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ニューアルバム『健全な社会』、初のLIVE DVD『日本武道館「一本」』がいよいよ明日発売! オフィシャルインタビューを公開!
2020.5.19
yonigeが明日5月20日、ニューアルバム『健全な社会』、初のLIVE DVD『日本武道館「一本」』を同時リリースする。フルアルバムのリリースは、メジャーデビュー作『girls like girls』以来2年8ヶ月ぶりだ。
今のyonigeは、分かりやすいフックのある言葉選びや、鋭さが前面に出たサウンドからは少し距離を取ったところにいる。『健全な社会』は、ドラマなど起こらない平熱の生活を描いた作品だ。「誰もが人生の主人公です」という常套句に何だか乗り切れないあなたの内側に、毒のように、あるいは薬のように、じんわりと沁み込んでいくことになるだろう。
メンバーの牛丸ありさ(Vocal/Guitar)、ごっきん(Bass/Chorus)は、yonigeの今をどう見ているのだろうか。改めて言葉にしてもらった。
yonige、2年8ヶ月ぶりのフルアルバムを発売
「 “悲劇はないのに何となく悲しい”を描きたかった」
-『健全な社会』、改めてどんなアルバムになったと感じてますか?
牛丸:今回は、特別何もないアルバムですね。ドラマティックなことがだんだん興味なくなってきて、「何にもない」ということをどうやって書くかっていう方向に変わってきています。
-『HOUSE』(2018年10月リリース)のときに「以前はキャッチ―な曲を作らなきゃいけないと思っていた」「そういうところから解放された」という話をされていましたが、引き続きそのモードですか?
牛丸:そうですね。『HOUSE』でそれに挑戦して、今回で固めたみたいなイメージです。最近、羞恥心が大きくなってきて、「この言葉は使いたくない」っていう言葉がめちゃくちゃ多くなってきちゃったんですよ。
まず、恋愛の曲は書きたくないんです。昔の曲は昔の曲でいい曲だなと思うんですけど、今の自分にはああいう曲はちょっと書けないなって思ってて。だから、自分が恥ずかしくない範囲で如何に平坦なことを歌詞に書けるかっていうところをめちゃくちゃ考えながら今はやってます。
-そもそも最初に「キャッチ―な曲を作らなきゃ」と思っていたのはどうしてなんでしょうね。人から評価されたいという欲求からですか?
牛丸:そうですね。評価されたかったし、分かりやすく売れたかったし、「そうしないとごはん食べられなくなる」「だからこのやり方しかないんだ」とも思ってました。特に「アボカド」(2015年8月リリース『Coming Spring』収録曲)や「さよならプリズナー」(2017年4月リリース『Neyagawa City Pop』収録曲)の時期は「売れたい」っていう気持ちが強かったですね。
ただ、「アボカド」は適当に書いた曲だからこそいいんだろうなっていうことは自分でも理解してるんですよ。「アボカド」は、スタジオに入って、何となく演奏をしてみて、「こんな歌詞どう?」「アボカド投げつけたことってあるよな?」っていう話をしながらその場でできた曲で。だけどそういうノリって、若いときの、結成間もない頃だからこそできたことなんです。
だから、あれはあれでいい曲なんですけど、いろいろと難しいことも考えるようになった今、この歳で同じようなタイプの曲を作れるかって言ったらちょっと難しくて。それで新しい戦い方、バンドのやり方を考えていかなきゃいけないなと思うようになりました。
-そう考え始めたのはいつ頃でしたか?
牛丸:やっぱりメジャーデビューしてからですかね。私は「王道に売れたい」と思っていたので、メジャーデビューするということは、その夢に一歩近づいたことになるじゃないですか。だけど、フルアルバム(2017年9月リリースの『girls like girls』)を1枚作ったところで、自分と曲がどんどん乖離していく感じがあったというか。制作期間中あまり楽しくなかったし、「あれ、こんなことやりたかったんだっけ?」って思うようになったんですね。
それに、そういうことを考えながら書いた曲って、ライブでやっても楽しくないんですよ。自分の気持ちよさじゃなくて、人が聴いたときにどう思うかっていうことを重視して書いてるから、後々その曲自体を好きじゃなくなっちゃうというか。でも、バンドを続けていくには、まず自分が楽しまないといけないから、これはいけないなって思って。
そのときに、自分、夢見てたわりには、こういうやり方が性に合ってなかったんだなって気づきました。
-自分には向いてないと気づいて、やり方を変えるときに葛藤はありましたか?
牛丸:ありました。ちょっとの変化ぐらいだったら(リスナーから)「面白い」「楽しい」って思ってもらえるかもしれないけど、結構大きな方向転換だから、それによってファンがいなくなることも、ライブのチケットやCDが売れなくなることも全然有り得るなあと思って。
だけど……『HOUSE』の制作をしていた頃に、すごく尊敬できる人に出会ったんですね。そもそも私が「平凡を描きたい」と思うようになったのもその人の影響なんですけど、迷ったときにはその人からもらった言葉を思い出して、「これで大丈夫」って自分に言い聞かせて。実際、出来上がった曲はすごくよかったし、そっちの方が楽しく曲を書けるっていう
ことが分かったので、だんだん「このやり方で大丈夫なんだ」って思えるようになっていきました。
-そういう牛丸さんの変化をごっきんさんはどう見てましたか?
