Longviewロングヴュー

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まだロングヴューをご存知ない方々は、彼らと出会ったら数日間は何もできなくなる覚悟でいてほしい。電話には応えず、カーテンを閉め切り、急ぎの残業も中止した方がいい。それでも後悔はしないはずだ。ガレージバンドが続出する今日のシーンにあって、ロングヴューは今のトレンドとはかけ離れた場所にいる。ダヴズやレディオヘッド、そしてコールドプレイなどとは、明らかに同じ流れにいるバンドと言っていいだろうが、ロングヴューの音楽が内包する穏やかで楽観的な部分は、ヴァーヴやティーンネイジ・ファンクラブ、そしてバンドのお気に入りであるビートルズの『ホワイトアルバム』などをより髣髴とさせる。一旦はまると抜け出せなくなってしまうだろう。

ロングヴューの物語はウィンチェスターで始まった。4歳の時に初めて楽器を手にしたというロブ(Vo)は、ピアノとギターの才能に恵まれ、10代の中頃までにはジュリアン・ブリームに続くようなクラシック・ギタリストの道を順調に歩んでいた。けれどロブは若くしてクラシックの心得があることには感謝しつつも、クラシック・ミュージシャンとしての厳しく制限された生活に従うのは嫌でたまらなかった。そして18歳の時に、クラシックとは別の音楽を学ぼうとウィンチェスターを離れる決心をする。その年の9月、ロブはマンチェスターに移り、ジャズを学び始めた。

「最初にマンチェスターに行った時は、かなり不安だった。知り合いは誰もいなかったし、3年間ただ学生として過ごすだけじゃなく、音楽を作るためにマンチェスターに行くって決めたわけだからね。でも歴史あるマンチェスターはいつだって憧れの地だったし、ローカルの音楽シーンがあることも知ってた。マンチェスターに行けば、きっと影響を受けられるって分かってたんだ」

当然のようにNight & Day Cafe(バッドリー・ドローン・ボーイやアルフィーのホームとして知られる)にひきよせられたロブはゆっくりと音楽活動をスタートさせた。同じウィンチェスター出身のドラマー、マット・ダブスとベーシストのエイダン・バンクスが加わった後で、ロングヴューに残された最後のピースを埋めたのが快活なギタリスト、ダグ・モーチだった。「俺はリーズで、あるバンドと一緒にやってたんだ」ダグが言う。「すごくいいバンドで、俺はそいつらと活動するためにいつもマンチェスターからリーズまで出向いてたんだ。でも本格的な活動がろくにできてなかった。だから彼等が俺のところに来た時にロブの歌を聴いて、俺はこのバンドに加わるべきだって思ったんだよ」
その後は急ピッチでことが進んだ。ダグのニック・マッケイブのようなギター・プレイによって、ロブの歌はより焦点が絞られ、バンドは急発進したのだ。
Night & Dayでの初のショウ、U.L.Uでのヘイヴンのオープニング・アクトを経て、8回目のギグで彼等は14th Floor Recordsとメジャー契約を交わした。その後はAlthlete、Goldrush、Easyworld、Gemma Hayesらのツアーでサポート・アクトをつとめ、最初のシングル"ファーザー"がラジオでかかるようになると、次のシングル"ホェン・ユー・スリープ"にもすぐに火がついた。しっかりと目的を持って"ファーザー"を基に青写真を描き、そこからわざとぶちまけるように展開させたのだ。
「もし誰かがわざわざ時間を割いて僕らの音楽を聴いてくれたとして、その人達を落胆させるようなことはないと思う」時計が7時を回り、カムデンの街が夜の賑わいを見せ始める頃にロブは言った。
「人々の心を動かすようなレコードを作ることが目標なんだ。忘れることのできない、"クラシック"アルバムをね」

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