渡辺貞夫
Profile
1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。
日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。
1983年発表の、エレクトラ・レーベル移籍第1弾アルバム『フィル・アップ・ザ・ナイト』は米国の専門誌『ラジオ&レコード』誌のジャズチャートにおいて堂々の1位を獲得。続く'84年発表の『ランデブー』はビルボード・ジャズチャート2位を記録するなど、世界最高峰のメンバーをバックに従えて本格的な世界進出を果たした。
さらに、続く'85年の『マイシャ』では初のセルフ・プロデュースという手法をとってさらなる新境地に足を踏み出した。
またこれまでに、写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。
2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱した。
1995年からはじめた子供達へのリズム教育も各方面で話題を呼び、現在では国境を越えて世界中の子供達に音楽の楽しさを伝えている。
現在に至るまで、音楽に取り組む熱心さ、前進する姿勢は変わることなく、現在も国内外を問わず自身のコンサート活動等を積極的に展開しており、世界中のナベサダファンを魅了し続けている。
日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。
1983年発表の、エレクトラ・レーベル移籍第1弾アルバム『フィル・アップ・ザ・ナイト』は米国の専門誌『ラジオ&レコード』誌のジャズチャートにおいて堂々の1位を獲得。続く'84年発表の『ランデブー』はビルボード・ジャズチャート2位を記録するなど、世界最高峰のメンバーをバックに従えて本格的な世界進出を果たした。
さらに、続く'85年の『マイシャ』では初のセルフ・プロデュースという手法をとってさらなる新境地に足を踏み出した。
またこれまでに、写真家としての才能も認められ6冊の写真集を出版。
2005年愛知万博では政府出展事業の総合監督を務め、音楽を通して世界平和のメッセージを提唱した。
1995年からはじめた子供達へのリズム教育も各方面で話題を呼び、現在では国境を越えて世界中の子供達に音楽の楽しさを伝えている。
現在に至るまで、音楽に取り組む熱心さ、前進する姿勢は変わることなく、現在も国内外を問わず自身のコンサート活動等を積極的に展開しており、世界中のナベサダファンを魅了し続けている。