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にしな | 「青藍遊泳」オフィシャルインタビュー
2022.6.16
――4月のワンマンライブ「虎虎」はどうでしたか?
「『虎虎』は大阪と東京をやったんですけど、大阪は初ワンマンだったので緊張しました。キーボードの松本ジュンさんと一緒にステージに立つのも初めてだったりしたので、そういうドキドキ感もあったし。でも2回目のワンマンだし、よりお客さんと楽しむにはどうしたらいいんだろうみたいなことを考えて。どういうふうに見えるのか、ノルとなったら座っているより立ってもらったほうが楽しめるかも知れないね、じゃあどうやって立ってもらおうか、盛り上げていこうかみたいなことを考えながらの2回目だったので、うまくいかないことももちろんあったけど、得たものもあったし、メンバーと一緒に作るんだっていうこともすごく感じました」
――もともと弾き語りから始まったわけじゃないですか。それがバンドでやるようになって、楽曲的にもいろんな幅が広がっていく中で改めて弾き語りをやってみて、どういう気持ちでしたか?
「これだけで立てる自信っていうか。ギターを持てば成り立つ音楽なんだって自分に対して思えるのは自信に繋がりますよね。そういうものなのかなあという気がします」
――歌とギターだけでちゃんと成立する曲を作れてるんだ、みたいな。
「うん。そしてそれを好きだって言ってくれる人がいるんだっていうこと」
――ああいう形が にしな の原点というか、最初の姿で。そこからどんどん進化や変化をしてきて今があるわけですけど。そういう中で今回、その始まりの地点で作った「青藍遊泳」がリリースされるというのにも意味があるなと思うんです。この曲は にしなさんにとってはどういう曲なんですか?
「一番はすごい『自分自身の曲』っていうか。誰かの曲になるようにって書いたっていうよりも、自分自身のことを書いていってできあがった曲なんです。だから、書いたときから時間は経ってますけど、今でも『今書いた』って思えるぐらい、自分の曲だなって思う。だからこそ誰かにとってもそう思ってもらえるのかなあと思います。私、にしな としてデビューする前は、弾き語りをずっとやりつつ、同時にバンドやユニットもやっていたんです。でもこの先は1人でずっとやっていくって決めて。それでメンバーと一緒にやるラストライブがあったんですけど、そのライブの終わりのBGMでスタッフさんがユニコーンの『すばらしい日々』を流してくださったんです。その時は知らなかったんですけど、後で話したら『あの曲は にしな に贈ったんだよ』っていうことだったらしくて。それで、そうだったんだと思って歌詞を読んだら、あの曲の最後に〈君は僕を忘れるから そうすればもう すぐに君に会いに行ける〉っていう歌詞があるじゃないですか」
――うん。
「すごくいい曲だなって思ったのと同時に、この曲を贈ってもらった身として、お別れはすごく寂しいけど、みんなのことを忘れちゃうぐらい夢中になって目の前のことをやれる自分でいたいし、そうあるべきなんだなと思ったんですよね。それで書きました」
――1人でやるって決めたのは、何か理由なり決意なりがあったんですか?
「まあ、1人でやっていくっていうのはずっと軸としてあったんです。その枝わかれでたまたまいろんな形があって。だからいろいろやっている途中も、ずっと1人が軸ではあったんですけど、なんだろうなあ……気持ちとしては、ここから先自分に一番何が必要かなって思ったときに、にしな としてもっといい曲を書けたらいいし、もっといい歌を歌えたらいいなって思って。そこにすべてを注いでいきたいって思ったのが一番の理由かなって思います」
――なるほど。この曲って、それ以降に書かれた にしな の曲とは明らかに手触りが違いますよね。すごく素直に書いているというか。物語や世界観を描こうというものではなくて、素朴に出てきたものをそのままメロディと歌詞にしている感じがする。
「書いたときのことをしっかり覚えているわけではないんですけど、確かにすごく素直に気持ちを書いていたような気がします。悲しかったぶん……悲しいというか、たとえば卒業なんかもそうですけど、絶対その先もあるけど、その一瞬はすごく切なかったり、嬉しい気持ちも含まれた悲しさみたいなものがあるじゃないですか。その気持ちが大きかった分、進みたい気持ちも膨らんではいたという感じだったのかな」
――まさに「卒業」だったんだなと思うんですよね。〈門出の夜に忍び込んで 青いプール金魚を放とう〉という情景って、すごく青春的じゃないですか。
「そうですね」
――そういう日々を過ごして、仲間と一緒に音楽をやったというのは にしなさんにとって大きい?
