生田敬太郎
Profile
生田敬太郎(いくた けいたろう)は、山口県生まれ・神戸市育ちのフォークシンガー、ロッキングブルース歌手。
1971年エレックレコードから、1stアルバム『この暗い時期にも』生田敬太郎&マックスでデビュー。泉谷しげる、古井戸、ピピ&コット、佐藤公彦、とみたいちろう、海援隊らと、唄の市コンサートに出演。
1972年エレックレコードから、三保敬太郎プロデュースの2ndアルバム『24+37』をリリース。
1973年エレックレコードから、アレンジャーに矢野誠等、演奏にスモーキー・メディスン抜粋メンバー等を迎えて、3rdアルバム『風の架け橋』をリリース。子供向け番組ひらけ!ポンキッキの「およげ!たいやきくん」のオリジナル歌手でもあった(ひらけ!ポンキッキでは生田は他に「おとなもなやみがあるんだな」を歌っている)。
1975年テイチクレコードから、Char、佐藤準等を迎え4thアルバム『凱旋』を発表。
1976年、なぎら健壱が友人たちを集めてレコーディングしたライヴアルバムに、タモリ、友部正人、高田渡、斉藤哲夫、渡辺勝、大塚まさじらと参加。
1990年代後半から本格的に活動再開して旧知の斉藤哲夫との連名アルバム『生田敬太郎 斉藤哲夫』をFFAから発表。ライヴ活動も再開。
2008年コロムビアミュージックエンタテイメントから、『生田敬太郎&the Mole's Soul』をリリース。永年の想いを録す。後輩の海援隊が、ファースト収録の「僕の唄」を『誰もいないからそこを歩く』(1980年)でカヴァーしている。
1971年エレックレコードから、1stアルバム『この暗い時期にも』生田敬太郎&マックスでデビュー。泉谷しげる、古井戸、ピピ&コット、佐藤公彦、とみたいちろう、海援隊らと、唄の市コンサートに出演。
1972年エレックレコードから、三保敬太郎プロデュースの2ndアルバム『24+37』をリリース。
1973年エレックレコードから、アレンジャーに矢野誠等、演奏にスモーキー・メディスン抜粋メンバー等を迎えて、3rdアルバム『風の架け橋』をリリース。子供向け番組ひらけ!ポンキッキの「およげ!たいやきくん」のオリジナル歌手でもあった(ひらけ!ポンキッキでは生田は他に「おとなもなやみがあるんだな」を歌っている)。
1975年テイチクレコードから、Char、佐藤準等を迎え4thアルバム『凱旋』を発表。
1976年、なぎら健壱が友人たちを集めてレコーディングしたライヴアルバムに、タモリ、友部正人、高田渡、斉藤哲夫、渡辺勝、大塚まさじらと参加。
1990年代後半から本格的に活動再開して旧知の斉藤哲夫との連名アルバム『生田敬太郎 斉藤哲夫』をFFAから発表。ライヴ活動も再開。
2008年コロムビアミュージックエンタテイメントから、『生田敬太郎&the Mole's Soul』をリリース。永年の想いを録す。後輩の海援隊が、ファースト収録の「僕の唄」を『誰もいないからそこを歩く』(1980年)でカヴァーしている。