Sunshine Andersonサンシャイン・アンダーソン

Profile

「愛の旅に連れて行ってくれるようなアルバムを創りたかったの。」とサンシャイン・アンダーソンは語る。「愛の答えを教えようとしているのではなく、私もそこに行ったことがあるという事なの。」
サンシャイン・アンダーソンのデビュー・アルバム『ユア・ウーマン』はアトランティック・レコードとロサンゼルスに本社を置くソウライフ・エンターテインメントとの合併後、初めてのリリースとなり、彼女のダイナミックな音楽的才能が表現されたアルバムだ。ソウルフルな『ユア・ウーマン』の新鮮さ、そして衝撃的なデビューは、ヴォーカリストが体験してきたロマンスの谷と山を辿ろうとしている事を教えてくれる。このロマンスの旅は内観的な「ハード・イット・オール・ビフォア」(デビュー・シングル)や悲観的な「レッティング・ダウン・マイ・ガード」を含むR&B楽曲を通じて語られている。アンダーソンは世界中の新しいファンの心を掴むに十二分な才能を兼ねそろえているのだ。

「サンシャインはスター中のスターよ。」とアンダーソンのマネージャであり同僚アーチストでもあるメーシー・グレイは言う。「彼女は一見そこら辺いにいるような女性に見えながら、実際はとてもユニークな面も持っているの。」

『ユア・ウーマン』でサンシャインは、多才なスタジオ・プロデューサーそしてソウルライフの副社長でもあるマイク・シティ(Mike City)と共にに仕事をした。去年、マイク・シティはカール・トーマスが歌う大ヒット曲、「アイ・ウィッシュ」(アルバム『エモーショナル』に収録)を手掛けている。 最近シティはビルボードのトップ10に入ったデイブ・ホリスターが歌う「ワン・ウーマン・マン」でもプロデュースをしている。

ノース・キャロライナ州、シャーロット出身のサンシャイン・アンダーソンは両親の沢山の愛とサポートを受け、あらゆるジャンルの音楽に囲まれて育った。サンシャインの両親は、幼い頃から彼女の天賦の才を見抜き、そして奨励した。「音楽は私の人生の中で、いつも何処にでもあるの。」と彼女は言う。「両親が音楽に関心を持っているからこそ、私の才能が伸びるような環境つくってくれたんだと思うわ。何にでも積極的に参加させてくれたし、昔から“いつスカウトされるかな”って夢見ながら練習していたの!!。」

数年後、彼女がノース・キャロライナ中央大学に在学中にスカウトされ、後に『ユア・ウーマン』を制作するきっかけとなる。「ある日、学校の食堂にいて鼻歌を歌っていたら、シティの友達が“絶対マイクは君の声を気に入るよ”と言ってくれたの。」とサンシャインは微笑む。「その後、実際にマイクの前で歌を唄い、それ以降彼とは良い友達になり、現在までずっと一緒に仕事してきたわ。」

NCCUの罪法学位で卒業後サンシャインはワシントン市に移り、公務員として働いた。 それでも彼女は希望を捨てず、週七日間、毎日音楽ができる夢を見ていたのだ。そしてその夢はもうじき実現する。「今だ!って決めたの。」サンシャインは発言する。「それで仕事を辞めてロサンゼルスへ移りし、マイクと仕事を始めたのよ。」

「9年後、昔から見ていた夢を作らせてくれる最高の環境をワシントンで見つけたわ。」とサンシャインは語る。

サンシャインはまさに彼女の名前どおりに、“春の日の出”のような歌でアルバム『ユア・ウーマン』を作り上げたのである。

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