ごっきん:やっぱり変わってきていることは感じてましたね。昔の曲の場合、牛丸の書いた歌詞を読むと、そのときの事が明らかに浮かぶんですよ。ああいう事件がこういう曲になった、っていうのが分かるというか。だからずっと「この人(牛丸)はバンドをやってる間、大きな不幸の渦の真ん中にいないと作品を作れないのだろうか」「だとしたら、それは本当に大変なことだな」って思ってたんですけど、今の曲の書き方は全然そうじゃないですよね。
あと、牛丸も言ったように、分かりやすく売れる曲ではなくなってきたなあとも思ってました。バンドには2つのタイプがあると思うんですよ。ひとつは、リスナーの期待に応え続けるバンド。もうひとつは、その時々の自分たちの感性や趣味に従いながら曲を書いて、変化していくことによって、世間の求めるバンド像からはかけ離れていくバンド。
それで言うとyonigeは後者で。別に前者のバンドを否定してるわけではないんですけど、私はこれでよかったなあと思ってます。牛丸が今思うこと、歳を経たからこその感性をそのまま歌詞に書ける人でよかったなあと。
今、牛丸が持ってきた曲を聴いたときも、実際に合わせてみたときも、バンドをやり始めた時期ぐらいの無敵状態になれてるんですよ。自分らが一番強くてカッコいいんだ、みたいな。そういう曲が揃ってるから、不安じゃなかったですね。仮にこれで(ファンが)いなくなってしまっても、まあしょうがないかって思いました。
-その変化のひとつが恋愛ソングばかりは書かないこと……というよりかは「恋愛ソングを書くぞ」という意図にも「恋愛ソングは書かないぞ」という意図にも縛られずに曲を書くこと、ですかね?
牛丸:そうですね。ここが難しいところなんですけど、「恋愛ソングは書かないぞ」って思いながらやってるわけでもないというか。自然に恋愛の曲が出来たらそれはそれでいいと思ってます。ただ、今は、恋愛の曲を書こうと思っても「恥ずっ」みたいな感情が生まれちゃうんですよね。
-「恥ずっ」?
牛丸:何て言うんだろう……悦に入ってる感じ? これは私の書き方が悪いからかもしれないんですけど、恋愛の曲を書くと、自分が被害者みたいになっちゃうんですよね。悲劇のヒロインというか。
-確かに、自分の恋愛経験を曲にする時点で必然的に曲の主人公にはなっちゃいますよね。
牛丸:そうなんですよ。その「私が主人公です」みたいな感じがだんだん恥ずかしくなってきて。今回に関しては「これは私のことを書いた曲です」って明確に言える曲がなくなりました。
-「あかるいみらい」のAメロは特に象徴的ですよね。〈だれも気にしない、町の掲示板/だれも知らない、道で眠る人/いなくなったら誰かがいつか、懐かしく思い出すだろう〉というフレーズからは誰の匂いも感じないというか。明らかに「私が主人公です」という温度感ではない。
牛丸:そうですね。歌詞を書く作業に一番じっくり向き合ったのが「あかるいみらい」だったと思います。「明確に悲劇があったわけじゃないのに何となく悲しい」みたいな微妙なニュアンスのところに行きたくて、今回一番苦労しました。締め切りまでの1週間、この曲の歌詞のことを毎日考えてましたね。
私、歌詞を書くとおなかが減るんですけど、その1週間の間、UberEatsを頼んで、マクドナルドのセットとか、クレープとか、うどん450gとか……とにかくずっと爆食いしてたんですよ。だから「絶対太ったな」って思ってたんですけど、終わってから体重計に乗ったら、3キロ減ってて。それほどのカロリーを消費するくらい、苦労しましたね(笑)。
-(笑)。このアルバムでは「日常はそこまでドラマティックではない」「誰もが主人公というわけではない」ということが唄われていて。その平熱さを歌詞に落とし込むのに苦戦していたんですかね?
牛丸:うん、そうですね。その微妙なニュアンスを曲にしたかったんです。
-でもyonigeがそういう作品を出すことってちょっと勇気の要ることだなと思ってて。yonigeもこれまで対バンしてきたような、ライブバンドと言われるような人たちって、基本的にMCが熱いし、曲に関しても「あなたが主人公です」「唯一無二の存在なんです」というメッセージを発信するバンドが多いじゃないですか。そことは逆に行きましたよね。
牛丸:確かにバンドを始めた頃は、そういう熱いバンドに憧れてたし、私もそうなりたいなって思ってました。だけど、ライブの回数を重ねるごとに「これは私のやることじゃないなあ」っていうことが分かってきたんですよね。正直昔は自分でもMCしながら「何言うてんの?」みたいに思ってたことがあって。
ごっきん:ははは! それ言って大丈夫?(笑)
牛丸:(笑)あれって、やっていい人とやっちゃダメな人がいるんですよ。
-その違いは?
