達が女性達を熱狂させるために展開した“行き過ぎ"な歌い方を避けている。
彼の歌声は豊かではあるが、円熟し過ぎてはいない。歌詞が英語であろうとイタリア語であろうと、その発音は申し分なく、イントネーションもほぼ完璧である。彼は常に音符に合わせて歌っており、高音域の最後の部分になるとその歌声は純粋で甘美な頭音となる。それは、むせび泣くような感傷的な声ではない。彼はメロディ・ラインを尊重し、自らが歌う全楽曲を本来備わった調和と均整のとれた感性で、独自のものにしている。
月曜日のコンサートでは、アルバム『AWAKE』同様に、グローバン氏の控えめな音楽的範囲の広がりを聴くことができた。少し前に南アフリカ共和国をツアーし、ネルソン・マンデラと過ごす機会を得たこのシンガーはアフリカ音楽を吸収し、その影響を自分の音楽に取り入れた。そして、新作収録の2曲で共演した南アフリカの偉大なるアカペラ・グループのレディスミス・ブラック・マンバーゾは、この日のステージでグローバンが披露した同2曲(「Weeping」と「Lullaby」)及びポール・サイモンの『GRACELAND』収録曲「Homeless」のカバーでゲスト参加を果たした。
中盤に入ると、(ジョシュ・グローバンの)前座として短いライヴ・セットを演奏した、フランスで活動するベニン人シンガーソングライターのアンジェリック・キジョーも再び登場。飢えた子供のために地面に落ちた穀粒を漁るソマリア人女性を描いた、シャーデーによる「Pearl」の情熱的なカバーを2人はデュエットした。
また、コンサート後半で披露された「Machine」でも、グローバンの音楽的進化を見出すことができた。街を踏みにじるロボットの画像がスクリーン上に映し出される中、グローバンは自身をアリーナ・ポップスの呼び物へと作り上げたテクノロジーを痛烈に批判した。しかしながら、興奮した彼の歌声は、今も挑み続ける人間らしいものだった。(文:- Stephen Holden )」
こんな、素晴らしいコンサートはまだまだ続きます!またもや、第3次ツアー日程が発表になりました。再びアメリカ・カナダを回る長い長い全27公演のツアーです。全体的に見ると、既に全74公演、凄まじい数ですね。今週土曜3/31は、いよいよ地元LAのステイプルズ・センターに凱旋を果たします。
「その文化的シンメトリーは完璧だった。今週月曜夜に毎年恒例の「ロックの殿堂入り授与式」がザ・ウォードルフ・アストリアで開催された頃、ロックン・ロールとは無縁な26歳のポップ・スター、ジョシュ・グローバンはマジソン・スクウェア・ガーデンにて、忠実な“グローバナイツ"ことジョシュ・グローバンのファン達にセレナーデを歌っていた。これは、まさに2つの世界の平和な共存と言えよう。
グローバン氏は、リトル・リチャードがロックン・ロールに魅了される時代以前に人気を博した、エモーショナルな地中海系バラードものを得意としている。彼の音楽は(歴史的に見れば)かつてロックが一発で殺したはずの音楽だが、最新作『AWAKE』が既に約200万枚のアルバム・セールスを誇り、 オプラ・ウィンフリーのお気に入りバラディアーとして知られるグローバン氏の音楽は、この夜大盛況であった。
非常に象徴的な意味合いとしては、新たな世界と古い世界が “無制限な自己表現の自由(=ロックン・ロール)"VS “確立した芸術価値のヒエラルキーにおける規律と抑制(=ハリウッド風アレンジを施したヨーロピアン・ポップス)" として、今もなお対立している。
勿論、現実の世界では、過去何十年にも渡り“音楽技術"という名の未知の要因によって、音楽ジャンル間の境界線はより濁ったものへと変化を遂げた。グローバン氏のコンサート中に瞳を閉じてみると、鼓動するベース、ドラムス、そしてアコースティックなストリングスは見違えるほど分厚い音のスープに仕上がっており、これは80’sメタル・バンドとさほど変わらない。唯一異なるのは、悪魔ではなく天使のような彼の姿勢である。その鍵となる言葉は“力"。アリーナ・ロック同様に、アリーナ・ポップスも人々の五感を圧倒させるのだ。
議論の余地もなく美しい歌声の持ち主であるグローバンは、アメリカが誇るクワイアー・ボーイだ。たとえ彼が選ぶ楽曲の趣味が堅苦しいインスピレーショナル系でキッチュな方向に傾いても、彼のシンガーとしての味わいは並外れて純粋。そのテナー寄りの素朴なバリトン・ヴォイスは、驚くべき謙虚さと優美に満ちた見事な楽器である。そして、グローバン氏は細心の注意を払い、マリオ・ランツァ全盛期の時代からセミクラシック系シンガー達が女性達を熱狂させるために展開した“行き過ぎ"な歌い方を避けている。
彼の歌声は豊かではあるが、円熟し過ぎてはいない。歌詞が英語であろうとイタリア語であろうと、その発音は申し分なく、イントネーションもほぼ完璧である。彼は常に音符に合わせて歌っており、高音域の最後の部分になるとその歌声は純粋で甘美な頭音となる。それは、むせび泣くような感傷的な声ではない。彼はメロディ・ラインを尊重し、自らが歌う全楽曲を本来備わった調和と均整のとれた感性で、独自のものにしている。
月曜日のコンサートでは、アルバム『AWAKE』同様に、グローバン氏の控えめな音楽的範囲の広がりを聴くことができた。少し前に南アフリカ共和国をツアーし、ネルソン・マンデラと過ごす機会を得たこのシンガーはアフリカ音楽を吸収し、その影響を自分の音楽に取り入れた。そして、新作収録の2曲で共演した南アフリカの偉大なるアカペラ・グループのレディスミス・ブラック・マンバーゾは、この日のステージでグローバンが披露した同2曲(「Weeping」と「Lullaby」)及びポール・サイモンの『GRACELAND』収録曲「Homeless」のカバーでゲスト参加を果たした。
中盤に入ると、(ジョシュ・グローバンの)前座として短いライヴ・セットを演奏した、フランスで活動するベニン人シンガーソングライターのアンジェリック・キジョーも再び登場。飢えた子供のために地面に落ちた穀粒を漁るソマリア人女性を描いた、シャーデーによる「Pearl」の情熱的なカバーを2人はデュエットした。
また、コンサート後半で披露された「Machine」でも、グローバンの音楽的進化を見出すことができた。街を踏みにじるロボットの画像がスクリーン上に映し出される中、グローバンは自身をアリーナ・ポップスの呼び物へと作り上げたテクノロジーを痛烈に批判した。しかしながら、興奮した彼の歌声は、今も挑み続ける人間らしいものだった。(文:- Stephen Holden )」
こんな、素晴らしいコンサートはまだまだ続きます!またもや、第3次ツアー日程が発表になりました。再びアメリカ・カナダを回る長い長い全27公演のツアーです。全体的に見ると、既に全74公演、凄まじい数ですね。今週土曜3/31は、いよいよ地元LAのステイプルズ・センターに凱旋を果たします。