「本当に遡れば、私が音楽始めた瞬間からみんな結構そばにいて。みんなの姿を見て私もやってきたんです。やりたいことを恥ずかしげもなくやっていいんだって思わせてくれたのがみんなだった。どう影響を受けたのかっていうのはうまく言えないですけど、音楽をやっている今があるのはみんながいてこそだというのはすごく思います。何かが欠けてたら、また違う今なのかもしれないなって」
――そういう曲を今回セカンドアルバムに入れるっていうのにはどんな意味合いがあると思いますか?
「でも、この曲ってファーストアルバムを出した直後ぐらいにレコーディングしているんです。だから2枚目に入れるぞっていう気持ちでやったっていうよりも、本当に自然な流れで、今回アルバムに入ることになったっていう感じなんですけど……意味があるとすれば、1枚目のアルバムもすごくありのままであったんですけど、1枚目を出してからここまでの期間に苦しいこともいろいろあって、前よりもありのままの自分を見てもらおうっていう気持ちがすごく高まったんです。『こう見られたい』とか『こう思ってほしい』ということよりも、自分は自分に素直でいて、そこから出てくるものを自分も楽しみにして、聴いてくれる人もそれを楽しみにしてくれたら嬉しいなっていう気持ちでやってこれた1年間だった。きっとこれからもいろいろあるけど、この自分が今は好きだし、ここからまっすぐ進めそうっていう気持ちは自分のどこかで感じているんです。そういう意味では2枚目に『青藍遊泳』が入るというのは、考えていたことじゃないけど、すごく自分にとっても意味をもたらしてくれるのかなって思ったりします」
――その気持ちの象徴みたいな曲ですよね。ちなみにこの曲で〈永遠に僕らは大人になれずに 夜空の星屑 盗む事ばかり企んでいる〉というフレーズが出てきますよね。独特な表現だなって思うんですけど、〈夜空の星屑 盗む〉というのはどういうイメージなんですか?
「これは『手に入れる』とかっていうようなきらびやかなことじゃなくて、わたしたちが望んでいるのはそれぞれの、それぞれだけのことで。すごく変な言い方をすると『しょうもない』っていうか。宇宙から見た自分たちがちっぽけである、みたいなことと一緒で、たとえばこの曲で歌っている、夜、忍び込んでプールに金魚を放つぐらいの悪巧み? その延長線上にある夢を抱き続けているっていうか、そういうニュアンスで書いたんだと思います」
――うん。だから平たくいうと「夢を追いかけている」とか「理想を描く」とか、そういう言い方になるんだと思うんですけど、それを「盗む」「企む」っていう言葉を使うっていうのがすごく面白い。でもそのほうが にしなさんが追いかけているもの、思い描いていることに近いわけですよね。
「うん、そうですね。しょうもない悪巧みの延長で、ほしいものに一生懸命手を伸ばしている。それは今も変わらないと思います。たとえば好きな子に褒められたいとか、そういう気持ち。それに似た類です」
ーーあと、この曲もそうですけど、にしなさんって歌詞で空見上げたりとかしていることが多いですよね。
「ああ、空見上げがちです(笑)。好きなんですよね。なんか私、交差点とかも空抜けがいい交差点が好きで。私、丸い空をまだ見たことなくて、地平線の果てみたいな。みんな見たことないか。いびつな形しか見たことないじゃないですか。そこがすごい不思議っていうか、探してます、常に。360度空を見てみたいと思っていて。そういうのが好きなんです。人に尋ねたり、何かを見たりとか、歴史を振り返ったりっていうよりも、そういうことをしがち」
――だから、自分との会話なんでしょうね、空を見るというのは。
「はい。そんな気がします。私、脳内会話が結構多いというか、なんかぼーっとしているときほど会話してるんです。1回街歩いていて気づいたら1人で喋っているときがあって、自分で怖くなったんですけど(笑)」
――〈この先々に海は無くとも 誰も信じてはくれなくても〉とも書いていて。それぐらい、どうなるかはわからないという思いがあったんだと思うんです。でも実際には、にしなさんの音楽は多くの人に届いて、ワンマンライブでもたくさんのお客さんが集まって、という状況が今あるわけじゃないですか。その変化は今の にしなさんの音楽にどう影響を与えていますか?