牛丸:MCや曲のなかで発する言葉が、ちゃんと自分のなかで消化して出てきた言葉なのか、っていうことですね。だから結局、私がそれをやっても他のバンドの真似になってしまって、成り立たなかったんです。
そこから外れるのもまた怖かったんですけど、列伝ツアー(「スペースシャワー列伝 JAPAN TOUR 2017 ~10th ANNIVERSARY~」2017年2~3月)のときに、別にいいじゃないかって思うことができて。そこから誰かの真似をすることはやめました。今は、そういうバンドが流行っているとしても、yonigeはそうである必要はないって思ってますね。
-そういうバンドを観て、勇気づけられる人も絶対にいると思います。だからそのやり方を否定したくはないんですけど、一方で、逆に苦しくなっちゃう人もいると思うんですよね。ステージにいるあなたが叫んでいることは正論だけど、私たちは、ままならない日々でさえも生きていかなければならないわけで。
ごっきん:確かに。お前はどの立場で言うとんねん、って言いたくなることもある(笑)。
牛丸:正義振りかざしてるみたいに見える瞬間って結構あるよな(笑)。
-だからそういう意味でこのアルバムに、今のyonigeに救われる人って少なくないと思いますよ。
牛丸:そう言ってもらえてよかったです。ありがとうございます。
-歌詞は結構苦戦したそうですが、サウンド面に関してはいかがでしたか?
牛丸:今回、制作期間で言ったら一番長かったんですよ。『HOUSE』を出したあと、すぐに制作期間に入ってたので、途中のレコーディングをしていなかった期間も含めると、約1年半ぐらいかかっていて。
例えば「ここじゃない場所」は先行配信シングル「みたいなこと」の次に出来た曲なんですけど、1年も経つと昔の曲みたいに感じちゃうから、ちょっとアレンジを変えたくなっちゃったんですよね。そういうふうに新しく作り直した曲もあったので、めっちゃ紆余曲折ありました。
ごっきん:「メリークリスマスイヴ」も結構変わったよな。
牛丸:そうそう。「ここじゃない場所」の次に出来たのが「メリークリスマスイヴ」で、元々の歌詞・アレンジはアルバムに収録されているものとは全く違うものだったんですけど、新鮮味がなくなっちゃったので作り直しました。で、再録をした日が去年のクリスマス前後だったんですよ。その流れで「あ、歌詞もメリークリスマスにしちゃおう♪」って思って。
ごっきん:私はこの曲、歌詞が入るまで春うらら系やと思ってたんですよ。だから歌が入った瞬間、「メリークリスマスの話してる!?」ってびっくりしましたね。出来たときのギャップが一番大きかった曲です。
今回、(制作期間の)途中から、サポートメンバーとしてライブにも参加してくれているギターの土器さん(土器大洋)と一緒に制作を進めるようになったんですよ。それがすごく楽しかったですね。
今までyonigeはアナログというか、牛丸がコードを持ってきて「こんな感じで」って言うのを、私たちが頭や身体で解釈して合わせていくっていうやり方だったんですよ。だけど土器さんはパソコンをめちゃめちゃ使える人で、家に録音機材が揃っているから、口頭で「こういうリズムで」「こういうメロディで」って伝えると、その場でパッと作ることができるんですね。そのレスポンスがとにかく早くて。スタジオに集まって、全員で楽器を鳴らして……っていう作業をいちいちやらなくても曲が作れるっていうのは新鮮でした。
-「11月24日」と「健全な朝」は後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)が、「往生際」と「あかるいみらい」は福岡晃子さん(チャットモンチー済)がプロデュースした曲です。アジカンもチャットモンチーも、お二人が学生時代から好きだったバンドでしたよね。
牛丸:そうですね。今まで憧れてきた人と(制作を)一緒にやっても、それがいい方向に行くとは限らないから、最初は正直どうなるんだろうって思ってたんですけど、やってみたらめちゃめちゃよかったです。
アッコさん(福岡晃子)はずっとお母さんみたいでした(笑)。気持ちいいぐらいに全部を肯定してくれるんですよ。
ごっきん:「カッコいいね~!」「めっちゃいいね~!」って毎回言ってくれて(笑)。
牛丸:こんなに褒められたことはないなって思いました。あと、チャットモンチーのときからそういう作風でしたけど、急に変わったアレンジを提案してくれるんですよね。「あかるいみらい」の途中にある手拍子だけになるところも、最初にアッコさんが「手拍子やってみようか」って言ってくれたのが始まりで。それに「往生際」も変な曲だよね。
ごっきん:というか、まず、両方とも変拍子だからね。yonigeでは今までなかった変拍子の曲を、どちらもアッコさんがプロデュースしてくれています。
牛丸:ゴッチさん(後藤正文)も「めっちゃ歌上手いね~」とか褒めてくれる人だったんですけど……ゴッチさんはもっと理系っぽくない?
