椿屋四重奏
News
ファンの皆様へ 大切なお知らせ
2011.1.11
椿屋四重奏は2010年12月31日、
Zepp Sendaiにて行なわれましたカウントダウンライブ、
「SENDAI SUNRISE」をもちまして、解散いたしました。
このような突然の報告となりましたことを、お詫び申し上げます。
これまで応援して頂いたファンの皆様、
そしてバンド活動を支えて頂いた関係各位の皆様には、感謝の言葉しかございません。
今後、中田裕二・小寺良太の二人は別のかたちで音楽活動を継続していきます。
そして永田貴樹は音楽活動を辞め、新たな道へと踏み出すことになりました。
三人の進む道は別々ですが、これまで同様、
それぞれの活動を温かく見守って頂ければ幸いです。
尚、これからの具体的な活動につきましては、
何らかの動きがあり次第、引き続きオフィシャルホームページ(http://tsubakiya4.com/)にて
随時アップしていく予定でございますので、何卒よろしくお願い致します。
長きにわたり椿屋四重奏を応援して頂き、本当にありがとうございました。
2011年1月11日
椿屋四重奏
メンバー・スタッフ一同
以下、メンバーからのコメントになります。
________________________________________
突然の報告になって本当に申し訳ないです。
この度、
椿屋四重奏は解散しました。
店じまいってやつですね。
実は去年の夏頃、既にメンバー内ではその事が決まっていました。
理由は、ごく自然なもので、
時期が来た、それだけです。
ただ、どうしても解散ツアーなんてやりたくなかったし、
最後の最後まで現在進行形のバンドでいたかったから、
今まで通りに活動を続けました。
幕引きは椿の花の如く。
椿屋四重奏の生まれた仙台で。
応援してくれた皆さんにとっては非常に一方的な身勝手な話で、本当に申し訳なく思います。
一言でいえば、
俺にとって椿屋四重奏は、
悪足掻きの青春でした。
それはとても愛しくて、切なくて、
憎たらしくもあり、
悩みの種でもあり、
希望の種でもあり。
それは簡単に例えられるほど単純なものではありません。
冷静に客観的にみれば、
時代に何かしらの痕跡を残すようなアクションを起こす事は出来なかったし、
当初思い描いてた夢はそんなに叶えられていません。
悪く言えば、中途半端な…
でもその悪足掻きこそが
椿屋四重奏だった気がします。
ただ、名曲は山ほど残して来たつもりですけどね。
自分でも否定はしなかったけど、よくワンマンバンドと呼ばれました。
確かに作品作りにおける作業はほとんど自分がやってましたし、
いわゆる一般的なロックバンドとは違うタイプのバンドだったかもしれません。
やっぱ性格的にというか、元々ひとりで何でもやらないと気が済まない所があって、
結果的にそうなってしまいました。
でも、やっぱり、椿屋は俺だけのものではなかったし、
やっぱりこのメンバーあってこそのバンドでした。
そして、俺自身も、不思議にその事をわかっていました。当たり前のように。
皆で夢を賭けた想いの化身の様なものでした。
たかしげも、良ちんも、
やっちんも、結成当初のメンバーも、
そしてバンドの最後を一緒に見届けてくれた手島も、
大切な時間を椿屋四重奏に使ってくれました。
本当に感謝しています。
共に分かち合えた事、幸せに思います。
今、正直、心の中はグチャグチャです。
この十年、椿屋四重奏こそが俺の人生そのものでしたから。それを中心に俺はまわっていたから。
でも、同時に、なにか胸のつかえが取れた様な感じもあります。
ずーっと長い間自分の中に居座っていた、その悪足掻きの理由が。
今はまだ、先の事は上手く考えられませんが、
あの夢は捨てていませんし、
音楽を辞めるつもりもありません。
少しの間、色々と考えてみようと思います。
「こんなロックバンド、マジで他に居ないよな。最高だよ。自己満足で結構!」
そう思いながら、まるでお客さんになったような気持ちで、
最後の仙台を楽しんでいました。
椿屋四重奏、
そして椿屋四重奏を愛してくれたすべての皆さん、
素晴らしい季節をありがとう。
支離滅裂な滅茶苦茶な文章で
ごめんなさい。
やはりまとまりませんでした。
最後の餞に、嵐が丘の一節で。
咲いて散りゆく花となり
夢と現を抱きすくめて
嵐の中 自ずと望んだこの場所に
涙と雨の
涙と雨の
祝福を
中田裕二
________________________________________
こういう結果になってしまって、皆さんごめんなさい。
