Mason Ramseyメイソン・ラムジー

Profile

2018年にイリノイ州ハリスバーグのウォルマート店内でヨーデルを披露しているメイソンの動画がツイッターで投稿され、瞬く間に話題となった。それ以来、国民的テレビ番組や音楽フェスに引っ張りだことなり、メジャーレーベルと契約を結び、カントリーの最も有名な舞台であるグランド・オール・オプリのステージに立つという快挙を成し遂げた。
イリノイ州のゴルコンダという人口700人に満たない小さな町で人生の大半を過ごしてきたメイソンは、生後3週間から祖父母に育てられた。インターネットがなく、クラシックレコードが大量にある、まるでタイムカプセルのような家で、メイソンの祖父は町中の人が集まるカラオケバーベキュー大会を開催しており、メイソンも3歳のころには参加していたという。
ハンク・ウィリアムズ、エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー、ランディ・トラヴィスといったアイコンたち、そして新派のカントリーやポップスターたち、ブレイク・シェルトン、キース・アーバン、エド・シーランらからも大きな影響を受けたという。メイソンは4歳になってわずか2週間後に、ケンタッキー・オプリで初めて人前でパフォーマンスを行った。その力強いヴォーカルの存在感に会場は驚き、とうてい見過ごすことはできなかった。同年にはカントリー・スターのジョシュ・ターナーと共演、5歳になるとジーン・ワトソンのオープニングを務め、7歳では伝説的なカントリー歌手であるケニー・ロジャースと共演した。
スポットライトを浴びるよりもメイソンの寛大な心が輝くときがある。地元の養護施設の住人を楽しませることが大好きで、一番近い街まで自宅から1時間以上かかっても、家族でその旅行を楽しんだ。養護施設でのパフォーマンスのあとにはウォルマートに寄って、特別にレッスンを受けた事もない、その才能あるヴォーカルをよく披露していたという。
インターネットで拡散された動画が撮られたその日も、同じような道のりを辿っていた。パリッとした白いシャツに、赤い蝶ネクタイとブーツに身を包んだメイソンが歌っているのに、とある女性が2つ廊下を挟んだ先から気が付いた。ハンク・ウィリアムズの代表曲「ラブシック・ブルース」を歌っているときにその女性が寄ってきて、動画を撮って良いか尋ねたのが、物語の始まりだった。そのわずか30日後には、メイソンはまさにポップ・カルチャー現象となり、ウォルマートでのビデオは数千万回も見られることになる。
昼間のテレビ番組のスターであるエレン・デジェネレスもメイソンに早くも魅了されたひとりである。笑顔で社交的で、非常に頭の切れるメイソンが、彼女の番組に出演して大都市のライトの下で輝くと、そのキャリアは予期せぬ方向に動き出した。
メイソンの長年の夢であった、世界的に有名なグランド・オール・オプリでのデビューのオファーをエレンがプレゼントしたのだ。ウォルマートも大学の奨学金と全世界配信のコンサートへの寄付を申し出た。そして数週間後には、南カリフォルニアで一番盛り上がると言われているコーチェラフェスティバルにDJ Whethanと共にステージに立ち、その週末にはStagecoachフェスティバルにスーパースター・デュオであるフロリダ・ジョージア・ラインのスペシャルゲストとして出演した。
そしてメイソンはアトランティック・レコード/ビッグ・ラウド・レコードと契約を結んだ。カントリーのアーティストがメジャー・レーベルと契約したのが、ビリー・ギルマン以来の最年少であった。

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