Bootsy Collinsブーツィー・コリンズ

Profile

<ブーツィー早分かり年表>
1951年10月26日:シンシナティに生まれる。
本名ウィリアム・コリンズ。
1966年?:7歳年上のキャットフィッシュらとペイスメイカーズ(またの名をペイスセッターズ)を結成し音楽活動をスタート。地元キング・スタジオのセッション・バンドとなる。
1968年:キング・スタジオでジェイムス・ブラウンに突然声をかけられ、セッション
1970年:ジェイムス・ブラウンのバンドメンバーだったメイシオ・パーカーらがライヴのボイコットをしたため、ペイスメイカーズの面々が急遽JBのバックを努めることになりメイシオらはクビに。やがてこのバックバンドはJB'sと呼ばれるようになる。
1971年:キャットフィッシュらとJB’sを脱退。
1972年:後の盟友ジョージ・クリントンに出会い、彼のバンド、ファンカデリックに参加。Pファンク時代始まる。
1974年:前年、一時的にファンカデリックを離脱するもックリントンのもうひとつのバンド、パーラメントで復帰。
1975年:自身のバンド、ブーツィーズ・ラバー・バンドを結成し、レコーディング。
1976年:ブーツィーズ・ラバー・バンドのデビュー作『STRECHIN' OUT IN』リリース
1977年:第2作『AHH...THE NAME IS BOOTSY, BABY』リリース
1978年:第3作『BOOTSY? PLAYER OF THE YEAR』リリース。シングル「BOOTZILLA」がビルボドR&Bチャート1位に。今のところ唯一のNO.1ヒット。
1979年:第4作『THIS BOOT IS MADE FOR FONK-N』リリース。が、この頃からバンド内の人間関係がギクシャクし始め、同年ついにバンド崩壊。兄のキャットフィッシュは釣りに没頭。
1980年:ブーツィー名義のソロ第1作『ULTRA WAVE』リリース
1982年:ウィリアム“ブーツィー”コリンズ名義で『THE ONE GIVETH, THE COUNT TAKEN AWAY』リリース
1988年:ブーツィー・コリンズ名義で『WHAT'S BOOTSY DOIN'?』リリース
1989年:「ブーツィーズ・ファンク・アタック・ワールド・ツアー」で初来日。
1991年:ディー・ライトの来日公演に同行。
1992年:ツアーのため再び来日。
1993年:ジョージ・クリントン率いるPファンク・オールスターズと共に来日。
1994年:元ミッドナイトスターのキャロウェイ兄弟らと共に来日。アイス・キューブの東京公演にも参加。
1997年:WEA GERMANYに移籍。9年ぶりのアルバム『FRESH OUTTA‘P’UNIVERSITY』をリリース。ファットボーイ・スリムのノーマン・クックがリミックスしたシングル「パーティ・リック・ア・ブルズ」がヒット。
2000年:ファットボーイ・スリムの「イルミナティ」にゲスト参加
(以上、丸屋九兵衛氏「FUNKRONOLOGY」を基に作成)

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