朱里エイコ
Profile
1948年、田辺信一(歌手:音山神一)、舞踏家である朱里みさをの間で長女として生まれる。
1964年、16歳の若さで単身渡米し、その流暢な英語で現地でネイティヴにコミュニケーションをとり、その圧倒的にパンチのある歌唱、ダイナミックなアクションからUSでは“リトル・ダイナマイト”と呼ばれた、朱里エイコ。国内においても「北国行きで」の大ヒットを始め、二度の紅白歌合戦出場を果たした。その後も、海外の著名アーティストとのコラボレーションを含め、国内外を問わず活躍を続けたものの、レコード売り上げの低迷、実力本位で活動ができないなどのジレンマが生じ、やがて表舞台から遠ざかり、残念ながら2004年に不運の死を遂げた。
1964年、16歳の若さで単身渡米し、その流暢な英語で現地でネイティヴにコミュニケーションをとり、その圧倒的にパンチのある歌唱、ダイナミックなアクションからUSでは“リトル・ダイナマイト”と呼ばれた、朱里エイコ。国内においても「北国行きで」の大ヒットを始め、二度の紅白歌合戦出場を果たした。その後も、海外の著名アーティストとのコラボレーションを含め、国内外を問わず活躍を続けたものの、レコード売り上げの低迷、実力本位で活動ができないなどのジレンマが生じ、やがて表舞台から遠ざかり、残念ながら2004年に不運の死を遂げた。