Yung Jocヤング・ジョック

Profile

■“サウス・シーンの若番長”と異名を取るヤング・ジョック(本名:ジャジール・ロビンソン)は、P.ディディ御大率いるバッドボーイのサウス部門=バッドボーイ・サウスとジョイントベンチャーを展開するアトランタの一大ヒップホップ・レーベル=ブロック・エンターテイメント(ボーズ・ン・ダ・フッドらも所属)を代表する期待の若手MCである。
■ヘアケア用品会社の社長であった父の影響で、若い頃から自分でビジネスを営むという事を肌で学んでいたというジョック。アウトキャスト、グッディー・モブ、トゥパック、ビギーなどがフェイバリットだったという10代の彼に、アーティストとして最初のチャンスを与えたのもその父であった。レヴロン社のCM用のジングル制作を依頼され、見事に成功したジョックは、この後ラッパーとして音楽の道を歩むことを決意。早くも自身のプロダクション=マスターマインドを設立し、地元アトランタのシーンで活動を始める。
■既に活躍していたアーティスト達にはそれほど影響を受けなかった彼だが、ハードエッジなT.I.の出現に衝撃を受け、T.I.のようにストリートでの活動を開始。そして、レイ・チャールズやアレサ・フランクリンらも出演したという伝説のクラブ=ロイヤル・ピーコックでショウを行ったジョックのステージを見たブロック・エンターテイメント代表のラッセル“ブロック”スペンサーは、即座に契約を申し出たのだった。こうして彼のプロダクション=ブロック・エンターテイメントと契約を結び、2006年初頭にリリースされたのが彼のデビュー・シングルである「IT'S GOIN DOWN」である。
■この曲は地元アトランタでローカル・ヒットとなった後、徐々に全米中に広がりを見せた。既にボーイズ・ン・ダ・フッドの配給でブロック・エンターテイメントとは提携関係を築いていたP.ディディは、ヤング・ジョックとこの曲こそバッドボーイ・サウスをトップ・レーベルに押し上げる逸材だと確信。数百万ドルと言われる契約金を用意し、ジョックとマスターマインド、そしてブロック・エンターテイメントと配給契約を結んだのだった。
■2006年6月にリリースした『NEW JOC CITY』は全米ラップ・アルバムチャートで初登場1位、総合チャートでも堂々の初登場3位を記録(共に6/24付)。そしてこの頃には全米中に浸透していた「IT'S GOIN' DOWN」は、“モーターサイクル・ダンス”と呼ばれる独特の振り付けと共に全米を席巻し、全米ラップ・シングルチャートで1位(6/10付)、総合シングルチャートで最高3位(6/24ビッグ・ヒットになり、あのトム・クルーズもTVのトーク番組でこのダンスを披露したほどの影響力を持つ、2006年最大級のサマー・ヒットとなった。
■その後も2ndシングル「I Know You See It」(全米ラップ・シングルチャート最高2位(9/23付)、総合シングルチャート最高17位(9/30付))、3rdシングル「1st Time」(全米ラップ・シングルチャート最高11位(3/24付)、総合シングルチャート最高82位(5/24付))と立て続けにヒットを放った。2006年11月には日本で行われたサウス系ツアー“SOUTH BLING FES”参加のためBONE CRUSHERと共に来日を果たした。最近でもT-Painの全米TOP3ヒット「Buy You A Drank」をはじめとする数多くの楽曲にフィーチャーされ、まさに今のヒップホップシーンにおいて一番勢いのあるMCとしてさらなるブレイクが期待されている。

■DISCOGRAPHY■
『NEW JOC CITYI』 (2006)

WARNER MUSIC JAPAN SPECIALS