Judy Collinsジュディ・コリンズ

Profile

1939年シアトル生まれ。
LAとデンヴァーで幼少期を過ごす。ポピュラー音楽に接しながらもクラシック・ピアノやミュージカルの教育を受けるなど、多彩な音楽を体験する。学生時代に教会での演奏活動を通じ、トラディショナル・ミュージックに触れ、フォークに目覚める。それ以来クラシック・ピアノをアコースティック・ギターに持ち替え、フォーク・ソングに没頭するようになる。
20歳で、コロラドのパブで演奏活動を始め、その後シカゴ、ボストン、そしてニュー・ヨークのクラブに辿りつき、そこで彼女は自分の人生を左右するソングライターやシンガー達と運命的に出会う。グリニッジ・ヴィレッジ・・・・当時も今も新進気鋭の様々なアーティストが集まる街。その周辺にはガスライト、ヴィレッジ・ヴァンガード、ガーズ・フォーク・シティなどのクラブがあり、ボブ・ディラン、アーロ・ガスリー、トム・パクストン、そしてジャーニーマン(スコット・マッケンジーやパパス&ママスのジョン・フィリップなどがいた)達が、そのキャリアを磨いていた、そんな時代のそんな場所で彼女も感性を磨いていった。そして22歳で自らエレクトラ・レコードに売り込み、新しいフォークの流れも取り入れた、トラディショナル・ソングをメインにしたファースト・アルバムをリリース。翌年、同様のコンセプトで2枚目を発表後、1969年に発表した3枚目のアルバムは、新しいミュージシャン達による一大フォーク・ムーヴメントの流れに乗り、トラディショナルな分野から一歩踏み出した「シンガー・ソング・ライター」というフィールドで勝負、大ヒットとなる。ジュディの2つの大事な出逢い、そのひとつがレナード・コーエン。ジュディはレナードの歌を最初にカヴァーしたシンガーであり、レナードの現代的な歌詞とジュディの美しい声のコントラストは最高のマッチングと言われた。そしてもうひとつが、ジョニ・ミッチェル。彼女がまだどのレコード会社とも契約がない時に彼女の才能を見抜き、1967年発表の「ワイルドフラワー」で彼女の作品を2曲収録。うちの1曲が「青春の光と影」であり、ジュディにとってもジョニにとっても初めてのトップ10ヒットとなった。以降、スティーヴン・スティルス、ライ・クーダーを始め、様々なアーティストと交流を持ち自らの世界を完成させて行く。ちなみに、クリントン元大統領の娘の名前「チェルシー」は、この作品の11曲目に収録されている「チェルシーの朝」が好きなヒラリー夫人が、この歌にちなんで命名したそうだ。もうひとつちなみに、CSNの「青い瞳のジュディ」は、当時スティルスの恋人だった彼女をモデルにした曲、というのも有名な話。

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