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プリンス&ザ・レヴォリューションが1985年に発表した名作『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のリリース40周年記念作品、2枚組CDデラックス・エディションの日本盤が12月10日に発売決定!
2025.10.31
歴史上もっとも重要で、強い影響力を持つアーティスト、プリンス。彼がプリンス&ザ・レヴォリューション名義で1985年に発表した名作『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』が、リリースから40周年を迎える。この発売40周年を記念して、アルバムの最新リマスター音源や数々のリミックスやエクステンデッド・ミックスなどを追加収録した『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ:デラックス・エディション』がリリースされることが決定した。海外では2枚組CDや3枚組アナログ盤に加え、アルバムの最新リマスター音源を収録した通常盤CDやカラー・アナログ盤という形態で11月21日にリリースされるのだが、日本盤2枚組CDエディションのリリースも12月10日に決定、日本盤は海外から輸入した特殊仕様のパッケージに国内プレスのSHM-CDを封入した、日本限定SHM-CD仕様作品としてリリースされることとなった。


▼『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ:デラックス・エディション』
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1982年発表の『1999』、1984年発表の『パープル・レイン』の世界的大ヒットによってさらなる高みへと登っていったプリンスが、その地位に満足することなくその圧巻の天才ぶりを遺憾なく発揮した作品が、プリンス&ザ・レヴォリューション名義で1985年にリリースしたこの名作『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』だ。日本盤としてもリリースされる、今作の発売40周年を記念した2枚組CD『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ:デラックス・エディション』には、オリジナル・アルバムの名手バーニー・グランドマンによる最新リマスター音源に加え、「アメリカ」の約22分にも及ぶ12インチ・ヴァージョンや「ペイズリー・パーク」のリミックス音源、「フォー・ザ・ティアーズ・イン・ユア・アイズ」の『ウィ・アー・ザ・ワールド』ヴァージョンといった現在公開されている音源を始め、「ガール」や「ハロー」、「シーズ・オールウェイズ・イン・マイ・ヘア」といったアルバム未収録曲の様々なヴァージョンが収録されている。なお、「アメリカ」の12インチ・ヴァージョンがCDでリリースされるのは今回が初となる。
また、長年にわたりプリンスのオーディオ・エンジニアを務めてきた、グラミー賞受賞歴を誇るエンジニア、クリス・ジェームスによって、オリジナルのマルチトラック・マスターから細心の注意を払いながらリミックスされた、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のドルビーアトモス音源も、海外の発売日である11月21日に配信されることも決定している。
プリンス&ザ・レヴォリューション名義で1985年4月22日にリリースされたこの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は、時代を定義づける名作となった『パープル・レイン』に伴うツアーの幕が閉じられてからわずか15日後にリリースされた作品だ。現代ではよく行われるアルバムのサプライズ・リリースだが、当時このようなリリースは考えられないことであり、それを実現できたのは、当時はプリンスだけだった。
1984年の『パープル・レイン』は、ポップスのスターダムというものの常識を覆してしまうほどの作品だった。当時のレーベルは、そのアルバムに伴うツアーを延長し、さらなる利益を上げようと躍起になっていたのだが、プリンスはそのプランには背を向け、その代わりにツアーが終了した直後にアルバム・リリースをする。それがこの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』だ。サイケデリックであり、内向的な雰囲気を持つこのアルバムは、レーベルにとって不意打ちとなったのだが、プリンスの狙いは、彼が生み出す楽曲を途切れることのない一つの物語として世界に体験してもらうことだったという。リード・シングルもプロモーション期間も、大々的な広告展開も、彼には不要だったのだ。
今作からのヒット曲「ラズベリー・ベレー」が全米のラジオで流れ始めたのは、実際アルバムがリリースされてから1ヵ月後のことだった。80年代に活動するアーティストにとってこの期間は永遠にも感じられるような長さだったのだが、その後の今作への反応やセールス、チャートの動き、全てでプリンスの意図、そして正当性が証明されることとなった。ツアーもなく、ビデオもなく、最新のプロモーション用の写真さえもない状態でリリースされた今作は全米アルバム・チャートの首位を獲得、シングル・チャートTop 10にランクインするシングルを複数生み出し、200万枚以上の売り上げを記録。プリンスは業界のルールに逆らっただけでなく、そんなルールなど必要ないことを証明したのだ。
今作からは最終的に4枚のシングルがリリースされた。アルバム発売後に公開された、ジャケットに描かれた雲や空をモチーフにしたスーツを着たプリンスをフィーチャーした、壮大な万華鏡のようなビデオも話題となった「ラズベリー・ベレー」や、海外のみでシングル・カットされた「ペイズリー・パーク」、「ポップ・ライフ」、「アメリカ」の4曲だ。今作に収録されている楽曲の大部分は1984年末までに完成しており、当時行っていたPurple Rain Tourではいくつかの楽曲が先行で披露されていた。「ラズベリー・ベレー」は1982年に作られた楽曲で、1984年9月に再レコーディングされた作品だ。また、「ポップ・ライフ」はこのアルバムのために書き上げられた最初の新曲であり、最後にこのアルバムに追加されることとなった楽曲は「テンプテイション」だった。
「多分僕がやってきた中で一番賢い動きだったのは、『パープル・レイン』を作り上げた直後に『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』をレコーディングしたことだろうね」 ─ プリンス、1985年9月
