Paul Simonポール・サイモン
Profile
1941年10月13日生まれ。小学生からの友人であるアート・ガーファンクルとデュオを組み、1957年にトム&ジェリーとして「ヘイ・スクールガール」のヒットを飛ばす。その後ソング・ライターとしての売り込みを続け、フォーク・ブームの中1964年再びアート・ガーファンクルと組み、アルバム『水曜の朝、午前3時』でサイモン&ガーファンクルとしてデビューを果たす。 アルバムは不発だったが、本人の知らない間に、その中の1曲「サウンド・オブ・サイレンス」にバックをつけてリリース、これが1966年全米1位となり、ポール・サイモンの終る事のない成功の歴史が始まる。
その後サイモン&ガーファンクルとして『サウンド・オブ・サイレンス』、『パセリ・セージ・ローズマリー & タイム』とアルバムを発表、1968年の『卒業』のサントラ盤とオリジナル・アルバム『ブックエンド』の世界的大ヒットにより、スーパースターの仲間入りを果たす。デュオとしてのラスト・アルバムとなった1970年発表の『明日に架ける橋』 は、その年のグラミー賞6部門を獲得、世界で1,000万枚を越える売上を記録し、サイモン&ガーファンクルはポップス界のトップ・アーティストとなった。 このアルバムを最後にグループは解散、ポール・サイモンはソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせた。
1972年にアルバム『ポール・サイモン』でソロ・デビュー、その後1973年に『ひとりごと』、1974年初のライブ・アルバム『ライヴ・ライミン』を発表、ソロ・キャリアを確固たるものとする。そして1975年発表の『時の流れに』はソロ・アーティストとして初の全米No.1を獲得、グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞し、ポール・サイモンは1970年に続いてソロ・アーティストとしても再び頂点を極めた。
その後1977年発表の『グレイテスト・ヒッツETC.』を最後に古巣のCBSからワーナー・ブラザーズへ移籍、移籍第1弾の『ワン・トリック・ポニー』は自身が主演する映画のサントラとなった。その後1981年の歴史的なセントラル・パークのサイモン&ガーファンクル・リユニオン・コンサート、1982~1983年のS&G世界ツアーを経て、1983年『ハーツ・アンド・ボーンズ』を発表したが、ヒットには至らず、結婚生活の破綻もあってスランプに陥る。 しかし南アフリカの強烈なリズムがポール・サイモンを再びポップス界の中心へといざなうことになる。1986年に発表した『グレイスランド』は世界中で大ヒット、ソロとして2枚目のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞、このアルバムは20世紀のロックのアルバムの中で最も重要なアルバムとなった。
1990年にはブラジル音楽を取り入れた『リズム・オブ・ザ・セインツ』を発表、再び新しいワールド・ミュージックを展開した。その後長期に渡ってブロードウェイ・ミュージカルに取り組み、1997年『ソングス・フロム・ザ・ケイプマン』をリリース、1998年初頭にニューヨークでミュージカル「ケープマン」をスタートさせたが、興行は失敗の憂き目を見る。 2000年再起作となる『ユー・アー・ザ・ワン』を発表、健在振りを示す。そして今年2006年通算10作目となる最新ソロ・アルバム『サプライズ』を発表、64歳にして更なる新境地のサウンドを我々に聴かせてくれた。 「サウンド・オブ・サイレンス」のヒットから数えて、実に40年が経っていた。1960年代からビートルズやボブ・ディランと共にロックの歴史を形作ってきたポール・サイモンは、21世紀を迎えた今日まで最高のソング・ライター、ミュージシャンとして存在し続けている。
その後サイモン&ガーファンクルとして『サウンド・オブ・サイレンス』、『パセリ・セージ・ローズマリー & タイム』とアルバムを発表、1968年の『卒業』のサントラ盤とオリジナル・アルバム『ブックエンド』の世界的大ヒットにより、スーパースターの仲間入りを果たす。デュオとしてのラスト・アルバムとなった1970年発表の『明日に架ける橋』 は、その年のグラミー賞6部門を獲得、世界で1,000万枚を越える売上を記録し、サイモン&ガーファンクルはポップス界のトップ・アーティストとなった。 このアルバムを最後にグループは解散、ポール・サイモンはソロ・アーティストとしてのキャリアをスタートさせた。
1972年にアルバム『ポール・サイモン』でソロ・デビュー、その後1973年に『ひとりごと』、1974年初のライブ・アルバム『ライヴ・ライミン』を発表、ソロ・キャリアを確固たるものとする。そして1975年発表の『時の流れに』はソロ・アーティストとして初の全米No.1を獲得、グラミー賞最優秀アルバム賞を受賞し、ポール・サイモンは1970年に続いてソロ・アーティストとしても再び頂点を極めた。
その後1977年発表の『グレイテスト・ヒッツETC.』を最後に古巣のCBSからワーナー・ブラザーズへ移籍、移籍第1弾の『ワン・トリック・ポニー』は自身が主演する映画のサントラとなった。その後1981年の歴史的なセントラル・パークのサイモン&ガーファンクル・リユニオン・コンサート、1982~1983年のS&G世界ツアーを経て、1983年『ハーツ・アンド・ボーンズ』を発表したが、ヒットには至らず、結婚生活の破綻もあってスランプに陥る。 しかし南アフリカの強烈なリズムがポール・サイモンを再びポップス界の中心へといざなうことになる。1986年に発表した『グレイスランド』は世界中で大ヒット、ソロとして2枚目のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞、このアルバムは20世紀のロックのアルバムの中で最も重要なアルバムとなった。
1990年にはブラジル音楽を取り入れた『リズム・オブ・ザ・セインツ』を発表、再び新しいワールド・ミュージックを展開した。その後長期に渡ってブロードウェイ・ミュージカルに取り組み、1997年『ソングス・フロム・ザ・ケイプマン』をリリース、1998年初頭にニューヨークでミュージカル「ケープマン」をスタートさせたが、興行は失敗の憂き目を見る。 2000年再起作となる『ユー・アー・ザ・ワン』を発表、健在振りを示す。そして今年2006年通算10作目となる最新ソロ・アルバム『サプライズ』を発表、64歳にして更なる新境地のサウンドを我々に聴かせてくれた。 「サウンド・オブ・サイレンス」のヒットから数えて、実に40年が経っていた。1960年代からビートルズやボブ・ディランと共にロックの歴史を形作ってきたポール・サイモンは、21世紀を迎えた今日まで最高のソング・ライター、ミュージシャンとして存在し続けている。