「いや、でも、応援してくれる人がいてもいなくても、何を始めるにしても気持ちの部分では自分だけがいて、そこからすべてスタートで。自分が自分を信じられなくても、やり続けるには信じ続けなきゃいけないじゃないですか。その気持ちはずっと、どうなっても変わらなくて。だから環境が変わっていくことに対してその気持ちが変わっていくということはないんですけど、目の前に人が少しずつ増えてくれるたびに、自分自身のために音楽をやりたいっていう気持ちと一緒に、楽しんでもらいたいっていう気持ちだったり、少しでも日常の閉塞感から解き放たれる一瞬を自分が作り出せたらいいなっていう気持ちは強まっていくなあっていう気はします。曲を作るときもライブをするときも、自分だけのものなんだけど自分だけのものじゃなくなっていく感じがするし、そうしていきたいっていう気持ちが増えてきています」
――にしな の音楽には、やっぱり部屋で1人でギターを弾いてって歌っているっていう、その風景が焼き付いている感じがするんです。でもたとえば「FRIDAY KIDS CHINA TOWN」のような新しい曲はちょっと違うなと思うんですよね。あれは1人で弾き語りしているだけでは出てこないグルーヴやノリが曲になっている。
「確かに。でもあの曲も、歌詞を書く上で心配した部分とかはあったりしたんですけど、挑戦っていうほどの気持ちでもなくて。遊び半分みたいな感じで作っていった曲なんですよね」
――だから徐々にではあるし、行ったり来たりしながらなんだとは思いますけど、少しずつ変わってきてはいるんだよなあと。当たり前なんですけど。
「うん」
――『青藍遊泳』は〈ただ必死になって泳いでいく〉って終わるじゃないですか。当時は文字通り必死だったと思うし、今ももちろん必死なんだと思うんだけども、闇雲に泳いでる感じではなくなってきた? 自分が泳いでいる方向が見えてきた感覚はあったりします? あるいは、ちょっと泳ぎがうまくなったな、とか。
「どうなんだろうなあ。当時は闇雲だったけど、今も上手かどうかはわからない(笑)。常に周りに人がいて助けてくれて、進む方向を手助けしてくれるから成り立ってるけど、自分自身は変わらず変わらずワーッてバシャバシャしてる感じではあります」
――特にこの1年は本当にそうやって泳いできたって感じですよね、きっと。
「そうです。年齢で言うと、友達はみんな社会人1年目だったので、みんな必死に泳いでいたと思うんです。私も同じように、新しい環境の中で必死にバシャバシャしていたと思います。悩みも多かったし。でも、振り返ると病んでたなみたいなときはあるんですけど、今になって、なんか自分らしくなれたなあとも思います。もしかしたらずっと先に今を振り返ったときにも、今も苦しかったんだって思うかもしれないですけどね」
――そんな中でリリースされるのがセカンドアルバム『1999』です。まだ完成前なので具体的には話せないと思うんですけど、ファーストアルバムとは違う印象の作品になるでしょうね。
「うん。何が違うかは自分ではわからないし、前回も同じようなことを言っていたかもしれないですけど、にしなという……生物? それを多角的に見ていただける1枚になるなあっていう予感はしていますね。曲の生まれ年がみんな結構離れていたりもするから、自分自身が経てきた時間を感じるところもあるアルバムになるんじゃないかなって。『1999』というタイトルは1999年の『ノスタラダムスの大予言』から採ったんです。『明日世界が終わる』っていう状況になったときに、みんなどうやって過ごすんだろうなって思って。明日世界が終わると思って生きた方がいいって言われるけど、本当にそうやって生きるのって、無理じゃないですか。そういう日ってどんな気持ちになるんだろうって」
――なるほど。でももしかしたらそれに近い気持ちで、にしなさんは音楽をやってきたのかもしれないですよね。今やれることをやらないと後悔するぞっていう。曲を聴いていてもそれを感じるんですよ。今曲にしておかないと失われてしまう何かを一生懸命言葉とメロディにするタイプの人だなって。
「言われてみると確かに、たとえば『夜になって』とかはそういう思いで書いていました。やっぱり時間ってすごいから、気持ちも言葉も薄れていって忘れちゃうじゃないですか。それをちゃんと忘れない間に伝えたかったし、残したくて、考えたくて書いてた。振り返ってみるとそういうふうに曲を書いてきたんだなって思いますね」
――だから、セカンドアルバムもそうですし、そこから先出していく作品すべてがにしなのドキュメントになっていく。そういうアーティストだと思います。
「自分の人生を見せびらかしながらやってるって思ったら、相当ヤバいやつみたいですけど(笑)、でもそうなってしまう。不思議です。不思議な仕事に就いたなあと思います(笑)」
「『虎虎』は大阪と東京をやったんですけど、大阪は初ワンマンだったので緊張しました。キーボードの松本ジュンさんと一緒にステージに立つのも初めてだったりしたので、そういうドキドキ感もあったし。でも2回目のワンマンだし、よりお客さんと楽しむにはどうしたらいいんだろうみたいなことを考えて。どういうふうに見えるのか、ノルとなったら座っているより立ってもらったほうが楽しめるかも知れないね、じゃあどうやって立ってもらおうか、盛り上げていこうかみたいなことを考えながらの2回目だったので、うまくいかないことももちろんあったけど、得たものもあったし、メンバーと一緒に作るんだっていうこともすごく感じました」
――もともと弾き語りから始まったわけじゃないですか。それがバンドでやるようになって、楽曲的にもいろんな幅が広がっていく中で改めて弾き語りをやってみて、どういう気持ちでしたか?