ごっきん:分かる分かる。
牛丸:「ここはこうじゃない方がいいと思うな」とか、結構明確に言ってくれるので、進む方向が分かりやすくて、すごくやりやすかったですね。ゴッチさんはサウンドへのこだわりがめちゃめちゃ強いので、この2曲(「11月24日」、「健全な朝」)は特に音が良いです。
-アルバム全体の方向性はどのように定まっていきましたか?
牛丸:今まではアルバム全体のバランスを考えて「ここはバラード」「ここは激しめの曲」みたいに考えながらやってたんですけど、今回は先のことをあまり考えずに、ポンポン曲を作っていきました。「Intro」っていうインスト曲だけは唯一、「ここじゃない場所」と「往生際」を繋ぐ曲として作ったんですけど、それ以外は特に考えないようにしてましたね。曲順を並べるときに初めて「あ、こんなに何も考えてなかったんだ」って気づくほどだったし、だからこそ曲順を考えるのが大変でした。
-全体として「忘れる」というワードが鍵になっている印象がありました。
牛丸:昔のことを思い出すときに、何となく切なくなる感じってあるじゃないですか。「忘れる」っていうこと、思い出せなくて「あれ、何だったっけ?」ってなる瞬間は、日常的によくあることだけど、悲しいことだなと思って。
-「人が本当に死ぬときは、人に忘れられるときだ」ってよく言いますけど、それになぞらえるならば、私たちは日常的に人を殺していることになるわけで。
牛丸:そうなんですよね。忘れてしまった本人は、別に悲しくないと思うんですよ。だって、何を忘れてしまったのかすら分からない状態だから。でも客観的に見たら、今までの歴史全部がなかったことになっちゃうなんて、しかも自分にはコントロールできない場所でそれが起こるなんて、悲しいことだなって思います。そういう「悲しくないのに悲しい気がする」っていうところを今回書きたいなあと思いました。
-『健全な社会』というアルバムタイトルはどこから?
牛丸:まず、(アルバムの)ジャケットに学校関連の写真を使いたいって思ったんですよ。学校って人生で最初に経験する社会じゃないですか。だけど今考えたら、学校のなかの空気ってちょっと異様というか。同じ制服を着させられて、みんなで同じ授業を受けて、変な場所だったなあって思うんですよね。
-確かに。スクールカーストって言葉もありますけど、初日の立ち振る舞いで教室のなかでの立ち位置が何となく決まってしまう感じも、ちょっと歪ですよね。
牛丸:そうですね。そういうところから、何となく、学校の写真を使いたいな~って考え始めて。学校で習字の授業ってあるじゃないですか。そこで書くワードって嘘みたいな言葉ばかりなんですよ。
-「希望」とか?
牛丸:そうです(笑)。あと「青い空」とか。それが面白いなって思って画像検索をしてたら、「健全な社会」っていう言葉が出てきたんですよね。結構強めのワードやなって思って、それを使うことにしました。
アルバムのタイトルを発表したときにSNSを見ていたら「これって皮肉だよね」みたいなお客さんの感想があったんですけど、私としては、そういうつもりはあまりなくって。複雑で異様で異常なことが起こっている現代こそが、人間が行き着くままの、ありのままの社会だなって思っただけなんですよね。だから、今の社会に対してのアンチテーゼみたいな感じで「健全な社会」という言葉を使ったわけではないです。
-ごっきんさんはこのタイトルについてどう思いましたか?
ごっきん:習字の画像を見て思いついたっていう話は後から聞いたので、最初は普通に額面通り受け取って、「いや、上手いこと言いますな~」って思いましたね。今牛丸が話したように、「反旗を翻す」的な熱量で付けたわけではないだろうなあとは思ってたんですけど、「健全な社会」っていう言葉は、バリバリのアンチテーゼじゃないにしても、ほんのり何かを感じさせる言葉じゃないですか。すごく熱く何かを訴えてるわけではないし、そのうえでちゃんとタイトルっぽいのがyonigeらしいというか。上手ですな~って思ってました。
-最後の質問に移りますが、3年前にお二人にインタビューしたとき、「女とは」「ガールズバンドとは」っていう話をしたんですよ。そのなかで牛丸さんが「女の子に好かれるカッコいい女でありたい」と仰っていたのが印象に残っていて。当時の自分たちの発言について、今思うことってありますか?
