神様、僕は気づいてしまった

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LINER NOTES
素性のまったく知れない、ただただ素晴らしいポテンシャルを感じさせるこの4人組バンドに今ひたすら夢中なのである。
メンバーは、ヴォーカルがどこのだれか、ギターに東野へいと、ベースが和泉りゅーしん、ドラムに蓮。バンド名は、神様、僕は気づいてしまった、である。出自はわからない。わからないし、勘ぐっても仕方がない。何より、そもそもの話として、そういった背景や出自といった「情報」が必要になるほど、彼らが作っている音楽は不完全なものではない。

そうだ、神様、僕は気づいてしまったがかき鳴らしているロックは極めて高いレベルで完成されている、と僕は思う。今、この時代に生まれるべきロックとして、今、この時代に痛烈なメッセージを残すロックとして、衝撃的なインパクトを与える音楽として、あるいはこの世のどこかに生を受け、時代を生き抜いていくどこにでもいる「誰か」が放つ決死のメッセージとして、あまりに強い説得力を持っているものだと思う。

神様、僕は気づいてしまったは、とてもシンプルな話として、今絶対に聴くべき、出会うべきバンドなのだ。このバンドの登場を心から嬉しく思いながら、このテキストを書いている。
「誰」の叫びかわからないからこそ、「誰にでも当てはまる」叫びとして突き刺さってくる歌詞。 そんな歌詞のひとつひとつにまるで執念のように刻み込まれている、時代の隙間に生きる誰もが、その必然として感じている孤独ややるせなさ。 東京という空間のどこにでもある当たり前の虚無感、当たり前のすれ違い、当たり前の不理解と当たり前のようにある不完全なコミュニケーション。 彼らが紡ぐ歌詞には、そんな人生における「ズレ」に対する異状なまでに解像度の高い視線が注ぎ込まれているように感じる。 彼らが「誰」であるのかなんてことは関係なく、ただその鋭い視線は彼らが感じている悲しみであると同時に、同じ空気を吸い、同じこの東京に生きる僕たちの虚しさでもある。

そして、その切実な孤独の表出としての歌詞に、まさに刃物のような鋭利なフォルムを与え、突き刺すように歌い上げていくヴォーカル・どこのだれかの声。 彼の声はその形自体がまず圧倒的に切なく、感傷的で、生きることで生まれる「摩擦」を表現し得る素晴らしいものだ。 だが、その声のポテンシャルは、東野へいとが書く前述のような言葉を歌い、その執念や虚無に形を与えることで、最強の表現となっていく。 つまり、「彼」の言葉には、「彼」の歌が必要であり、同じように「彼」の歌には「彼」の言葉が必要なのだ、ということなのだと思う。
そんな説明の仕様がないほどのバンド的必然。

このバンドの出自なんてどうでもいい、と思えるのはそのあたりにも大きな理由がある。 彼らがどんな生き方をしてきたのかということの説明以上に、彼らがお互いの才能を必要とし、出会い、この悲しく切なく、圧倒的に鋭いロックを生み出しているという事実が何よりも正確で、何よりも美しい「説明」になっているんじゃないか、そんなふうに僕は思うのである。

この言葉、この歌。 そして、あらゆる孤独に輪郭を与えながら、人間同士が生み出すあらゆるすれ違いや不理解、そんな市井のドラマの真実をあぶり出し、時に弾劾するように突き刺していくこの性急なロックの形。 ここには確かな説得力と、それらが生まれてきた必然性がある。 神様、僕は気づいてしまったがこれから向かっていくのは、いかなる表現の世界なのだろう。 彼らが、彼らと同じように生を受け、この時代とこの東京を生きていく僕たちの前に提示していくのは、いかなる現実のトレースなのだろう。 神様、僕は気づいてしまったが放つ、かすかな祈りのような「CQCQ」(=「応答者への呼びかけ」)は、僕たちの生にいかなる救いをもたらしていくのだろう。

2017年の音楽シーンに生み落とされた、ただひとつの必然。 神様、僕は気づいてしまった、5月31日、ついにデビューである。

小栁大輔(ROCKIN’ON JAPAN編集長)

Vocal / Guitar
どこのだれか

Guitar
東野へいと

Bass
和泉りゅーしん

Drum

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