Silverchairシルバーチェアー
Profile
"(メンバー)
Daniel Johns (Vo., G)
Ben Gillies (Drums)
Chris Joannou (Bass)
(バイオグラフィー)
1995年、アルバム「フロッグストンプ」で鮮烈なデビューを飾ったオーストラリア出身の3人組。 全員1979年生まれ。まだ20代前半だが既にアルバムを3枚(プラス、ベスト盤1枚)をリリース。ニルヴァーナやパール・ジャムに強く影響された彼らの音楽性、そしてデビュー当時全員15歳というメンバーの若さも手伝って、デビュー・アルバム「フロッグストンプ」は地元オーストラリアだけでなく、アメリカ(マルチ・プラチナ・アルバム獲得)、イギリス、そしてここ日本でも大ヒットとなり、世界全体で250万枚ものセールスを記録した。また、当時学生だった彼らは学業の合間を縫いながら精力的ツアーを行い、RHCPのオープニング・アクトとして全米を回っただけでなく、96年夏には初来日公演も果たした(東京公演会場はリキッド・ルーム)。同じオーストラリア出身の大、大先輩、AC/DCのアンガス・ヤングのように、白シャツにネクタイ(でも半ズボンではなく、ジーンズ)という制服ファッションにSGギターというダニエルの姿は記憶に新しい。
1997年始めにセカンド・アルバム「フリーク・ショウ」をリリース。デビュー・アルバムほどではないにせよ、今作も世界的な注目をあつめ、"Freak"がオーストラリアや全米で大ヒットとなっただけでなく、世界中で150万枚の売上を記録した。(全米ではゴールド・ディスク獲得)
ようやくメンバー全員高校を卒業し、音楽に100%集中できる環境となった1999年、サード・アルバム「ネオン・ボールルーム」をリリース。より実験的に、そして音楽的な成長を見せたこの作品は、ヨーロッパ等で高く評価され、結果、全世界の売上としてはデビュー・アルバムに次ぐセールスを上げることになる。また、アルバム中の収録曲""Emotion Sickness""は映画「シャイン」のモデルでもあるピアニスト、David Helfgottの演奏をフィーチャーし、話題を集めた。また、自由にツアーに出れる身分となった彼らは、1999年のほとんどを全米ツアーに費やし、RHCPやブリンク182のオープニングを務めたほか、英国のレディング・フェスティバル等にも出演を果たした。
ソニーとの契約が終了し、充電期間に入っていた彼らだが、2000年終わりに、新たにAtlanticと契約を結んだことが発表され、その年の大晦日にはオーストラリアの Fall's Festivalでソールド・アウト・ギグを行ったほか、2001年1月には有名なロックの一大イベント、ロック・イン・リオに登場を果たす。
2001年の6月から、プロデューサーにDavid Botrill(ピーター・ゲイブリエル、トゥール、キング・クリムゾン)を迎え、シルヴァーチェアは待望のニュー・アルバムの制作に取りかかる。今作の目玉としては、ビーチ・ボーイズやU2との共演で広く知られる、Van Dyke Parksがアレンジで参加していることが上げられる。
既にオーストラリアでリリースされているこの作品、オーストラリアのアルバム・チャートで初登場1位となっただけでなく、メディアからも好評を博している。
Daniel Johns (Vo., G)
Ben Gillies (Drums)
Chris Joannou (Bass)
(バイオグラフィー)
1995年、アルバム「フロッグストンプ」で鮮烈なデビューを飾ったオーストラリア出身の3人組。 全員1979年生まれ。まだ20代前半だが既にアルバムを3枚(プラス、ベスト盤1枚)をリリース。ニルヴァーナやパール・ジャムに強く影響された彼らの音楽性、そしてデビュー当時全員15歳というメンバーの若さも手伝って、デビュー・アルバム「フロッグストンプ」は地元オーストラリアだけでなく、アメリカ(マルチ・プラチナ・アルバム獲得)、イギリス、そしてここ日本でも大ヒットとなり、世界全体で250万枚ものセールスを記録した。また、当時学生だった彼らは学業の合間を縫いながら精力的ツアーを行い、RHCPのオープニング・アクトとして全米を回っただけでなく、96年夏には初来日公演も果たした(東京公演会場はリキッド・ルーム)。同じオーストラリア出身の大、大先輩、AC/DCのアンガス・ヤングのように、白シャツにネクタイ(でも半ズボンではなく、ジーンズ)という制服ファッションにSGギターというダニエルの姿は記憶に新しい。
1997年始めにセカンド・アルバム「フリーク・ショウ」をリリース。デビュー・アルバムほどではないにせよ、今作も世界的な注目をあつめ、"Freak"がオーストラリアや全米で大ヒットとなっただけでなく、世界中で150万枚の売上を記録した。(全米ではゴールド・ディスク獲得)
ようやくメンバー全員高校を卒業し、音楽に100%集中できる環境となった1999年、サード・アルバム「ネオン・ボールルーム」をリリース。より実験的に、そして音楽的な成長を見せたこの作品は、ヨーロッパ等で高く評価され、結果、全世界の売上としてはデビュー・アルバムに次ぐセールスを上げることになる。また、アルバム中の収録曲""Emotion Sickness""は映画「シャイン」のモデルでもあるピアニスト、David Helfgottの演奏をフィーチャーし、話題を集めた。また、自由にツアーに出れる身分となった彼らは、1999年のほとんどを全米ツアーに費やし、RHCPやブリンク182のオープニングを務めたほか、英国のレディング・フェスティバル等にも出演を果たした。
ソニーとの契約が終了し、充電期間に入っていた彼らだが、2000年終わりに、新たにAtlanticと契約を結んだことが発表され、その年の大晦日にはオーストラリアの Fall's Festivalでソールド・アウト・ギグを行ったほか、2001年1月には有名なロックの一大イベント、ロック・イン・リオに登場を果たす。
2001年の6月から、プロデューサーにDavid Botrill(ピーター・ゲイブリエル、トゥール、キング・クリムゾン)を迎え、シルヴァーチェアは待望のニュー・アルバムの制作に取りかかる。今作の目玉としては、ビーチ・ボーイズやU2との共演で広く知られる、Van Dyke Parksがアレンジで参加していることが上げられる。
既にオーストラリアでリリースされているこの作品、オーストラリアのアルバム・チャートで初登場1位となっただけでなく、メディアからも好評を博している。