COMPAY SEGUNDOコンパイ・セグンド

Profile

コンパイ・セグンド、本名フランシスコ・レピラードは、1907年11月18日、キューバ島東部の山間にあるシボネイに生まれ、サンティアゴ・デ・キューバでソン(サルサの原形にあたるキューバ独自のダンス音楽)を子守歌にして育った。1920年代には既にギターとトレスの奏者として頭角を現わし、昼間はタバコ農園夫や理容師として働き、夜は地元のバーで演奏した。15歳の時に初めて<ヨ・ベンゴ・アキ Yo Vengo Aqui>を作曲、以後何百曲もの作品を書いている。1930年代にはクラリネット奏者としても活躍したが、彼が「アルモニコ」と名付けたギターに似た独自の楽器を考案したことでも注目を集めた。1934年にニコ・サキートのクィンテット・キューバン・スターズで演奏して以来、ハバナ在住となり、その後はハバナ市立バンド、クァルテット・アトゥエイ、コンフント・マタモロスといったグループに参加。1942年から活動した、同郷のロレンソ・イエレスエロとのデュオ、“ロス・コンパドレス”で13年間の黄金時代を迎える。コンパイ・セグンドと呼ばれるようになったのはこの頃で、コンパイとは「コンパドレ(仲間)」のスラング、セグンドは「2番目の」という意味で、彼のトレード・マークであるバス・ハーモニーの第2声を意味している。その後コンパイ・セグンド・イ・ムチャーチョス(“コンパイ・セグンドと息子達”の意)などで活動するが、やがてキューバ音楽界のパノラマからはまったく姿を消してしまうこととなる。しかし、彼本人は音楽を一日足りとも止めたことはなく、1989年に音楽学者の手によって、ヨーロッパの音楽界に紹介され人気沸騰、パリやアメリカなど欧米各国で単独ツアーも行い大きな人気を呼ぶ。本国キューバでもすぐさま国宝級の扱いを受けることとなり、ライ・クーダーやワールド・サーキットのニック・ゴールドらのたっての願いにより、あのブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのレコーディングとコンサートに参加、ヴィム・ヴェンダースによる同名映画にも出演、強烈な印象を残すことになるのである。日本のTV特番やCMにも登場、2000年には初来日公演も予定されている。それでも本人は少しも変化することなく、1日1杯のラム酒、1本の葉巻、そして自作ギターのアルモニコの演奏を楽しみ、若さも人気もますます衰えぬ勢いなのである。

WARNER MUSIC JAPAN SPECIALS