今もなおアメリカを代表するミュージシャン/歌手/ソングライター/パフォーマー/マルチ・インストゥルメンタリスト/プロデューサーとしてその存在感と影響力を持ち続ける重要アーティスト、プリンス。彼が発表してきた累計アルバム・セールスは全世界で1億5,000枚を超え、7度のグラミー賞や7度のブリット・アワード受賞を始め、1985年のアカデミー賞や2006年のゴールデン・グローブ賞など、数えきれないほどの音楽賞を受賞している。2004年にはロックの殿堂入りを果たし、他にもグラミーの殿堂や英国音楽の殿堂、リズム&ブルース音楽の殿堂などにもその名を連ねる、まさに唯一無二の存在感を放つ史上最大のアイコン/至宝のアーティストだ。


▼『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ:デラックス・エディション』
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1982年発表の『1999』、1984年発表の『パープル・レイン』の世界的大ヒットによってさらなる高みへと登っていったプリンスが、その地位に満足することなくその圧巻の天才ぶりを遺憾なく発揮した作品が、プリンス&ザ・レヴォリューション名義で1985年にリリースしたこの名作『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』だ。日本盤としてもリリースされる、今作の発売40周年を記念した2枚組CD『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ:デラックス・エディション』には、オリジナル・アルバムの名手バーニー・グランドマンによる最新リマスター音源に加え、「アメリカ」の約22分にも及ぶ12インチ・ヴァージョンや「ペイズリー・パーク」のリミックス音源、「フォー・ザ・ティアーズ・イン・ユア・アイズ」の『ウィ・アー・ザ・ワールド』ヴァージョンといった現在公開されている音源を始め、「ガール」や「ハロー」、「シーズ・オールウェイズ・イン・マイ・ヘア」といったアルバム未収録曲の様々なヴァージョンが収録されている。なお、「アメリカ」の12インチ・ヴァージョンがCDでリリースされるのは今回が初となる。
また、長年にわたりプリンスのオーディオ・エンジニアを務めてきた、グラミー賞受賞歴を誇るエンジニア、クリス・ジェームスによって、オリジナルのマルチトラック・マスターから細心の注意を払いながらリミックスされた、『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』のドルビーアトモス音源も、海外の発売日である11月21日に配信されることも決定している。
プリンス&ザ・レヴォリューション名義で1985年4月22日にリリースされたこの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』は、時代を定義づける名作となった『パープル・レイン』に伴うツアーの幕が閉じられてからわずか15日後にリリースされた作品だ。現代ではよく行われるアルバムのサプライズ・リリースだが、当時このようなリリースは考えられないことであり、それを実現できたのは、当時はプリンスだけだった。
1984年の『パープル・レイン』は、ポップスのスターダムというものの常識を覆してしまうほどの作品だった。当時のレーベルは、そのアルバムに伴うツアーを延長し、さらなる利益を上げようと躍起になっていたのだが、プリンスはそのプランには背を向け、その代わりにツアーが終了した直後にアルバム・リリースをする。それがこの『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』だ。サイケデリックであり、内向的な雰囲気を持つこのアルバムは、レーベルにとって不意打ちとなったのだが、プリンスの狙いは、彼が生み出す楽曲を途切れることのない一つの物語として世界に体験してもらうことだったという。リード・シングルもプロモーション期間も、大々的な広告展開も、彼には不要だったのだ。
今作からのヒット曲「ラズベリー・ベレー」が全米のラジオで流れ始めたのは、実際アルバムがリリースされてから1ヵ月後のことだった。80年代に活動するアーティストにとってこの期間は永遠にも感じられるような長さだったのだが、その後の今作への反応やセールス、チャートの動き、全てでプリンスの意図、そして正当性が証明されることとなった。ツアーもなく、ビデオもなく、最新のプロモーション用の写真さえもない状態でリリースされた今作は全米アルバム・チャートの首位を獲得、シングル・チャートTop 10にランクインするシングルを複数生み出し、200万枚以上の売り上げを記録。プリンスは業界のルールに逆らっただけでなく、そんなルールなど必要ないことを証明したのだ。
今作からは最終的に4枚のシングルがリリースされた。アルバム発売後に公開された、ジャケットに描かれた雲や空をモチーフにしたスーツを着たプリンスをフィーチャーした、壮大な万華鏡のようなビデオも話題となった「ラズベリー・ベレー」や、海外のみでシングル・カットされた「ペイズリー・パーク」、「ポップ・ライフ」、「アメリカ」の4曲だ。今作に収録されている楽曲の大部分は1984年末までに完成しており、当時行っていたPurple Rain Tourではいくつかの楽曲が先行で披露されていた。「ラズベリー・ベレー」は1982年に作られた楽曲で、1984年9月に再レコーディングされた作品だ。また、「ポップ・ライフ」はこのアルバムのために書き上げられた最初の新曲であり、最後にこのアルバムに追加されることとなった楽曲は「テンプテイション」だった。
「多分僕がやってきた中で一番賢い動きだったのは、『パープル・レイン』を作り上げた直後に『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』をレコーディングしたことだろうね」 ─ プリンス、1985年9月
今もなおアメリカを代表するミュージシャン/歌手/ソングライター/パフォーマー/マルチ・インストゥルメンタリスト/プロデューサーとしてその存在感と影響力を持ち続ける重要アーティスト、プリンス。彼が発表してきた累計アルバム・セールスは全世界で1億5,000枚を超え、7度のグラミー賞や7度のブリット・アワード受賞を始め、1985年のアカデミー賞や2006年のゴールデン・グローブ賞など、数えきれないほどの音楽賞を受賞している。2004年にはロックの殿堂入りを果たし、他にもグラミーの殿堂や英国音楽の殿堂、リズム&ブルース音楽の殿堂などにもその名を連ねる、まさに唯一無二の存在感を放つ史上最大のアイコン/至宝のアーティストだ。




