Van Dyke Parksヴァン・ダイク・パークス

Profile

1943年1月3日、4人兄弟の末っ子としてミシシッピ州ハティスバーグに誕生。幼少のころにはボーイクワイアにも参加し、テレビショーにも子役として出演する。12才の頃には、グレース・ケリーの最後主演作品「白鳥」にも子役スターとして登場するほど才能に溢れていた。 大学ではクラシック・ピアノを専攻。その後 1964年ごろに、プロデューサーのテリー・メルチャーと出会い、レコーディングにも参加。そしてビーチボーイズのブライアン・ウィルソンとも交友を深めビーチボーイズの名曲を共作するに至る。66年にワーナーブラザーズのA&Rレニー・ワロンカーにソング・ライターとして雇われ、後にプロデューサーとしても活躍するテッド・テンプルマンも在籍していたハーパース・ビザールを手がける。そして、自身も68年に『ソングサイクル』をリリース。ハリウッドの映画音楽と、フォーク・ミュージックの華麗な融合として大絶賛を浴びる。その後はランディ・ニューマン、ライ・クーダー、リトル・フィートなどのアルバム制作を手がける。70年には、カリビアン・ミュージックへの敬意と憧れからエッソ・トリニタード・スティール・バンドもプロデュース。それは自身のセカンド・アルバム『ディスカバー・アメリカ』(72年)、『ヤンキー・リーパー』(75年)という作品にも反映される。また、72年に、LAで録音された、はっぴいえんどのラスト・アルバムにソング・ライター、アレンジャーとして参加。これが大きなきっかけとなって細野晴臣や大滝詠一に大きな影響を与えることになる。1984年には10年ぶりのアルバム『ジャンプ』を発表。その後ディスカバー・ジャパンとも言える『TOKYO ROSE』(89年)をリリース。今回の紙ジャケット・コレクションでは、5枚のオリジナル・アルバムと関連するアルバムを紙ジャケットで発売する。 なお2007年春には、細野晴臣トリビュートに参加し、大きな話題になった。

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