牛丸:思うこと……特にないですね。多分、そのときはいろいろコンプレックスがあったからそういうことについて喋ってたと思うんですよ。
ごっきん:確かに。あの頃はもっとギラギラしてたもんな。
牛丸:だけど今は、そのときに言っていたような「同性に好かれたい」っていう気持ちは全くないんです。
-どうして今この話を出したのかというと、私がわざわざ昔の話を引っ張り出さなければならないレベルで、今はその件は眼中にないんじゃないかと。
牛丸:うん、本当にその通りですね。今でも、「女捨てる」みたいなことを言ってる人たちのことは相変わらず好きじゃないし、「男女がフラットになった」みたいなことを言いたいわけでもないです。だから、考え方が根本的に変わったわけではないんですけど、今は自分からそこについて語ることはないかもしれないですね。別にそこはどうでもいいというか、一番大事なことではないと思うので。
だから今回のアルバムは……働くおっさんに聴いてほしいですね。
ごっきん:働くおっさん(笑)! でも確かに、言いたいことは分かるわ。
牛丸:働くおっさんにも、女性にも、聴いてもらえたらいいなあと思ってます。
[取材・文/蜂須賀ちなみ]
今のyonigeは、分かりやすいフックのある言葉選びや、鋭さが前面に出たサウンドからは少し距離を取ったところにいる。『健全な社会』は、ドラマなど起こらない平熱の生活を描いた作品だ。「誰もが人生の主人公です」という常套句に何だか乗り切れないあなたの内側に、毒のように、あるいは薬のように、じんわりと沁み込んでいくことになるだろう。
メンバーの牛丸ありさ(Vocal/Guitar)、ごっきん(Bass/Chorus)は、yonigeの今をどう見ているのだろうか。改めて言葉にしてもらった。
yonige、2年8ヶ月ぶりのフルアルバムを発売
「 “悲劇はないのに何となく悲しい”を描きたかった」
-『健全な社会』、改めてどんなアルバムになったと感じてますか?
牛丸:今回は、特別何もないアルバムですね。ドラマティックなことがだんだん興味なくなってきて、「何にもない」ということをどうやって書くかっていう方向に変わってきています。
-『HOUSE』(2018年10月リリース)のときに「以前はキャッチ―な曲を作らなきゃいけないと思っていた」「そういうところから解放された」という話をされていましたが、引き続きそのモードですか?
牛丸:そうですね。『HOUSE』でそれに挑戦して、今回で固めたみたいなイメージです。最近、羞恥心が大きくなってきて、「この言葉は使いたくない」っていう言葉がめちゃくちゃ多くなってきちゃったんですよ。
まず、恋愛の曲は書きたくないんです。昔の曲は昔の曲でいい曲だなと思うんですけど、今の自分にはああいう曲はちょっと書けないなって思ってて。だから、自分が恥ずかしくない範囲で如何に平坦なことを歌詞に書けるかっていうところをめちゃくちゃ考えながら今はやってます。
-そもそも最初に「キャッチ―な曲を作らなきゃ」と思っていたのはどうしてなんでしょうね。人から評価されたいという欲求からですか?
牛丸:そうですね。評価されたかったし、分かりやすく売れたかったし、「そうしないとごはん食べられなくなる」「だからこのやり方しかないんだ」とも思ってました。特に「アボカド」(2015年8月リリース『Coming Spring』収録曲)や「さよならプリズナー」(2017年4月リリース『Neyagawa City Pop』収録曲)の時期は「売れたい」っていう気持ちが強かったですね。
ただ、「アボカド」は適当に書いた曲だからこそいいんだろうなっていうことは自分でも理解してるんですよ。「アボカド」は、スタジオに入って、何となく演奏をしてみて、「こんな歌詞どう?」「アボカド投げつけたことってあるよな?」っていう話をしながらその場でできた曲で。だけどそういうノリって、若いときの、結成間もない頃だからこそできたことなんです。
だから、あれはあれでいい曲なんですけど、いろいろと難しいことも考えるようになった今、この歳で同じようなタイプの曲を作れるかって言ったらちょっと難しくて。それで新しい戦い方、バンドのやり方を考えていかなきゃいけないなと思うようになりました。
-そう考え始めたのはいつ頃でしたか?
牛丸:やっぱりメジャーデビューしてからですかね。私は「王道に売れたい」と思っていたので、メジャーデビューするということは、その夢に一歩近づいたことになるじゃないですか。だけど、フルアルバム(2017年9月リリースの『girls like girls』)を1枚作ったところで、自分と曲がどんどん乖離していく感じがあったというか。制作期間中あまり楽しくなかったし、「あれ、こんなことやりたかったんだっけ?」って思うようになったんですね。
それに、そういうことを考えながら書いた曲って、ライブでやっても楽しくないんですよ。自分の気持ちよさじゃなくて、人が聴いたときにどう思うかっていうことを重視して書いてるから、後々その曲自体を好きじゃなくなっちゃうというか。でも、バンドを続けていくには、まず自分が楽しまないといけないから、これはいけないなって思って。
そのときに、自分、夢見てたわりには、こういうやり方が性に合ってなかったんだなって気づきました。
-自分には向いてないと気づいて、やり方を変えるときに葛藤はありましたか?
牛丸:ありました。ちょっとの変化ぐらいだったら(リスナーから)「面白い」「楽しい」って思ってもらえるかもしれないけど、結構大きな方向転換だから、それによってファンがいなくなることも、ライブのチケットやCDが売れなくなることも全然有り得るなあと思って。
だけど……『HOUSE』の制作をしていた頃に、すごく尊敬できる人に出会ったんですね。そもそも私が「平凡を描きたい」と思うようになったのもその人の影響なんですけど、迷ったときにはその人からもらった言葉を思い出して、「これで大丈夫」って自分に言い聞かせて。実際、出来上がった曲はすごくよかったし、そっちの方が楽しく曲を書けるっていう
ことが分かったので、だんだん「このやり方で大丈夫なんだ」って思えるようになっていきました。
-そういう牛丸さんの変化をごっきんさんはどう見てましたか?
