Rumer ルーマー

Profile

父が建設の仕事をしていた関係で、彼女はパキスタンで生まれ、幼少期を過ごした。7人兄妹の末っ子だったルーマーは、テレビや新聞のない海外の地で、家族と一緒に歌い、曲を書いて育ったのだ。そして、この別世界から、イギリスのニュー・フォレストに移り住んでも、彼女はそのフォークな要素を新しい土地に持ち込んだ。彼女が11歳の時、両親が離婚。この時に、彼女の実の父は、実は家族が雇っていたパキスタン人のコックで、母親が関係をもっていた事が発覚する。数年後、彼女がインディーズ・バンド、ラ・ホンダで歌っていた頃には、母が乳がんと診断された。直後、母親の近くにいる為に、ニュー・フォレストに戻ったルーマーは、ゴミ収集所に置かれたヴァンに暮らし、資格がないにも関わらず地域の大学で演劇を教えたりして生計を立てた。2003年に母親が死去。

その後、ルーマーはロンドンに戻り、皿洗い、ポップコーン売りなど、あらゆる仕事をしながら、どん底の生活を送っていた。そんな彼女が救いを求めて行ったのが、田園地帯にある豪邸だった。「スロー」は、ルーマーの運命がやっと変わってきた時に出来た曲だ。ケンサル・ライズにあるクラブのオープン・マイク・ナイトに参加した彼女を、名誉ある賞を受賞した経験もあるテレビ/ミュージカル作曲家であるスティーヴ・ブラウンが、たまたま見ていたのだ。その後、彼はルーマーのプロデューサーになり、色々な事柄が前進するようになった。たまたま音楽とは全く関係ない質問を現在のマネージャーが自らのFacebookのページに書き込んだ事で、ルーマーにマネージャーがついた。その質問とは「あなたが知っている人の中で最も過小評価されている人は誰?」というものだった。5人の全く関係ない人達から「ルーマー」という回答が寄せられたのだった。

そして、3月に彼女の努力が報われ、アトランティック・レコーズと契約が結ばれた。ルーマーのデビュー・アルバムは、美しく自叙伝的だが、同時に普遍的な作品に仕上がっている。「スロー」は、素晴らしいポップ・ソングが詰まったこのアルバムの一部を垣間見られるシングルだ。飛び立つような「アム・アイ・フォーギヴン」、「ヒーラー」の痛み、そして「アレサ」の壊れそうな美しさ…。これ以上、この才能溢れるタレントに確証がほしいというなら、バート・バカラックに聞いているといい。彼は、ルーマーの存在を噂で知り、聴いてみるとあまりに素晴らしかった為、わざわざ彼女をカリフォルニアに呼び、一緒に曲を書こうと言ったのだ。ルーマーは言う。「バート・バカラックに招待されたって知ったときは嬉しくて泣いちゃったわ。彼に上手いって言われたら、自分が上手いんだって自信が持てるでしょ!」そんな彼女の音楽を、イギリスのメディアは大絶賛。メジャー紙のザ・ガーディアン紙も “ルーマーの歌声はカレン・カーペンターやキャロル・キングを彷彿とさせる「無垢な歌声」だ” と手放しで褒めている。あのエルトン・ジョンもルーマーを自らのステージに招くなど、絶賛しており、 “最近のイギリスは、素晴らしい声を持つシンガーを沢山輩出しているよね。アデル、ダフィー、エイミー・ワインハウス。そして、今回はルーマーだ。そういう人は、滅多に出ない。そんな中、ルーマーのような素晴らしくて美しい声の持ち主が現れたんだ。彼女はビッグ・スターになるよ。” とコメントしている。

2010年の11月1日にイギリスで発売になったルーマーのアルバムはすでに本国で40万枚を突破し、プラチナ・ディスクを獲得した。イギリス最大の音楽賞、ブリット・アワード 2011でも、最優秀新人賞、最優秀ブリティッシュ女性アーティスト賞の2部門にノミネートされた。日本でもシングル「スロー」がFM局でヒットし、アルバムは20,000枚を突破し、2011年6月3日ルーマーの誕生日に一夜限りのライヴを東京で行った。

2012年にはセカンド『ボーイズ・ドント・クライ』を発表、カヴァー・アルバムとなった今作でも彼女の歌声は前作以上の輝きを見せ、イギリスではデビュー同様チャート3位を記録している。

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