「これだけで立てる自信っていうか。ギターを持てば成り立つ音楽なんだって自分に対して思えるのは自信に繋がりますよね。そういうものなのかなあという気がします」
――歌とギターだけでちゃんと成立する曲を作れてるんだ、みたいな。
「うん。そしてそれを好きだって言ってくれる人がいるんだっていうこと」
――ああいう形が にしな の原点というか、最初の姿で。そこからどんどん進化や変化をしてきて今があるわけですけど。そういう中で今回、その始まりの地点で作った「青藍遊泳」がリリースされるというのにも意味があるなと思うんです。この曲は にしなさんにとってはどういう曲なんですか?
「一番はすごい『自分自身の曲』っていうか。誰かの曲になるようにって書いたっていうよりも、自分自身のことを書いていってできあがった曲なんです。だから、書いたときから時間は経ってますけど、今でも『今書いた』って思えるぐらい、自分の曲だなって思う。だからこそ誰かにとってもそう思ってもらえるのかなあと思います。私、にしな としてデビューする前は、弾き語りをずっとやりつつ、同時にバンドやユニットもやっていたんです。でもこの先は1人でずっとやっていくって決めて。それでメンバーと一緒にやるラストライブがあったんですけど、そのライブの終わりのBGMでスタッフさんがユニコーンの『すばらしい日々』を流してくださったんです。その時は知らなかったんですけど、後で話したら『あの曲は にしな に贈ったんだよ』っていうことだったらしくて。それで、そうだったんだと思って歌詞を読んだら、あの曲の最後に〈君は僕を忘れるから そうすればもう すぐに君に会いに行ける〉っていう歌詞があるじゃないですか」
――うん。
「すごくいい曲だなって思ったのと同時に、この曲を贈ってもらった身として、お別れはすごく寂しいけど、みんなのことを忘れちゃうぐらい夢中になって目の前のことをやれる自分でいたいし、そうあるべきなんだなと思ったんですよね。それで書きました」
――1人でやるって決めたのは、何か理由なり決意なりがあったんですか?
「まあ、1人でやっていくっていうのはずっと軸としてあったんです。その枝わかれでたまたまいろんな形があって。だからいろいろやっている途中も、ずっと1人が軸ではあったんですけど、なんだろうなあ……気持ちとしては、ここから先自分に一番何が必要かなって思ったときに、にしな としてもっといい曲を書けたらいいし、もっといい歌を歌えたらいいなって思って。そこにすべてを注いでいきたいって思ったのが一番の理由かなって思います」
――なるほど。この曲って、それ以降に書かれた にしな の曲とは明らかに手触りが違いますよね。すごく素直に書いているというか。物語や世界観を描こうというものではなくて、素朴に出てきたものをそのままメロディと歌詞にしている感じがする。
「書いたときのことをしっかり覚えているわけではないんですけど、確かにすごく素直に気持ちを書いていたような気がします。悲しかったぶん……悲しいというか、たとえば卒業なんかもそうですけど、絶対その先もあるけど、その一瞬はすごく切なかったり、嬉しい気持ちも含まれた悲しさみたいなものがあるじゃないですか。その気持ちが大きかった分、進みたい気持ちも膨らんではいたという感じだったのかな」
――まさに「卒業」だったんだなと思うんですよね。〈門出の夜に忍び込んで 青いプール金魚を放とう〉という情景って、すごく青春的じゃないですか。
「そうですね」
――そういう日々を過ごして、仲間と一緒に音楽をやったというのは にしなさんにとって大きい?