ごっきん:やっぱり変わってきていることは感じてましたね。昔の曲の場合、牛丸の書いた歌詞を読むと、そのときの事が明らかに浮かぶんですよ。ああいう事件がこういう曲になった、っていうのが分かるというか。だからずっと「この人(牛丸)はバンドをやってる間、大きな不幸の渦の真ん中にいないと作品を作れないのだろうか」「だとしたら、それは本当に大変なことだな」って思ってたんですけど、今の曲の書き方は全然そうじゃないですよね。
あと、牛丸も言ったように、分かりやすく売れる曲ではなくなってきたなあとも思ってました。バンドには2つのタイプがあると思うんですよ。ひとつは、リスナーの期待に応え続けるバンド。もうひとつは、その時々の自分たちの感性や趣味に従いながら曲を書いて、変化していくことによって、世間の求めるバンド像からはかけ離れていくバンド。
それで言うとyonigeは後者で。別に前者のバンドを否定してるわけではないんですけど、私はこれでよかったなあと思ってます。牛丸が今思うこと、歳を経たからこその感性をそのまま歌詞に書ける人でよかったなあと。
今、牛丸が持ってきた曲を聴いたときも、実際に合わせてみたときも、バンドをやり始めた時期ぐらいの無敵状態になれてるんですよ。自分らが一番強くてカッコいいんだ、みたいな。そういう曲が揃ってるから、不安じゃなかったですね。仮にこれで(ファンが)いなくなってしまっても、まあしょうがないかって思いました。
-その変化のひとつが恋愛ソングばかりは書かないこと……というよりかは「恋愛ソングを書くぞ」という意図にも「恋愛ソングは書かないぞ」という意図にも縛られずに曲を書くこと、ですかね?
牛丸:そうですね。ここが難しいところなんですけど、「恋愛ソングは書かないぞ」って思いながらやってるわけでもないというか。自然に恋愛の曲が出来たらそれはそれでいいと思ってます。ただ、今は、恋愛の曲を書こうと思っても「恥ずっ」みたいな感情が生まれちゃうんですよね。
-「恥ずっ」?
牛丸:何て言うんだろう……悦に入ってる感じ? これは私の書き方が悪いからかもしれないんですけど、恋愛の曲を書くと、自分が被害者みたいになっちゃうんですよね。悲劇のヒロインというか。
-確かに、自分の恋愛経験を曲にする時点で必然的に曲の主人公にはなっちゃいますよね。
牛丸:そうなんですよ。その「私が主人公です」みたいな感じがだんだん恥ずかしくなってきて。今回に関しては「これは私のことを書いた曲です」って明確に言える曲がなくなりました。
-「あかるいみらい」のAメロは特に象徴的ですよね。〈だれも気にしない、町の掲示板/だれも知らない、道で眠る人/いなくなったら誰かがいつか、懐かしく思い出すだろう〉というフレーズからは誰の匂いも感じないというか。明らかに「私が主人公です」という温度感ではない。
牛丸:そうですね。歌詞を書く作業に一番じっくり向き合ったのが「あかるいみらい」だったと思います。「明確に悲劇があったわけじゃないのに何となく悲しい」みたいな微妙なニュアンスのところに行きたくて、今回一番苦労しました。締め切りまでの1週間、この曲の歌詞のことを毎日考えてましたね。
私、歌詞を書くとおなかが減るんですけど、その1週間の間、UberEatsを頼んで、マクドナルドのセットとか、クレープとか、うどん450gとか……とにかくずっと爆食いしてたんですよ。だから「絶対太ったな」って思ってたんですけど、終わってから体重計に乗ったら、3キロ減ってて。それほどのカロリーを消費するくらい、苦労しましたね(笑)。
-(笑)。このアルバムでは「日常はそこまでドラマティックではない」「誰もが主人公というわけではない」ということが唄われていて。その平熱さを歌詞に落とし込むのに苦戦していたんですかね?
牛丸:うん、そうですね。その微妙なニュアンスを曲にしたかったんです。
-でもyonigeがそういう作品を出すことってちょっと勇気の要ることだなと思ってて。yonigeもこれまで対バンしてきたような、ライブバンドと言われるような人たちって、基本的にMCが熱いし、曲に関しても「あなたが主人公です」「唯一無二の存在なんです」というメッセージを発信するバンドが多いじゃないですか。そことは逆に行きましたよね。
牛丸:確かにバンドを始めた頃は、そういう熱いバンドに憧れてたし、私もそうなりたいなって思ってました。だけど、ライブの回数を重ねるごとに「これは私のやることじゃないなあ」っていうことが分かってきたんですよね。正直昔は自分でもMCしながら「何言うてんの?」みたいに思ってたことがあって。
ごっきん:ははは! それ言って大丈夫?(笑)
牛丸:(笑)あれって、やっていい人とやっちゃダメな人がいるんですよ。
-その違いは?