理由は、僕がミュージシャンとしての限界を感じてしまったことが大きな要因です。
バンドの調子が上がってきた所でのこの決断に、なんで?と思うかも知れませんが、
やっぱりバンドが大きくなる為には、メンバーそれぞれが同じ強い思いを抱いていなくちゃならない
と思います。
僕は椿屋四重奏に対しては強い思いがありましたが、一個人のミュージシャンとしてはどうしても足りなくて、
でもやっぱり音楽を続けていく上でそこが一番大事な部分だと思うんです。
それで限界を感じてしまいました。
そして、僕だけそんな中途半端な気持ちじゃ足を引っ張るだけだと思い、
悩みに悩んでこの決断に至りました。
大好きな椿屋四重奏が無くなってしまうのは寂しいけれど、
ゆうじ、りょうちんの活躍を期待しこれからも応援し続けます。
今まで椿屋四重奏、そしてこんな僕を応援してくれた皆さん、本当に有難うございました。
今の僕があるのは皆さんのお陰です。
この経験を糧に、今年から新たな道を歩んでいきます。
最後に、この椿屋四重奏の名前が霞むくらい、今後二人が活躍してくれる事を願ってます。
初詣で願いたいと思います。僕のおみくじ凶じゃないと良いんだけど・・・。
永田 貴樹
________________________________________
本当に楽しかった。もっとやりたかった。
けど仕方無いんだなぁ、と自分を納得させています。
新年早々こんなお知らせをするのは本当に辛いです。
俺も貴樹に脱退を伝えられた時はどうにも受け入れられず、寝込みました。
でも、大事な仲間が考えに考えてした人生の決断なんです。
どうかゆっくりでいいので受け入れてあげて下さい。
皆にこの事を伝えずにツアーを回るのは辛かったけど、これで良かったと思っています。
辛気くさい顔して全国回っても楽しめないでしょ?
本当に良いツアーだったし、今年も皆の楽しそうな顔がステージからたくさん見えました。
最高でした。ありがとう!!
椿屋四重奏の活動は2010年の大晦日で終わりました。
今まで応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
が、正直これで終わりたくない。俺は皆と一緒にこの先をもっと見たいという気持ちでいます。
皆も同じ気持ちだと勝手に思っています。
小寺良太
Zepp Sendaiにて行なわれましたカウントダウンライブ、
「SENDAI SUNRISE」をもちまして、解散いたしました。
このような突然の報告となりましたことを、お詫び申し上げます。
これまで応援して頂いたファンの皆様、
そしてバンド活動を支えて頂いた関係各位の皆様には、感謝の言葉しかございません。
今後、中田裕二・小寺良太の二人は別のかたちで音楽活動を継続していきます。
そして永田貴樹は音楽活動を辞め、新たな道へと踏み出すことになりました。
三人の進む道は別々ですが、これまで同様、
それぞれの活動を温かく見守って頂ければ幸いです。
尚、これからの具体的な活動につきましては、
何らかの動きがあり次第、引き続きオフィシャルホームページ(http://tsubakiya4.com/)にて
随時アップしていく予定でございますので、何卒よろしくお願い致します。
長きにわたり椿屋四重奏を応援して頂き、本当にありがとうございました。
2011年1月11日
椿屋四重奏
メンバー・スタッフ一同
以下、メンバーからのコメントになります。
________________________________________
突然の報告になって本当に申し訳ないです。
この度、
椿屋四重奏は解散しました。
店じまいってやつですね。
実は去年の夏頃、既にメンバー内ではその事が決まっていました。
理由は、ごく自然なもので、
時期が来た、それだけです。
ただ、どうしても解散ツアーなんてやりたくなかったし、
最後の最後まで現在進行形のバンドでいたかったから、
今まで通りに活動を続けました。
幕引きは椿の花の如く。
椿屋四重奏の生まれた仙台で。
応援してくれた皆さんにとっては非常に一方的な身勝手な話で、本当に申し訳なく思います。
一言でいえば、
俺にとって椿屋四重奏は、
悪足掻きの青春でした。
それはとても愛しくて、切なくて、
憎たらしくもあり、
悩みの種でもあり、
希望の種でもあり。
それは簡単に例えられるほど単純なものではありません。
冷静に客観的にみれば、
時代に何かしらの痕跡を残すようなアクションを起こす事は出来なかったし、
当初思い描いてた夢はそんなに叶えられていません。