「本当に遡れば、私が音楽始めた瞬間からみんな結構そばにいて。みんなの姿を見て私もやってきたんです。やりたいことを恥ずかしげもなくやっていいんだって思わせてくれたのがみんなだった。どう影響を受けたのかっていうのはうまく言えないですけど、音楽をやっている今があるのはみんながいてこそだというのはすごく思います。何かが欠けてたら、また違う今なのかもしれないなって」
――そういう曲を今回セカンドアルバムに入れるっていうのにはどんな意味合いがあると思いますか?
「でも、この曲ってファーストアルバムを出した直後ぐらいにレコーディングしているんです。だから2枚目に入れるぞっていう気持ちでやったっていうよりも、本当に自然な流れで、今回アルバムに入ることになったっていう感じなんですけど……意味があるとすれば、1枚目のアルバムもすごくありのままであったんですけど、1枚目を出してからここまでの期間に苦しいこともいろいろあって、前よりもありのままの自分を見てもらおうっていう気持ちがすごく高まったんです。『こう見られたい』とか『こう思ってほしい』ということよりも、自分は自分に素直でいて、そこから出てくるものを自分も楽しみにして、聴いてくれる人もそれを楽しみにしてくれたら嬉しいなっていう気持ちでやってこれた1年間だった。きっとこれからもいろいろあるけど、この自分が今は好きだし、ここからまっすぐ進めそうっていう気持ちは自分のどこかで感じているんです。そういう意味では2枚目に『青藍遊泳』が入るというのは、考えていたことじゃないけど、すごく自分にとっても意味をもたらしてくれるのかなって思ったりします」
――その気持ちの象徴みたいな曲ですよね。ちなみにこの曲で〈永遠に僕らは大人になれずに 夜空の星屑 盗む事ばかり企んでいる〉というフレーズが出てきますよね。独特な表現だなって思うんですけど、〈夜空の星屑 盗む〉というのはどういうイメージなんですか?
「これは『手に入れる』とかっていうようなきらびやかなことじゃなくて、わたしたちが望んでいるのはそれぞれの、それぞれだけのことで。すごく変な言い方をすると『しょうもない』っていうか。宇宙から見た自分たちがちっぽけである、みたいなことと一緒で、たとえばこの曲で歌っている、夜、忍び込んでプールに金魚を放つぐらいの悪巧み? その延長線上にある夢を抱き続けているっていうか、そういうニュアンスで書いたんだと思います」
――うん。だから平たくいうと「夢を追いかけている」とか「理想を描く」とか、そういう言い方になるんだと思うんですけど、それを「盗む」「企む」っていう言葉を使うっていうのがすごく面白い。でもそのほうが にしなさんが追いかけているもの、思い描いていることに近いわけですよね。
「うん、そうですね。しょうもない悪巧みの延長で、ほしいものに一生懸命手を伸ばしている。それは今も変わらないと思います。たとえば好きな子に褒められたいとか、そういう気持ち。それに似た類です」
ーーあと、この曲もそうですけど、にしなさんって歌詞で空見上げたりとかしていることが多いですよね。
「ああ、空見上げがちです(笑)。好きなんですよね。なんか私、交差点とかも空抜けがいい交差点が好きで。私、丸い空をまだ見たことなくて、地平線の果てみたいな。みんな見たことないか。いびつな形しか見たことないじゃないですか。そこがすごい不思議っていうか、探してます、常に。360度空を見てみたいと思っていて。そういうのが好きなんです。人に尋ねたり、何かを見たりとか、歴史を振り返ったりっていうよりも、そういうことをしがち」
――だから、自分との会話なんでしょうね、空を見るというのは。
「はい。そんな気がします。私、脳内会話が結構多いというか、なんかぼーっとしているときほど会話してるんです。1回街歩いていて気づいたら1人で喋っているときがあって、自分で怖くなったんですけど(笑)」
――〈この先々に海は無くとも 誰も信じてはくれなくても〉とも書いていて。それぐらい、どうなるかはわからないという思いがあったんだと思うんです。でも実際には、にしなさんの音楽は多くの人に届いて、ワンマンライブでもたくさんのお客さんが集まって、という状況が今あるわけじゃないですか。その変化は今の にしなさんの音楽にどう影響を与えていますか?
