NO WARNINGノー・ウォーニング
Profile
ベン・クック・・・ヴォーカル
マット・デロング・・・ギター
ジョーダン・ポスナー・・・ギター
ライアン・ギャベル・・・ベース
ジェシー・ラボヴィッツ・・・ドラム
『サファー・サヴァイヴ』・・・今、急激にシーンに飛び出してきたトロント出身のノー・ウォーニングのマシン・ショップ・レコーディングスからのデビュー・アルバムは、メロディーと混乱をミックスしたサウンドで、ハードコア界に新しい見地を見出している。
この輝かしい活動は、15歳のギタリストだったマット・デロングが90年代の終わり頃に、近所を駆けずり回り、彼のストレートなハードコア・バンドの夢を一緒に追ってくれるシンガーを探した事から始まった。そんな時、中学時代の友達だったベン・クックを見つけた。「俺は幾つかのパンク・バンドに参加してたんだ。」とベン。「でもハードコアはやったことなくて。でも"どうにでもなれ!マット、俺達はやるんだ!そしてベストになってやるんだ!"って言ったんだ。」
2002年、ノー・ウォーニングは初のフル・アルバム『イル・ブラッド』をリリースし、ツアーに出た。それにより忠実なファンがついた。しかし、こんなに盛り上がっている廻りとは裏腹に、バンドは新しい音楽的方向性を見出していた。「超退屈になったんだよ。全てが退屈になった。そして自分自身に"他に何が出来るだろう?"って問い掛けたんだ。」とベンは言う。「メロディーのたってる音楽が好きだった。でもアグレッシヴでエモーショナルでありながら、そのメロディーを俺達がやってた音楽に取り入れる方法が見つけられなかった。他のバンドも同じような試みをして、叫びながら歌ったりして、そのヒドイ音楽をスクリーモだとか、ハードコアって呼んでたけど、どれもこれも良くなくて、俺は聴くたびにガッカリしたよ。俺達だったら、どうにかして、メロディーとハードコアをうまく融合出来るって思ったんだ。」その理想を形にするために、1年間、ツアーをやめて、新しい音を研究した。
そして、4曲入りデモ・テープが認められ、LAのインディース・レーベルであるマシン・ショップ・レコーディングスと契約が交わされ、彼らはすぐにスタジオを押さえ、ロスからトロントへ、そしてまたロスへと移動した。その結果として生まれたのが『サファー・サヴァイヴ』だった。ハードコアとメロディックなソングライティングが、しっかりと融合したノー・ウォーニングの音がつまったアルバムだ。レコーディングも終了し、夏にはワープド・ツアー'04とザ・プロジェクト・レヴォルーション・ツアーにも参加したノー・ウォーニングは、音楽のルールを塗り替える所まで来ている。「このアルバムで、ゼロからやり直すみたいな気持ちなんだ。」とベンは認める。「音楽に対する姿勢を変えた訳じゃないんだ。それは何があっても変えられない。」
マット・デロング・・・ギター
ジョーダン・ポスナー・・・ギター
ライアン・ギャベル・・・ベース
ジェシー・ラボヴィッツ・・・ドラム
『サファー・サヴァイヴ』・・・今、急激にシーンに飛び出してきたトロント出身のノー・ウォーニングのマシン・ショップ・レコーディングスからのデビュー・アルバムは、メロディーと混乱をミックスしたサウンドで、ハードコア界に新しい見地を見出している。
この輝かしい活動は、15歳のギタリストだったマット・デロングが90年代の終わり頃に、近所を駆けずり回り、彼のストレートなハードコア・バンドの夢を一緒に追ってくれるシンガーを探した事から始まった。そんな時、中学時代の友達だったベン・クックを見つけた。「俺は幾つかのパンク・バンドに参加してたんだ。」とベン。「でもハードコアはやったことなくて。でも"どうにでもなれ!マット、俺達はやるんだ!そしてベストになってやるんだ!"って言ったんだ。」
2002年、ノー・ウォーニングは初のフル・アルバム『イル・ブラッド』をリリースし、ツアーに出た。それにより忠実なファンがついた。しかし、こんなに盛り上がっている廻りとは裏腹に、バンドは新しい音楽的方向性を見出していた。「超退屈になったんだよ。全てが退屈になった。そして自分自身に"他に何が出来るだろう?"って問い掛けたんだ。」とベンは言う。「メロディーのたってる音楽が好きだった。でもアグレッシヴでエモーショナルでありながら、そのメロディーを俺達がやってた音楽に取り入れる方法が見つけられなかった。他のバンドも同じような試みをして、叫びながら歌ったりして、そのヒドイ音楽をスクリーモだとか、ハードコアって呼んでたけど、どれもこれも良くなくて、俺は聴くたびにガッカリしたよ。俺達だったら、どうにかして、メロディーとハードコアをうまく融合出来るって思ったんだ。」その理想を形にするために、1年間、ツアーをやめて、新しい音を研究した。
そして、4曲入りデモ・テープが認められ、LAのインディース・レーベルであるマシン・ショップ・レコーディングスと契約が交わされ、彼らはすぐにスタジオを押さえ、ロスからトロントへ、そしてまたロスへと移動した。その結果として生まれたのが『サファー・サヴァイヴ』だった。ハードコアとメロディックなソングライティングが、しっかりと融合したノー・ウォーニングの音がつまったアルバムだ。レコーディングも終了し、夏にはワープド・ツアー'04とザ・プロジェクト・レヴォルーション・ツアーにも参加したノー・ウォーニングは、音楽のルールを塗り替える所まで来ている。「このアルバムで、ゼロからやり直すみたいな気持ちなんだ。」とベンは認める。「音楽に対する姿勢を変えた訳じゃないんだ。それは何があっても変えられない。」