牛丸:MCや曲のなかで発する言葉が、ちゃんと自分のなかで消化して出てきた言葉なのか、っていうことですね。だから結局、私がそれをやっても他のバンドの真似になってしまって、成り立たなかったんです。
そこから外れるのもまた怖かったんですけど、列伝ツアー(「スペースシャワー列伝 JAPAN TOUR 2017 ~10th ANNIVERSARY~」2017年2~3月)のときに、別にいいじゃないかって思うことができて。そこから誰かの真似をすることはやめました。今は、そういうバンドが流行っているとしても、yonigeはそうである必要はないって思ってますね。
-そういうバンドを観て、勇気づけられる人も絶対にいると思います。だからそのやり方を否定したくはないんですけど、一方で、逆に苦しくなっちゃう人もいると思うんですよね。ステージにいるあなたが叫んでいることは正論だけど、私たちは、ままならない日々でさえも生きていかなければならないわけで。
ごっきん:確かに。お前はどの立場で言うとんねん、って言いたくなることもある(笑)。
牛丸:正義振りかざしてるみたいに見える瞬間って結構あるよな(笑)。
-だからそういう意味でこのアルバムに、今のyonigeに救われる人って少なくないと思いますよ。
牛丸:そう言ってもらえてよかったです。ありがとうございます。
-歌詞は結構苦戦したそうですが、サウンド面に関してはいかがでしたか?
牛丸:今回、制作期間で言ったら一番長かったんですよ。『HOUSE』を出したあと、すぐに制作期間に入ってたので、途中のレコーディングをしていなかった期間も含めると、約1年半ぐらいかかっていて。
例えば「ここじゃない場所」は先行配信シングル「みたいなこと」の次に出来た曲なんですけど、1年も経つと昔の曲みたいに感じちゃうから、ちょっとアレンジを変えたくなっちゃったんですよね。そういうふうに新しく作り直した曲もあったので、めっちゃ紆余曲折ありました。
ごっきん:「メリークリスマスイヴ」も結構変わったよな。
牛丸:そうそう。「ここじゃない場所」の次に出来たのが「メリークリスマスイヴ」で、元々の歌詞・アレンジはアルバムに収録されているものとは全く違うものだったんですけど、新鮮味がなくなっちゃったので作り直しました。で、再録をした日が去年のクリスマス前後だったんですよ。その流れで「あ、歌詞もメリークリスマスにしちゃおう♪」って思って。
ごっきん:私はこの曲、歌詞が入るまで春うらら系やと思ってたんですよ。だから歌が入った瞬間、「メリークリスマスの話してる!?」ってびっくりしましたね。出来たときのギャップが一番大きかった曲です。
今回、(制作期間の)途中から、サポートメンバーとしてライブにも参加してくれているギターの土器さん(土器大洋)と一緒に制作を進めるようになったんですよ。それがすごく楽しかったですね。
今までyonigeはアナログというか、牛丸がコードを持ってきて「こんな感じで」って言うのを、私たちが頭や身体で解釈して合わせていくっていうやり方だったんですよ。だけど土器さんはパソコンをめちゃめちゃ使える人で、家に録音機材が揃っているから、口頭で「こういうリズムで」「こういうメロディで」って伝えると、その場でパッと作ることができるんですね。そのレスポンスがとにかく早くて。スタジオに集まって、全員で楽器を鳴らして……っていう作業をいちいちやらなくても曲が作れるっていうのは新鮮でした。
-「11月24日」と「健全な朝」は後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)が、「往生際」と「あかるいみらい」は福岡晃子さん(チャットモンチー済)がプロデュースした曲です。アジカンもチャットモンチーも、お二人が学生時代から好きだったバンドでしたよね。
牛丸:そうですね。今まで憧れてきた人と(制作を)一緒にやっても、それがいい方向に行くとは限らないから、最初は正直どうなるんだろうって思ってたんですけど、やってみたらめちゃめちゃよかったです。
アッコさん(福岡晃子)はずっとお母さんみたいでした(笑)。気持ちいいぐらいに全部を肯定してくれるんですよ。
ごっきん:「カッコいいね~!」「めっちゃいいね~!」って毎回言ってくれて(笑)。
牛丸:こんなに褒められたことはないなって思いました。あと、チャットモンチーのときからそういう作風でしたけど、急に変わったアレンジを提案してくれるんですよね。「あかるいみらい」の途中にある手拍子だけになるところも、最初にアッコさんが「手拍子やってみようか」って言ってくれたのが始まりで。それに「往生際」も変な曲だよね。
ごっきん:というか、まず、両方とも変拍子だからね。yonigeでは今までなかった変拍子の曲を、どちらもアッコさんがプロデュースしてくれています。
牛丸:ゴッチさん(後藤正文)も「めっちゃ歌上手いね~」とか褒めてくれる人だったんですけど……ゴッチさんはもっと理系っぽくない?
ごっきん:分かる分かる。
牛丸:「ここはこうじゃない方がいいと思うな」とか、結構明確に言ってくれるので、進む方向が分かりやすくて、すごくやりやすかったですね。ゴッチさんはサウンドへのこだわりがめちゃめちゃ強いので、この2曲(「11月24日」、「健全な朝」)は特に音が良いです。
-アルバム全体の方向性はどのように定まっていきましたか?