悪く言えば、中途半端な…
でもその悪足掻きこそが
椿屋四重奏だった気がします。
ただ、名曲は山ほど残して来たつもりですけどね。
自分でも否定はしなかったけど、よくワンマンバンドと呼ばれました。
確かに作品作りにおける作業はほとんど自分がやってましたし、
いわゆる一般的なロックバンドとは違うタイプのバンドだったかもしれません。
やっぱ性格的にというか、元々ひとりで何でもやらないと気が済まない所があって、
結果的にそうなってしまいました。
でも、やっぱり、椿屋は俺だけのものではなかったし、
やっぱりこのメンバーあってこそのバンドでした。
そして、俺自身も、不思議にその事をわかっていました。当たり前のように。
皆で夢を賭けた想いの化身の様なものでした。
たかしげも、良ちんも、
やっちんも、結成当初のメンバーも、
そしてバンドの最後を一緒に見届けてくれた手島も、
大切な時間を椿屋四重奏に使ってくれました。
本当に感謝しています。
共に分かち合えた事、幸せに思います。
今、正直、心の中はグチャグチャです。
この十年、椿屋四重奏こそが俺の人生そのものでしたから。それを中心に俺はまわっていたから。
でも、同時に、なにか胸のつかえが取れた様な感じもあります。
ずーっと長い間自分の中に居座っていた、その悪足掻きの理由が。
今はまだ、先の事は上手く考えられませんが、
あの夢は捨てていませんし、
音楽を辞めるつもりもありません。
少しの間、色々と考えてみようと思います。
「こんなロックバンド、マジで他に居ないよな。最高だよ。自己満足で結構!」
そう思いながら、まるでお客さんになったような気持ちで、
最後の仙台を楽しんでいました。
椿屋四重奏、
そして椿屋四重奏を愛してくれたすべての皆さん、
素晴らしい季節をありがとう。
支離滅裂な滅茶苦茶な文章で
ごめんなさい。
やはりまとまりませんでした。
最後の餞に、嵐が丘の一節で。
咲いて散りゆく花となり
夢と現を抱きすくめて
嵐の中 自ずと望んだこの場所に
涙と雨の
涙と雨の
祝福を
中田裕二
________________________________________
こういう結果になってしまって、皆さんごめんなさい。
理由は、僕がミュージシャンとしての限界を感じてしまったことが大きな要因です。
バンドの調子が上がってきた所でのこの決断に、なんで?と思うかも知れませんが、
やっぱりバンドが大きくなる為には、メンバーそれぞれが同じ強い思いを抱いていなくちゃならない
と思います。
僕は椿屋四重奏に対しては強い思いがありましたが、一個人のミュージシャンとしてはどうしても足りなくて、
でもやっぱり音楽を続けていく上でそこが一番大事な部分だと思うんです。
それで限界を感じてしまいました。
そして、僕だけそんな中途半端な気持ちじゃ足を引っ張るだけだと思い、
悩みに悩んでこの決断に至りました。
大好きな椿屋四重奏が無くなってしまうのは寂しいけれど、
ゆうじ、りょうちんの活躍を期待しこれからも応援し続けます。
今まで椿屋四重奏、そしてこんな僕を応援してくれた皆さん、本当に有難うございました。
今の僕があるのは皆さんのお陰です。
この経験を糧に、今年から新たな道を歩んでいきます。
最後に、この椿屋四重奏の名前が霞むくらい、今後二人が活躍してくれる事を願ってます。
初詣で願いたいと思います。僕のおみくじ凶じゃないと良いんだけど・・・。
永田 貴樹
________________________________________
本当に楽しかった。もっとやりたかった。
けど仕方無いんだなぁ、と自分を納得させています。
新年早々こんなお知らせをするのは本当に辛いです。
俺も貴樹に脱退を伝えられた時はどうにも受け入れられず、寝込みました。
でも、大事な仲間が考えに考えてした人生の決断なんです。
どうかゆっくりでいいので受け入れてあげて下さい。
皆にこの事を伝えずにツアーを回るのは辛かったけど、これで良かったと思っています。
辛気くさい顔して全国回っても楽しめないでしょ?
本当に良いツアーだったし、今年も皆の楽しそうな顔がステージからたくさん見えました。
最高でした。ありがとう!!
椿屋四重奏の活動は2010年の大晦日で終わりました。
今まで応援してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
が、正直これで終わりたくない。俺は皆と一緒にこの先をもっと見たいという気持ちでいます。
皆も同じ気持ちだと勝手に思っています。
小寺良太