「いや、でも、応援してくれる人がいてもいなくても、何を始めるにしても気持ちの部分では自分だけがいて、そこからすべてスタートで。自分が自分を信じられなくても、やり続けるには信じ続けなきゃいけないじゃないですか。その気持ちはずっと、どうなっても変わらなくて。だから環境が変わっていくことに対してその気持ちが変わっていくということはないんですけど、目の前に人が少しずつ増えてくれるたびに、自分自身のために音楽をやりたいっていう気持ちと一緒に、楽しんでもらいたいっていう気持ちだったり、少しでも日常の閉塞感から解き放たれる一瞬を自分が作り出せたらいいなっていう気持ちは強まっていくなあっていう気はします。曲を作るときもライブをするときも、自分だけのものなんだけど自分だけのものじゃなくなっていく感じがするし、そうしていきたいっていう気持ちが増えてきています」
――にしな の音楽には、やっぱり部屋で1人でギターを弾いてって歌っているっていう、その風景が焼き付いている感じがするんです。でもたとえば「FRIDAY KIDS CHINA TOWN」のような新しい曲はちょっと違うなと思うんですよね。あれは1人で弾き語りしているだけでは出てこないグルーヴやノリが曲になっている。
「確かに。でもあの曲も、歌詞を書く上で心配した部分とかはあったりしたんですけど、挑戦っていうほどの気持ちでもなくて。遊び半分みたいな感じで作っていった曲なんですよね」
――だから徐々にではあるし、行ったり来たりしながらなんだとは思いますけど、少しずつ変わってきてはいるんだよなあと。当たり前なんですけど。
「うん」
――『青藍遊泳』は〈ただ必死になって泳いでいく〉って終わるじゃないですか。当時は文字通り必死だったと思うし、今ももちろん必死なんだと思うんだけども、闇雲に泳いでる感じではなくなってきた? 自分が泳いでいる方向が見えてきた感覚はあったりします? あるいは、ちょっと泳ぎがうまくなったな、とか。
「どうなんだろうなあ。当時は闇雲だったけど、今も上手かどうかはわからない(笑)。常に周りに人がいて助けてくれて、進む方向を手助けしてくれるから成り立ってるけど、自分自身は変わらず変わらずワーッてバシャバシャしてる感じではあります」
――特にこの1年は本当にそうやって泳いできたって感じですよね、きっと。
「そうです。年齢で言うと、友達はみんな社会人1年目だったので、みんな必死に泳いでいたと思うんです。私も同じように、新しい環境の中で必死にバシャバシャしていたと思います。悩みも多かったし。でも、振り返ると病んでたなみたいなときはあるんですけど、今になって、なんか自分らしくなれたなあとも思います。もしかしたらずっと先に今を振り返ったときにも、今も苦しかったんだって思うかもしれないですけどね」
――そんな中でリリースされるのがセカンドアルバム『1999』です。まだ完成前なので具体的には話せないと思うんですけど、ファーストアルバムとは違う印象の作品になるでしょうね。
「うん。何が違うかは自分ではわからないし、前回も同じようなことを言っていたかもしれないですけど、にしなという……生物? それを多角的に見ていただける1枚になるなあっていう予感はしていますね。曲の生まれ年がみんな結構離れていたりもするから、自分自身が経てきた時間を感じるところもあるアルバムになるんじゃないかなって。『1999』というタイトルは1999年の『ノスタラダムスの大予言』から採ったんです。『明日世界が終わる』っていう状況になったときに、みんなどうやって過ごすんだろうなって思って。明日世界が終わると思って生きた方がいいって言われるけど、本当にそうやって生きるのって、無理じゃないですか。そういう日ってどんな気持ちになるんだろうって」
――なるほど。でももしかしたらそれに近い気持ちで、にしなさんは音楽をやってきたのかもしれないですよね。今やれることをやらないと後悔するぞっていう。曲を聴いていてもそれを感じるんですよ。今曲にしておかないと失われてしまう何かを一生懸命言葉とメロディにするタイプの人だなって。
「言われてみると確かに、たとえば『夜になって』とかはそういう思いで書いていました。やっぱり時間ってすごいから、気持ちも言葉も薄れていって忘れちゃうじゃないですか。それをちゃんと忘れない間に伝えたかったし、残したくて、考えたくて書いてた。振り返ってみるとそういうふうに曲を書いてきたんだなって思いますね」
――だから、セカンドアルバムもそうですし、そこから先出していく作品すべてがにしなのドキュメントになっていく。そういうアーティストだと思います。
「自分の人生を見せびらかしながらやってるって思ったら、相当ヤバいやつみたいですけど(笑)、でもそうなってしまう。不思議です。不思議な仕事に就いたなあと思います(笑)」
文:小川智宏