牛丸:今まではアルバム全体のバランスを考えて「ここはバラード」「ここは激しめの曲」みたいに考えながらやってたんですけど、今回は先のことをあまり考えずに、ポンポン曲を作っていきました。「Intro」っていうインスト曲だけは唯一、「ここじゃない場所」と「往生際」を繋ぐ曲として作ったんですけど、それ以外は特に考えないようにしてましたね。曲順を並べるときに初めて「あ、こんなに何も考えてなかったんだ」って気づくほどだったし、だからこそ曲順を考えるのが大変でした。
-全体として「忘れる」というワードが鍵になっている印象がありました。
牛丸:昔のことを思い出すときに、何となく切なくなる感じってあるじゃないですか。「忘れる」っていうこと、思い出せなくて「あれ、何だったっけ?」ってなる瞬間は、日常的によくあることだけど、悲しいことだなと思って。
-「人が本当に死ぬときは、人に忘れられるときだ」ってよく言いますけど、それになぞらえるならば、私たちは日常的に人を殺していることになるわけで。
牛丸:そうなんですよね。忘れてしまった本人は、別に悲しくないと思うんですよ。だって、何を忘れてしまったのかすら分からない状態だから。でも客観的に見たら、今までの歴史全部がなかったことになっちゃうなんて、しかも自分にはコントロールできない場所でそれが起こるなんて、悲しいことだなって思います。そういう「悲しくないのに悲しい気がする」っていうところを今回書きたいなあと思いました。
-『健全な社会』というアルバムタイトルはどこから?
牛丸:まず、(アルバムの)ジャケットに学校関連の写真を使いたいって思ったんですよ。学校って人生で最初に経験する社会じゃないですか。だけど今考えたら、学校のなかの空気ってちょっと異様というか。同じ制服を着させられて、みんなで同じ授業を受けて、変な場所だったなあって思うんですよね。
-確かに。スクールカーストって言葉もありますけど、初日の立ち振る舞いで教室のなかでの立ち位置が何となく決まってしまう感じも、ちょっと歪ですよね。
牛丸:そうですね。そういうところから、何となく、学校の写真を使いたいな~って考え始めて。学校で習字の授業ってあるじゃないですか。そこで書くワードって嘘みたいな言葉ばかりなんですよ。
-「希望」とか?
牛丸:そうです(笑)。あと「青い空」とか。それが面白いなって思って画像検索をしてたら、「健全な社会」っていう言葉が出てきたんですよね。結構強めのワードやなって思って、それを使うことにしました。
アルバムのタイトルを発表したときにSNSを見ていたら「これって皮肉だよね」みたいなお客さんの感想があったんですけど、私としては、そういうつもりはあまりなくって。複雑で異様で異常なことが起こっている現代こそが、人間が行き着くままの、ありのままの社会だなって思っただけなんですよね。だから、今の社会に対してのアンチテーゼみたいな感じで「健全な社会」という言葉を使ったわけではないです。
-ごっきんさんはこのタイトルについてどう思いましたか?
ごっきん:習字の画像を見て思いついたっていう話は後から聞いたので、最初は普通に額面通り受け取って、「いや、上手いこと言いますな~」って思いましたね。今牛丸が話したように、「反旗を翻す」的な熱量で付けたわけではないだろうなあとは思ってたんですけど、「健全な社会」っていう言葉は、バリバリのアンチテーゼじゃないにしても、ほんのり何かを感じさせる言葉じゃないですか。すごく熱く何かを訴えてるわけではないし、そのうえでちゃんとタイトルっぽいのがyonigeらしいというか。上手ですな~って思ってました。
-最後の質問に移りますが、3年前にお二人にインタビューしたとき、「女とは」「ガールズバンドとは」っていう話をしたんですよ。そのなかで牛丸さんが「女の子に好かれるカッコいい女でありたい」と仰っていたのが印象に残っていて。当時の自分たちの発言について、今思うことってありますか?
牛丸:思うこと……特にないですね。多分、そのときはいろいろコンプレックスがあったからそういうことについて喋ってたと思うんですよ。
ごっきん:確かに。あの頃はもっとギラギラしてたもんな。
牛丸:だけど今は、そのときに言っていたような「同性に好かれたい」っていう気持ちは全くないんです。
-どうして今この話を出したのかというと、私がわざわざ昔の話を引っ張り出さなければならないレベルで、今はその件は眼中にないんじゃないかと。
牛丸:うん、本当にその通りですね。今でも、「女捨てる」みたいなことを言ってる人たちのことは相変わらず好きじゃないし、「男女がフラットになった」みたいなことを言いたいわけでもないです。だから、考え方が根本的に変わったわけではないんですけど、今は自分からそこについて語ることはないかもしれないですね。別にそこはどうでもいいというか、一番大事なことではないと思うので。
だから今回のアルバムは……働くおっさんに聴いてほしいですね。
ごっきん:働くおっさん(笑)! でも確かに、言いたいことは分かるわ。
牛丸:働くおっさんにも、女性にも、聴いてもらえたらいいなあと思ってます。
[取材・文/蜂須賀ちなみ]